歴史に対する正視眼
歴史を振り返ると、ときどき同じような誤りをおかしていることに気がつく。この原因は、人は歴史から何も学習しようとしないことに尽きるのだろうか?それとも、誤った歴史観をもとに、歴史を見たために、同じ間違いをしでかしてしまったのだろうか? たとえば、中国国内では、共産党設立90周年を祝うコマーシャルがテレビで、よくながれるようになった。もともと中国における共産党の躍進は、1917年の隣国のロシア革命の影響だった。そのソ連の共産党の指導を受けたコミンテルンから始まったのである。そのソ連では、1933年、ゴルバチョフの故郷スタヴロポリ地方で飢饉が起きていた。以下は、「満州歴史街道」でゴルバチョフ回想録を引用した部分である。 「原因は天候不順と片付けられたが、実際は個人経営の農業をなくしコルホーズという形で集団化したことに原因があった。それを知っているゴルバチョフの祖父、アンドレはコルホーズを嫌い、個人農として頑張った。ソ連共産党はもっぱら飢饉の責任を個人農に負わせた。祖父アンドレは春の種蒔きを行わなかったという理由で突然逮捕され、怠業者としてイルクーツクの森林伐採地へ送られ強制労働をさせられた。個人農は共産党の敵だった。」 こういった悲劇は、ゴルバチョフの時代になるまで、ソ連では隠された事実だったのかもしれない。それでは、スターリンの時代のソ連の集団農場の歴史や飢餓のことを知っていたら、毛沢東は、大躍進政策を見直しただろうか? 残念ながら、毛沢東は見直さなかっただろう。ソ連と中国のやり方は異なるというのが毛沢東の思想の根底にあった。そのため、大躍進政策を進めた結果、中国の集団農場は行き詰まり、多数の犠牲者がでた。また、あの頃、マスコミもあの政策が誤りだったとは報道していなかったし、日本の新聞でさえ、そういった犠牲を知らないまま、さも大成功しているかのような報道したメディアもあった。結局、中国では、人民公社の設立による農業の集団化など、原始共産制に近い政策をおこない、4300万人から4600万人ほどの犠牲者を出す結果となった。 それでは、中国の影響を受けたカンボジアはどうだったのだろう。中国の文化大革命にみならって、通貨を廃止し、極端な原始共産社会を作ろうとした結果、ポル・ポトの政権下で300万が犠牲になったと言われている。これは、過去の歴史から教訓を学ぶというより、同時代に起きた実験場という見方もできるから、当てはまる事例ではないと反論されそうだ。しかし、中国の大躍進政策が大成功したとの宣伝に惑わされず、事実をもっと客観的にみることができれば、同じ轍はふまなかったのではなかろうか。 文化大革命という運動のなかで、造反有理「反抗するものには道理がある」という言葉が独り歩きした。そして、紅衛兵の暴走が始まった。それ以前の1931年、日本では、政府の言うことを聞かずに、関東軍が独断で満州事変を起こし、侵略拡大を実行していく。あれは、軍部にとっての造反有理ではなかったか。「造反有理」は歴史の舞台では、危険な思想となる場合があり、集団ヒステリーのような凄惨な状況をつくりだす。早い時点で、毅然とした態度をとらなかったので、軍部は暴走し、紅衛兵は暴走してしまった。 鄧小平は、この原理がわかっていたので、第二次天安門事件が起こった時、この危機感から、躊躇せず人民解放軍の導入をきめ、早い段階で天安門広場にいる人たちに鉄槌をくだした。 毛沢東思想は中国国内だけではなく、さまざまな国に影響を及ぼした。日本でも日本共産党と関係があったし、ネパールではネパール共産党統一毛沢東主義派があり、ペルーのセンデロ・ルミノソも毛沢東主義派である。主義、思想、イデオロギーというものは、一個人でたとえれば、その人がどういう思想、行動をとるかの宗教に近い。いわゆるその人自身がもつ人生へのベクトルと言っても過言ではない。 同じようなベクトルを持った場合に、同じような間違いをしでかす危険性は、かなり高い。もちろん時間差はある。その国や人を取り巻く環境、世界情勢、政治情勢などで、危険性は先延ばしになり、何年後に現れるだろうし、現れても同じ形式ではなく、まったく違った形であらわれることも多い。 かくいう私も、若いころはマルクス理論を学び、いずれはどこかの国に理想的な共産主義国家が現れるのではと夢想し、労働者のための国に憧れたものだ。政治集会にも参加し、空想社会主義や弁証法的な考え方に引きこまれた。選挙になると、必ず共産党か社会党に投票したので、一時期にベクトルが共産主義に向いていたことは確かである。 大人になって、現実的な考え方をしてくると、共産主義に対する熱も消え失せ、多角的な見方ができるようになる。そして、社会主義や共産主義は理論としては、理想論だが、それを運用する人間は権力に負けて、制度では防げないことがわかってくる。いや、むしろイデオロギーは道具として権力者に利用されることになることが理解できるようになる。儒教の朱子学が幕府に利用され、毛沢東がマルクス・レーニン主義を利用したように。 さきほど述べた、ポル・ポトも、中国で学んだことがあるが、中国のやり方をそのまま自国に適用しようとは思わなかった。いわゆる、自分は違うという意識である。俺だったら、毛沢東よりもうまくやれる。中国とカンボジアは違う。