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2012年1月16日 (月)

長い物にはまかれるな

 

中国では、清の時代、人口の90%は小農民であった。その農民の上に地主がおり、郷紳(地方官吏)、官僚(県の長官)、そして清国政府とピラミッド式搾取構造が、成り立っていた。そこに、商品・貨幣経済が入り込むと、商人や高利貸しが横行し、さらに農民を圧迫し、寄生し、耕地をとりあげた。その結果、貧窮した農民は遊牧化しはじめ、グループを作り始め、後の乱を起こす源となる。

 

 

 

その点、日本も中国に似ていた。江戸時代には、日本の約85%は、農民だったといわれている。その農民の上に地主がいて、その上に藩という武士階級があり、そのうえに徳川幕府という政府があった。そこに、やはり商品・貨幣経済が発展していくと、商人や高利貸しが横行し、農民をさらに圧迫したことは確かだ。しかし、中国とちがって、どんなに貧しくとも日本の農民は遊牧化ができない。離農は制限され、仮に離農しても、狭い土地で、すぐに新しい開拓農地が見つかり耕作できるわけでもなく、年が越せず、冬がくれば餓え死にせざるを得ない。土地にしがみつくしか生きる術がなかったのである。

 

 

 

かくして、清国は、260年12代にわたる清の皇帝に統治される。一方、日本では徳川幕府によって、265年間統治された。この間に、中国、日本とも長期にわたる支配・被支配の封建的な階級制度が続いたのである。

 

 

 

そういった硬直化した身分制度に縛られた中国社会に、風穴をあけたのが、初めは日本の島原の乱に似た太平天国の乱であった。キリスト教の影響を受けた点ではどちらも似ている。その後、中国ではアヘン戦争が起こり、日本では黒船の到来となる。中国はアヘン戦争で負けたことによって、財政・経済に重大な影響を受けた。日本は不平等条約と港解放によってやはり、経済的な打撃を受け物価が高騰する。義和団事件になると、排外、反帝国運動、日本では攘夷運動となり、やはり外国人を日本から追い出せという運動につながっていく。

 

 

 

民衆は平和を享受し、戦乱で苦しまなくてもよい半面、長年にわたって固定化した封建的な階級制度に縛られてきた。この中国の地主と官僚の下に農民が位置し、日本では武士社会の藩の下に農民が位置する構図の中で、平和が享受できる半面、組織は濁り腐敗してきたのだろう。

 

 

 

中国では王朝支配が長年にわたって続き、日本では武士階級が支配階級として長年君臨した。台湾では、長期間ではなかったが、外島人が特権階級となって支配した。そういった絶対権力の構造の下で暮らしてきた民衆の中には、どうしてもぬぐえない奴隷根性に近いものが備わってしまい、反対に権力構造の上部にいる人間は、横暴、傲慢となることが多いのではないか。したがって、権力を保持するものは、俺のやり方に従え的な専制主義が横行する。当然のことながら、権威を失墜させ、権威に反抗する輩には、厳しい態度や極度の弾圧で臨み悲劇が生まれる。民衆の権利を否定された庶民の間は、当然ながら長い物にまかれろ主義が横行してしまう。

 

 

 

2011723日に起きた中国浙江省の高速鉄道事故の対応を見ていると、まるで武士が庶民を侮っているようなやり方にも見える。車両の解体、撤去、さらに車両を穴の中に埋めるなど証拠隠しととられても仕方がない。

 

 

 

これと似たような事件が日本でも起きた。いわゆる大阪地検特捜部の前田元主任検事が押収した証拠を改ざんしたことである。これも、やはり自分の権威や特権を過大評価した結果にならないだろう。権威をふりかざして、無罪の可能性があっても握りつぶす。

 

 

 

そこにあるのは、長い間権力や権利に安住したものの腐臭というべきものを感ずる。福島の原発事故もまた、電力会社が電力事業を長い間寡占してきて、既得権益に安住したことも一因ではなかろうか。まさに、絶対権力は絶対腐る。長く権威に安住する者は絶対的に腐っていくのである。

 

 

 

論語に「子曰く、如し王者あらば、必ず世にして後に仁ならん。」とある。意味はもし、徳のあるリーダーが現れれば、きっと世の中は仁、つまり理想的な社会が作れるという意味だが、いまだ日本に、本当に徳のある政治家があらわれたという話もきかない。

 

 

 

やはり、戦後に導入された民主主義が、時代の流れのなかで、あまり形を変えずに継続してきたことが問題ではないだろうか。民主主義の本質は変えないで、もっと人材や有能な政治家が現れやすくなる仕組みをつくりあげることができないものか。

 

 

 

論語にも「子曰く、有司を先きにし、小過を赦し、賢才を挙げよ。曰く、いずくんぞ賢才を知りてこれを挙げん。」とある。人材を集めて、小さな過失は許し、有能な者を抜擢していくことだという。

 

 

 

凡庸な人が政治家のリーダーになって、この国の政策をめちゃくちゃにしたことを、二度と繰り返してはならない。政党抗争の中で、メジャーな政党のリーダーのみがその器ではなくとも、首相になれる可能性があり、器が大きく、徳のある政治家がいても、少数政党では、とてもはいあがれる可能性がないことが問題なのではなかろうか。そのためにも、ぜひ選挙制度の改革から着手してもらいたいものだ。

 

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