2012-08-06(Mon)
胸を張って逃げる権利を! 8月31日未来をつくるフォーラム@大阪
逃げる という日本語には、消しようのないネガティブなイメージがこびりついている。
逃亡生活、逃避行、逃走犯、などなど、どれをとっても、これほど惨めなものはないというくらい、惨めな印象がある。
しかも、それに加えて、逃げる=卑怯 という等式に違和感を憶える人はほとんどいないだろう。
逃げるのは卑怯だ。正々堂々と立ち向かえ。逃げても何も変わらない。逃げたら負け。
こうした常套句は、日常生活からマスメディアにいたるまで、日に何十回も耳に入ってくる。
最近になって、ようやく「逃げてもいいんだ」というか弱い声が聞こえてきたのは、イジメに関する議論の中。
いじめられたときは、自分を責めずに、逃げられるものなら逃げてしまおう。これは、たしかに真っ当な意見だと思う。
しかし、それも「いじめられたら」という前提があっての話。やはり、重苦しい空気はぬぐい得ない。
■■
しかし、思い起こしてみれば、逃げたらいけない、という倫理観は、いつから日本人の精神に居座っているのだろう。
たとえば、江戸時代の庶民が、「逃げたら負けだ」とほんとうに思っていただろうか。
もちろん、なにか困難なことに取り組むという意味で、気張っている人はたくさんいただろうが、そういう積極的な意味で言っているのではない。
今流で言ってみれば、パワーハラスメントに対して、「逃げたらいけない」という倫理観を持っていたとは、ちょっと考えにくいのである。
封建社会、身分社会という、社会の構造自体がパワハラであるような社会では、「逃げたらいけない」という角張った意識ではなく、「頭を引っ込めてやり過ごす」といういい加減な意識が主流になるだろう。
これは、支配する側からもされる側からも、そうなるだろう。
そして、「頭を引っ込めてやり過ごす」という意識は、今の日本人の心の底流にもしかっりと残っている。
「逃げたらいけない」というのは、武士階級の、しかも建前の世界だけに存在していた価値観に過ぎないはずだ。その武士だって、江戸時代のほとんどの時代は事務官僚であり、本気で「逃げたらいけない」と考えていたとは思えない。
とは言え、江戸時代は気候が寒冷化した時代で、飢饉が多発し、生きるか死ぬかの農民の抵抗は決して少なくはなかった。
百姓一揆は3000回に上ったとも言われている。
中には、数万の軍勢にふくれあがった武装蜂起になったこともあるが、実際はほとんどの場合、代表者の交渉であったり、数人が処分覚悟でおこなった強訴・直訴であったりしたようだ。
むしろ、農民の自主的な抵抗手段は、今流に言えばストライキにあたる逃散だ。
軽いところでは、裏山に逃げ込んで降りてこない、とか、激しい場合は村中が逃げ去って消滅したこともあったようだ。
今も昔も、働いて税金を納める者がいなければ、実は支配者は二進も三進もいかないということを逆手にとった戦い方であった。
逃げると言うことは、故郷を捨てるということだから、もちろん悲しい選択ではあったろう。しかし、けっして卑怯ものあつかいされるようなことでは、無かったのである。
■■
幕末から明治初期にかけての、いわば革命期が過ぎると、その反動とも言うべき統制の時代が始まった。
日本の庶民の生活の隅々まで、新体制のイデオロギーで縛り付けようとし始める。
たとえば、日本中の村々で行われていた大衆演劇の村歌舞伎にたいしても、演劇改良命令なるものを発布して、実質的に禁止し、現在のお高くとまった「伝統的」歌舞伎だけを残していった。
その他、現在「日本的」とか「伝統的」と思われているものは、この時代に選別、創作されていったものが多い。
その象徴が、大正9年に創建された明治神宮である。
富国強兵、国民皆兵を実現するために、江戸時代のような逃散は、なんとしても避けたかった。
しかし、一方で革命期の熱は記憶に新しく、また庶民が満足できるような生産と社会にはほど遠かった。
そこで、持ち出されてきたのが、武士道という、武士階級の中のほんの建前に過ぎなかった偏向イデオロギーである。
そして、あたかも日本人は古来こういう民族だったのだ、というデマと共に「逃げるな」の思想が日本中に染み渡っていった。
「潔さ」が美徳とされ、イマドキで言うならば、誤審にも文句言わないのがスポーツマンの鑑みたいな空気が、社会を覆っていた。
そして、「逃げる」ことは人間として最低のことかのように、思わされていき、それは、言うまでもなく、日清、日露、第二次大戦へと連なっていった。
その結果がどうなったか、言うまでもない。
奇しくも今日は8月6日。
