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2011年12月29日 (木)

産業復興と戦争

 

「魔は天界に住む」という言葉がある。人は天にも昇る良い気持ちで、喜びの絶頂にあるときこそ、そこに崩落の危険性が潜んでいるとみるべきだろう。

 

 

 

戦争には莫大な出費がともなう。経済的なバックアップなしに、誰も戦争を始めることはない。国を私たち個人にたとえるならば、お腹が空いているときは、喧嘩しようにも気力も起こらない。しかし、腹がくちくなると、エネルギーも満ち、傲然と自分の権利を行使しようとし、衝突が起き、喧嘩になるものだ。

 

 

 

イギリスで起こった「産業革命」は近代化とともに、産業がとてつもないスピードで発展し、近代化していない国と近代化した国とで格差が生まれた。近代化した国家は近代兵器を備えた文明国であり、そうでない国は未開発な野蛮な国とみなされ植民地化され、産業革命で作られた商品を売りつけられ、ひたすら租借地を手に入れ、治外法権をふりかざし、自国民を守るためという大義のもと戦争をしかけ、新しい領土争奪戦を産んだ。

 

 

 

豊臣秀吉が朝鮮出兵を決めたのは、安土桃山時代の後半。いわゆる織田信長、豊臣秀吉によって天下統一がなされ、平和な時代が続き、諸大名は産業振興や貿易が盛んになった。産業が振興すると、諸大名の財政がうるおい、近代武器を購入し幕府に反旗を翻しかねないと考えた秀吉は、ふってわいたように朝鮮出兵を命令する。経済力のついた、西の諸大名の力を削ぐためだったのかもしれないし、国内の不満を外に向けさせる戦略があったかもしれない。余談ながら、徳川幕府は参勤交代という制度を導入することで、諸大名の資金力や軍備化を防ぐことに成功した。

 

 

 

薩摩が倒幕という革命をなしとげたのは、島津斉彬の近代化に負うところが多い。蒸気機関からガラス工芸品まで殖産興業を振興した。経済復興がすすむと、資金力のある薩摩藩は長州と連合して、やがて幕末の戊辰戦争へと発展していく。

 

 

 

日本が第二次世界大戦へと突き進んだのも、重商主義の果てであった。近年では、日本がバブルの頃は、日本も核兵器を持つべきだとの暴論もまかりでた。こう考えると、経済発展や工業の近代化と軍事力の増強とは密接な関係があるのではないだろうか。

 

 

 

たとえば、明治維新をなりとげたころ西郷隆盛の征韓論は、とりあげられ承認されたものの、洋行していた大久保は取り急ぎ、日本に帰り、産業復興していない段階では、余力もなく、対外政策に走るのは早すぎると、征韓論の暴走を止めて、ブレーキをかけた。なぜなら、生まれたばかりの明治政府には資金はまったくなかったといってよい。それなのに隣国に西郷を派遣し、一大事が起きて戦争ごとになっては困るのである。結局、対外政策を求めた西郷の征韓論は、返す刀で西南戦争という国内戦争まで発達し、終結する。

 

 

 

こうして考えると、戦争と経済力が強くなることは密接な関係があるようだ。「魔は天界に住む」とは、どうも一旦、経済成長や近代化が進むと、それに比例して軍事力も増大し、しまいには、軍事が暴走するのを阻止するためのブレーキが甘くなるようだ。

 

 

 

中国は、いまや強い政府と、産業振興が華やかで、近代化もすごいスピードで進んでいる。

 

これに付随してくるのは、やはり軍事力の膨張だろう。軍事が伸びてくると、やはり暴走や軍の勇み足が心配になる。中国の国防費は10年で五倍。日本円で8兆7000億円、去年に比べて11.2%も増えている。アメリカへの対抗意識で軍事費を膨張しているのだろうか?

 

 

 

それは心配しすぎだろうという人もいるかもしれない。しかし、アメリカでさえ、膨大な軍需産業の陰謀がなんども取りざたされたことがある。陰謀があったにしろ、なかったにしろ、世界平和が達成させられると、アメリカの軍需産業が生き残れないことは周知の事実だ。割り当てられた予算獲得を享受できるなら問題ないが、軍事予算が削減されると、傭兵や軍事の民営化へと転換をはかり、常に形を変えて生存をはかってきた。

 

 

 

日本の場合は、戦争が始まった時から暴走の連続だったといってよい。張作霖爆破事件、中日戦争(盧溝橋事件)。すべて軍部の暴走から始まり、国は静観して、事が起こってから、後で承認する以外に方法はなかった。

 

 

 

中国はどうだろう。著しい経済発展とともに、民主化の動きが活発になれば、反発する共産党や軍部が暴走することはないのだろうか。

 

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