だから、きっと成功する。このように考えたはずだ。しかし、結果はカンボジア風大躍進政策を実行することとなり、ゆきすぎても「造反有理」という言葉が先行し、暴走し、歯止めがかからず、知識人をかたっぱしから殺し、大失敗に終わった。なぜなら、表面の形は変えてもベクトルは同じだからだ。 これはマオイズム(毛沢東主義)を標榜するかぎり、ネパールやペルーでも形を変えて似たようなことが起こったはずである。日本共産党も、現在では中国共産党と距離を置いているが、当時は、少なからず党内で派閥や権力争いがあったと推測される。皆、自分の組織は、何々とは違うと叫ぶ。ひたすら、自分の組織の正当性を訴えるだろう。または、他の国では、こうだったが、自分の組織ではこうなので、共産国家になっても民主主義は守れると独自性を訴えるかもしれない。こう考えると、ひたすら独自性を訴える組織ほど、同じ過ちや轍を踏みかねない危険性を秘めていることになる。 反論のために、中国の例をだそう。中国で辛亥革命が成功し、南京臨時政府が樹立された。その臨時大総統に孫文が選ばれたのであるが、その頃は、天下統一した頃の豊臣秀吉と同じで、単なる連合国家の集まりでしかない。強権の下に、まとまった国をつくるという孫文の考えたものとは異なっていた。そこで、理想主義を持つ宋教仁は、孫文に反発し、距離を置いて、ひたすら議院内閣制を確立することに努力する。ようするに、二度と専制、封建主義に後戻りできないように独裁政治を防ぐための選挙、民主主義によるフェイルセーフを作ったと言ってよい。それは、あたかも成功したかに見えたが、巨大な軍事力を持つ袁世凱が、暗殺者を送り、宋教仁を暗殺させる。宋教仁亡きあとは、孫文に求心力がないと知るや、政府関係者は袁世凱にラブコールをおくり、南京臨時政府の臨時大総統に就任し、宋教仁の敷いたフェイルセーフを取り外してしまったのは周知の事実だ。どんなに独裁者が生まれないような社会システムをつくりあげても、時代が変わり、指導者が代われば、とたんに消滅してしまう良い例だ。 人の生き方も、国の政策も煎じつめてみれば、それほど変わりがないというのが私の持論である。怖い点は、自分だけが特別だという意識を持つ怖さであろう。その自意識の強さ分だけ、まったく同じ間違いをしでかす可能性が高いものとなる。なぜなら、どんなに自分は違うとか、独自性があると言っても、根本のベクトルは変わってないのだから。 中国に住んでいて、怖いなあと思うのはやはり、歴史認識の違いだろう。日本軍部が中国において多大な損害、犠牲者をだしたことは、間違いないし、そのことを否定するつもりはまったくない。そのために、日本は中国に対する援助を、戦時補償という形はとらなかったが、ODAという名のもとに援助を行ってきた。 なぜ、日本の軍事力は暴走してしまったのか、という事実に対しては、中国国内では冷静な分析や評論はあまり聞いたことがない。いろんな人と話をすると、二つの考え方に分類できるようだ。日本の民族性だろう、だから日本国民すべてが中国に賠償する責任があるという考え方と、あれはあくまで軍部の暴走であり、悪いのは軍部で、日本国民は犠牲者である。という考え方。蒋介石と周恩来は後者をとり、戦時賠償を破棄した。そして、中国人だけではなく、日本人である私達もすべて過去の歴史として葬り去り、振り返らず、過去の歴史から何かを学ぼうとしていない。 中国の近代の歴史をみていると、日本の戦時中と酷似していることに気がつく。違いは、愛国心、天皇への忠誠が、中国では、マルクス・レーニン主義と毛沢東への忠誠に変わっただけである。しかも、この類似性に中国の人々は全く気がついていないかのようだ。その他にも厳しい言論統制、機密保持など、数限りなく類似性が存在する。文化大革命の嵐が吹き荒れた当時、自分の意見を堂々と述べて、自分の考えは正しいと主張する人間がどれだけいただろうか?同じく、日本でも、戦時中に他国との戦争は間違っていると、どれだけの人が主張しただろうか? どちらも、主張したとたん抹殺されたか、収監されたに違いない。しかも、その人の家族までをも巻き込んだに違いない。自分がその立場にたたされたら、どのような態度をとるだろうか?自分の命と家族を守るために、卑屈に生きるか。家族や自分の命が犠牲になっても、正しい事は、正しい事として主張しつづけるか?難しい選択だが激動の時代には、どちらかしか一方を選ぶしかない時もある。 歴史に対して正視眼をもてば、相手の立場もわかるようになり、理解がすすむのではないか。中国も日本も、特殊な民族性は存在せず、同じベクトルの方向のときは、同じような歴史を繰り返していることが、上記の事実からわかる。それとも、中国にとっては、日本が歩んだ歴史など、学ぶに値しないと思っているのだろうか。それはそれで、同じ道、誤った道を歩む危険性が増すことになる。 しかも、中国では共産党独裁が続くかぎり、現在でも、まだまだ民主化への道は遠い。スターリンへの評価は死後もわかれている。共産党が消滅したあとで、毛沢東への評価はどうなるのだろう?やはり、嫌悪する人間と、崇拝する人間に別れるのだろうか?
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