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2011年8月24日 (水)

魯迅と心の革命

 

以前、中国で観光地めぐりをしていたとき、中国人ガイドが魯迅のことを日本の夏目漱石にあたるという説明をしていた。そう聞いていたとき、不思議な感じがした。あの説明は、日本人旅行者からの受け売りだったのだろうか、それともガイド自身がそう思ったから、思いつくままに言ったのだろうか。

 

 

 

確かに夏目漱石は、英国のロンドンに留学し、日本人というものを外から眺め、日本人の意識の底にある理不尽、不条理的なものを口語的な小説を通してシニカルに描き出したし、哲学的な普遍性を、文学を通して表したともいえる。魯迅も日本の仙台医学専門学校に留学し、外から中国を見て、中国人のあり方を模索し、思考、精神の改革を、文芸運動を通して民衆に訴えたことは確かだ。

 

 

 

しかし、夏目漱石は内省的な分析家だとすると、魯迅は強靭な精神を持った行動的な革命家のように思え、まったく似ていない。孫文は、ひたすら清朝を倒そうと武力による革命を求めた。それに対し、魯迅は文学を通して、心の革命が必要なのだと主張したように思える。中国人を最大に愛していながら、厳父のようにその欠点をあげつらい、民衆自身に改革をせまった。それは、魯迅が「いちばん嫌いなものは嘘つきと煤煙、いちばん好きなものは正直者と月夜」と言い切ったように、中国人が持っている「馬々虎々」(いいかげん)で代表される奴隷根性、ごまかし、虚偽という悪弊を変革しなければ、社会の仕組みを変えても民衆を変えることはできないと確信していたのだろう。

 

 

 

その心の改革を阻んでいたのが、封建支配のなかで政治道具となり果てた儒教だった。その儒教を攻撃するため、孝や忠をせんじつめると「人が人を食う食人」という非人間的な題材までたどりつくという内容の「狂人日記」を書きあげた。その題材のきっかけは、女性革命家、秋瑾の影響があったのだろうか。秋瑾の恋人であったろう、徐錫麟は恩巡撫(県長官)を暗殺した後、彼の親衛隊によって心臓を食われてしまう。その記事を眼にしたことは、間違いない。

 

 

 

また「阿Q正伝」では、阿Qは喧嘩に負ける度に、喧嘩にまけた事実を歪曲し、喧嘩相手を息子とみなすことで、自己を欺瞞し、精神的に勝利する。まるでニーチェが述べたルサンチマン(怨恨感情)に近い考え方だ。要するに逆恨み、負け惜しみによって、自らを正当化しようとする感情を指している。たそれは、そのまま中国という国が、外国と戦争して負けても、負けたわけではないと面子をたもち、欺瞞している姿に結び付く。これは中国の歴史というものを見れば、すぐに気がつくことだが、中国で民主的国家が樹立されたことは、一度もない。あるのは支配階級と被支配階級のみであった。ニーチェの言葉を借りるなら、自らを「善」と定めた弱者は、自分の弱さを肯定するために、報復できない無力を「善良」、臆病で卑劣なことを「謙虚」などと言い換えて讃美してきた。

 

 

 

そのために支配階級が、手段として用いたのが儒教や老子の教えだった。おそらく魯迅は、儒教や老子をすべて否定したわけではなかったろう。批判したのは、現実変革に結び付かず、なによりも自ら革命し、行動しようとしない怠惰な悪弊を変えようとしたのだと思う。その点では、ニーチェはキリスト教批判をしたが、魯迅は儒教批判を間接的にしたことになる。そういった自己欺瞞をやめて、超人のように生きる道を自分で決めようという呼びかけをした。ニーチェの超人思想に近かったのだろう。

 

 

 

それでは、日本人に対する感想はどうだろう。魯迅から内山氏への手紙を、片山智行著「魯迅 阿Q中国の革命」から一部、引用してみよう。

 

 

 

「日本人の短所は僕は言わない。僕は日本人の長所をかんがえたよ、日本人の長所は何事によらず一つの事に対して文字通りの生命がけでやるアノ真面目サであると思うネー。」

 

 

 

魯迅はここで日本人の短所について言及していない。おそらく魯迅のなかでは、日本人の分析は既に終わっていたのだろう。この点は、漱石が「坊っちゃん」のなかで、赤シャツ、うらなり、山嵐の姿を借りながら、日本人の欠点を描いている。日本人における「馬々虎々」は、喧嘩両成敗、よらば大樹、「なあなあ」で済ましてしまい、善悪の決着を求めず、責任を回避する。有能な人がでようとすると、嫉妬から足をひっぱりたがる。そういった封建社会の中で育まれてきた悪弊のことを魯迅は日本人の気質として言いたかったのではなかろうか。そう考えると、日本には日本風の無自覚な阿Qがたくさんいることになる。しかし、日本にはシニカルに訴える作家は多くいたが、魯迅のように舌鋒するどく心の革命をうったえた作家はいなかったように思う。