日本人に逃げる根性があれば、こんなことにはならなかった。
徴兵忌避、敵前逃亡、投降。そうしたことを、せめて普通の国並みにできれいれば、ここまで悲惨なことにはならなかったのではないか。
原爆を落としたアメリカを合理化するつもりはサラサラないが、これもまた一面だと思うのである。
■■
いま、福島とその周辺の被曝は、まったなしの状況を呈している。
厚労省は、3年ごとに行っている「患者調査」から、福島県と宮城県の南部だけを除外した。
(これに関してはおしどりマコさんの記事を参照)
この一点をもってしても、福島の状況がいかに深刻化がうかがわれる。
福島の人々は、モルモットとして山下俊一らに徹底的に調査され、かつその情報は隠蔽される。
そして、どんな健康被害に対しても、「科学的に証明できない」のひとことで、原発事故とは関係ないと退けられるのである。
これは福島だけの問題ではない。東京東部に至るまで、かなり高濃度の地域は広範囲に広がっている。
通常のモニタリングでは分からない、プルトニウム、ストロンチウムなどの核種は、正確にはどこまで広がっているのか、だれも分からずに生活している。
ストロンチウムは、内部被曝によりきわめて深刻な健康被害をおこすのだが、普通の線量計で測れるγ線をださないから、知らないうちに取り込んでしまう危険が高い。しかも、出しているβ線は、体の狭い範囲を集中的に攻撃する。しかもしかも、何十年も体から出ていかない。
このストロンチウムが東京や横浜でも検出されているのだから、関東が安全だとは、だれも「科学的に証明」なんてできない。
まして福島では、ソ連ですら移住の対象としたような汚染地域に、何の補償もなく人が住み続けている。こんなことが、許されていいのか。
オリンピック報道に浮かれるマスメディアが流しているほど、世の中は平和ではないのだ。
ヤバイ と思ったら 迷わず逃げる というのが、ほんとうは一番いい。
しかし、逃げることには、何重ものこんなんがつきまとう。
仕事をどうするんだという経済的な問題もある。
住宅ローンのある人ならば、なおさら問題は大きい。
さらに深刻なのが、精神的な軋轢(あつれき)だ。
家族、親、兄弟、職場、さまざまステージで「逃げる」ということへの白眼視がある。
まさに、「逃げてはいけない」という心の牢獄に閉じ込められている。
これを何とかしないことには、逃げようと思えば逃げられる何十万の子どもたちの健康が、命がみすみす傷つけられていく。
■■
本来は国がやらなければならない、避難の問題。
だからと言って、国の責任だと言い続けていても、被曝は時々刻々と続いているのだから、なにかできることからでもやろう。
そう思っていたところに、8月31日に避難者支援のシンポジウムをやるという話が飛び込んできた。
未来をつくるフォーラム ~原発事故避難者と私たち (公式ブログ)


アメリカとドイツから、被曝による健康被害に取り組んできた医師をお呼びしてのシンポジウム。
詳細は、上記のブログを見ていただきたい。(今現在は、チラシデータが掲載。近日中に基調になる記事アップされます)
メインイベントは、13:00~ ドンーンセンター(天満橋) 前売り800円
イベントの目的は、一つは被曝による健康相談ができる医師を増やすこと。
なにせ、被曝に詳しい医師の多くは原子力村の住人だ。
心ある数人の医師は、八面六臂の大活躍で大わらわ。
そこで、この機会に、何かしようとおもってくださる医師の方に参加していただき、今後健康相談などに協力していただける医師が増えていってほしい、というのが思いの第一。
それと、現在関西に避難している方々に、「逃げていいんだ」という確信を持っていただくこと。
前段でさんざん書いた、「逃げたらいけない」という精神的な牢獄に対して、「逃げてもいいんだ」「逃げる権利」を宣言したい。
と、同時に、避難者同士の交流のきっかけにもなれば言うことはないというのが、二つ目。
三つ目は、このイベントをキックオフにして、今後の支援活動をやっていきたいので、その仲間が集まって欲しい。私もそうなのだが、「何かしたいが、自分一人じゃどうしていいかわからない」という人があつまって、たとえば月一の健康相談会とか、お医者さん向けの学習会とか、じわじわとした動きであっても、続けていきたい。
と、私は思って、実行委員会に参加させてもらった。
私の思い込みも、イベントの趣旨とそう外れてはいないはずだ。
ぜひ、一人でも多くのご参加を呼びかけたい。
前売り券の必要な方、チラシの拡散に協力いただける方、あるいは、金曜の昼は無理だけど今後の活動に協力いただける方や情報提供のほしい方は、ご連絡いただきたい。