 

 

 

魯迅は中国人の欠点として「愛」と「誠」がないと述べている。この場合の愛とは、キリスト教で見られる愛による平等意識を言っているのではないだろうか。誠は真面目さ、その真面目さは日本人は持っているという。確かに中国人のなかには阿Qのように強い権力に擦り寄り、変節してきた人もいた。日本人の場合は、真面目さがないと武士社会や共同体では、生きてゆくことができなかったから、気質として備わった面もあったのだろう。平等意識は、長年にわたる封建武士社会のなかで、やはり根付くことはなかった。このことは、会社組織にいると、上司と部下の関係は組織内だけで、仕事を離れたら関係ないはずだが、仕事を離れても対等な人間関係は築くことができないことでよくわかる。とすると、日本人もやはり「誠」は比較的、あっても「愛」は、ないことになる。

 

 

 

魯迅にしても、孫文にしても、その生涯をみていくと日本との結びつきが強かった。孫文には宮崎滔天梅屋庄吉、山田良政、山田純三郎と常に孫文を支える支持者がいた。魯迅の場合も、仙台医専在学中、藤野先生との出会いがあり、上海に逃避行してからは、内山完造が友人として支え、日本人医師とともに魯迅の臨終をみとっている。このことは日本人として誇って良い。中国大陸に日本の軍部の足音が響くまで、志ある日本人は中国の革命を支え続けたのだ。

 

 

 

最後に中国人について、魯迅はこう言っている。

 

「わが国にはむかしから、脇目もふらずに仕事に励んだ人間がいたし、命がけでことに当たった人間がいたし、民衆のために命乞いした人間がいたし、身を捨てて法を求めた人間がいた。<中略>こうしたひとびとは現在でも少なくはない。彼らは確信を持っており、自己欺瞞しない。かれらはさきに進んだ者の屍を乗り越えて戦ってる。弾圧され、抹殺され、暗黒のなかに消えていって、みんなに知られないだけのことである。中国人が自信を失ったというのは、一部のひとを指していうのなら構わないが、もし全体についていうなら、それはまったく誹謗中傷である。<『中国人は自信を失ったか』1934年>

 

 

 

百日維新と呼ばれた戊戌の政変で、譚嗣同は日本へ亡命するよう勧められた時、こう答えている。「各国の変法は、血を流さずして成就した例はない。ところが中国では、いまだ変法のために血を流した前例を聞かない。ならばこの譚嗣同がその最初となろう」と自発的に官憲につかまり処刑された。女性革命家の秋瑾は「秋風秋雨愁殺人」と辞世の句を残し、斬首された。中国の歴史の中で、このように命がけで志を貫いた英雄はよく見かけるが、長い歴史のなかでは、常に短期間で使い捨てにされてきたように思える。

 

 

 

アグネス・スメドレーというアメリカのジャーナリストが、「中国の歌ごえ」という著書で、この頃の魯迅の心の暗黒を描いている。時は1930年の終わりごろ、反ナチスの版画家ケーテ・コルヴィッツの「犠牲」という木版画を引用しながら、魯迅の友人や仲間、二十四人が逮捕され、処刑されたことに、「深夜に記す」という論文のなかで、魯迅は舌鋒するどく論じていく。それは、わが身がどうなってもかまわない、迫害した友人を返せという叫びでもあったろう。

 

 

 

過去の中国の歴史を振り返っても、死刑囚が死地に向かう前に弁明の機会をあたえるほどの寛容性を持っていたのに、それさえ奪って仲間を殺害した権力(国民党)に対する怒りであった。魯迅は彼の名声と年齢のために、逮捕を免れていたが、権力者は、卑怯にも彼の仲間や友人に共産党員のレッテルを貼り、逮捕し、処刑していったのである。版画家ケーテ・コルヴィッツの画集を通して、世界中どこでも、私の仲間と同じように、辱められ、虐げられた人々がおり、しかもそれらの人々のために、悲しみ、闘っている人がいるのだと叫んだ。

 

 

 

ペンで戦いを挑んだ、魯迅の孤独で熾烈な戦いだったことが、想像できよう。魯迅は、常に志のある中国人、志のある日本人の出現を待ちわびていたに違いない。ちなみに魯迅が死去して一年後の1937年に支那事変が勃発している。日本、中国の両方の戦争を止めることのできる志を持った荘士の出現を、一番期待していたのが、魯迅だったのかもしれない。

 

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