左サイドのメールフォームからでも結構です。

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逃亡生活、逃避行、逃走犯、などなど、どれをとっても、これほど惨めなものはないというくらい、惨めな印象がある。
しかも、それに加えて、逃げる=卑怯 という等式に違和感を憶える人はほとんどいないだろう。
逃げるのは卑怯だ。正々堂々と立ち向かえ。逃げても何も変わらない。逃げたら負け。
こうした常套句は、日常生活からマスメディアにいたるまで、日に何十回も耳に入ってくる。
最近になって、ようやく「逃げてもいいんだ」というか弱い声が聞こえてきたのは、イジメに関する議論の中。
いじめられたときは、自分を責めずに、逃げられるものなら逃げてしまおう。これは、たしかに真っ当な意見だと思う。
しかし、それも「いじめられたら」という前提があっての話。やはり、重苦しい空気はぬぐい得ない。
■■
しかし、思い起こしてみれば、逃げたらいけない、という倫理観は、いつから日本人の精神に居座っているのだろう。
たとえば、江戸時代の庶民が、「逃げたら負けだ」とほんとうに思っていただろうか。
もちろん、なにか困難なことに取り組むという意味で、気張っている人はたくさんいただろうが、そういう積極的な意味で言っているのではない。
今流で言ってみれば、パワーハラスメントに対して、「逃げたらいけない」という倫理観を持っていたとは、ちょっと考えにくいのである。
封建社会、身分社会という、社会の構造自体がパワハラであるような社会では、「逃げたらいけない」という角張った意識ではなく、「頭を引っ込めてやり過ごす」といういい加減な意識が主流になるだろう。
これは、支配する側からもされる側からも、そうなるだろう。
そして、「頭を引っ込めてやり過ごす」という意識は、今の日本人の心の底流にもしかっりと残っている。
「逃げたらいけない」というのは、武士階級の、しかも建前の世界だけに存在していた価値観に過ぎないはずだ。その武士だって、江戸時代のほとんどの時代は事務官僚であり、本気で「逃げたらいけない」と考えていたとは思えない。
とは言え、江戸時代は気候が寒冷化した時代で、飢饉が多発し、生きるか死ぬかの農民の抵抗は決して少なくはなかった。
百姓一揆は3000回に上ったとも言われている。
中には、数万の軍勢にふくれあがった武装蜂起になったこともあるが、実際はほとんどの場合、代表者の交渉であったり、数人が処分覚悟でおこなった強訴・直訴であったりしたようだ。
むしろ、農民の自主的な抵抗手段は、今流に言えばストライキにあたる逃散だ。
軽いところでは、裏山に逃げ込んで降りてこない、とか、激しい場合は村中が逃げ去って消滅したこともあったようだ。
今も昔も、働いて税金を納める者がいなければ、実は支配者は二進も三進もいかないということを逆手にとった戦い方であった。
逃げると言うことは、故郷を捨てるということだから、もちろん悲しい選択ではあったろう。しかし、けっして卑怯ものあつかいされるようなことでは、無かったのである。
■■
幕末から明治初期にかけての、いわば革命期が過ぎると、その反動とも言うべき統制の時代が始まった。
日本の庶民の生活の隅々まで、新体制のイデオロギーで縛り付けようとし始める。
たとえば、日本中の村々で行われていた大衆演劇の村歌舞伎にたいしても、演劇改良命令なるものを発布して、実質的に禁止し、現在のお高くとまった「伝統的」歌舞伎だけを残していった。
その他、現在「日本的」とか「伝統的」と思われているものは、この時代に選別、創作されていったものが多い。
その象徴が、大正9年に創建された明治神宮である。
富国強兵、国民皆兵を実現するために、江戸時代のような逃散は、なんとしても避けたかった。
しかし、一方で革命期の熱は記憶に新しく、また庶民が満足できるような生産と社会にはほど遠かった。
そこで、持ち出されてきたのが、武士道という、武士階級の中のほんの建前に過ぎなかった偏向イデオロギーである。
そして、あたかも日本人は古来こういう民族だったのだ、というデマと共に「逃げるな」の思想が日本中に染み渡っていった。
「潔さ」が美徳とされ、イマドキで言うならば、誤審にも文句言わないのがスポーツマンの鑑みたいな空気が、社会を覆っていた。
そして、「逃げる」ことは人間として最低のことかのように、思わされていき、それは、言うまでもなく、日清、日露、第二次大戦へと連なっていった。
その結果がどうなったか、言うまでもない。
奇しくも今日は8月6日。
日本人に逃げる根性があれば、こんなことにはならなかった。
徴兵忌避、敵前逃亡、投降。そうしたことを、せめて普通の国並みにできれいれば、ここまで悲惨なことにはならなかったのではないか。
原爆を落としたアメリカを合理化するつもりはサラサラないが、これもまた一面だと思うのである。
■■
いま、福島とその周辺の被曝は、まったなしの状況を呈している。
厚労省は、3年ごとに行っている「患者調査」から、福島県と宮城県の南部だけを除外した。
(これに関してはおしどりマコさんの記事を参照)
この一点をもってしても、福島の状況がいかに深刻化がうかがわれる。
福島の人々は、モルモットとして山下俊一らに徹底的に調査され、かつその情報は隠蔽される。
そして、どんな健康被害に対しても、「科学的に証明できない」のひとことで、原発事故とは関係ないと退けられるのである。
これは福島だけの問題ではない。東京東部に至るまで、かなり高濃度の地域は広範囲に広がっている。
通常のモニタリングでは分からない、プルトニウム、ストロンチウムなどの核種は、正確にはどこまで広がっているのか、だれも分からずに生活している。
ストロンチウムは、内部被曝によりきわめて深刻な健康被害をおこすのだが、普通の線量計で測れるγ線をださないから、知らないうちに取り込んでしまう危険が高い。しかも、出しているβ線は、体の狭い範囲を集中的に攻撃する。しかもしかも、何十年も体から出ていかない。
このストロンチウムが東京や横浜でも検出されているのだから、関東が安全だとは、だれも「科学的に証明」なんてできない。
まして福島では、ソ連ですら移住の対象としたような汚染地域に、何の補償もなく人が住み続けている。こんなことが、許されていいのか。
オリンピック報道に浮かれるマスメディアが流しているほど、世の中は平和ではないのだ。
ヤバイ と思ったら 迷わず逃げる というのが、ほんとうは一番いい。
しかし、逃げることには、何重ものこんなんがつきまとう。
仕事をどうするんだという経済的な問題もある。
住宅ローンのある人ならば、なおさら問題は大きい。
さらに深刻なのが、精神的な軋轢(あつれき)だ。
家族、親、兄弟、職場、さまざまステージで「逃げる」ということへの白眼視がある。
まさに、「逃げてはいけない」という心の牢獄に閉じ込められている。
これを何とかしないことには、逃げようと思えば逃げられる何十万の子どもたちの健康が、命がみすみす傷つけられていく。
■■
本来は国がやらなければならない、避難の問題。
だからと言って、国の責任だと言い続けていても、被曝は時々刻々と続いているのだから、なにかできることからでもやろう。
そう思っていたところに、8月31日に避難者支援のシンポジウムをやるという話が飛び込んできた。
未来をつくるフォーラム ~原発事故避難者と私たち (公式ブログ)


アメリカとドイツから、被曝による健康被害に取り組んできた医師をお呼びしてのシンポジウム。
詳細は、上記のブログを見ていただきたい。(今現在は、チラシデータが掲載。近日中に基調になる記事アップされます)
メインイベントは、13:00~ ドンーンセンター(天満橋) 前売り800円
イベントの目的は、一つは被曝による健康相談ができる医師を増やすこと。
なにせ、被曝に詳しい医師の多くは原子力村の住人だ。
心ある数人の医師は、八面六臂の大活躍で大わらわ。
そこで、この機会に、何かしようとおもってくださる医師の方に参加していただき、今後健康相談などに協力していただける医師が増えていってほしい、というのが思いの第一。
それと、現在関西に避難している方々に、「逃げていいんだ」という確信を持っていただくこと。
前段でさんざん書いた、「逃げたらいけない」という精神的な牢獄に対して、「逃げてもいいんだ」「逃げる権利」を宣言したい。
と、同時に、避難者同士の交流のきっかけにもなれば言うことはないというのが、二つ目。
三つ目は、このイベントをキックオフにして、今後の支援活動をやっていきたいので、その仲間が集まって欲しい。私もそうなのだが、「何かしたいが、自分一人じゃどうしていいかわからない」という人があつまって、たとえば月一の健康相談会とか、お医者さん向けの学習会とか、じわじわとした動きであっても、続けていきたい。
と、私は思って、実行委員会に参加させてもらった。
私の思い込みも、イベントの趣旨とそう外れてはいないはずだ。
ぜひ、一人でも多くのご参加を呼びかけたい。
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