佐藤慎一郎先生講演会 中国の1976年の現状(6)
前に、派閥の話で、毛沢東は自分のバトンを自分の女房か娘婿か親戚のものへ渡したいと説明しました。そのために、死に物ぐるいで派閥を作って守ろうとする、そこに闘争の根底ができてくるわけであります。
四番目は中国の価値観、価値の基準についてです。中国大陸には現在、価値観、価値の基準というものがございません。これが中国の派閥闘争を無原則な闘争にかりたてております。そのいくつかの例をこれからあげます。中国共産党の中央委員会がたくさんの指示、命令をだしますが、誰も信用しない。どうしてなのでしょうか、はい、例を言います。
これ、あんたがたよく聞いて、どっちが本当か判断してごらんなさい。ふたついいますが、ふたつとも中国共産党委員会の最高決定です。これにはひとつも権威がない。いいですか、共産党が決定した憲法、これは、まあ、もちろん毛沢東、ぜんぜん守りませんよ。毛沢東という人は憲法外にある人だから。こんどの鄧小平をやっつけたのも、憲法に全く外れているわけですが、まあ毛沢東は憲法外の人だから、しかたありません。
いいですか、憲法のなかに林彪のことをこう規定しています。
林彪はですね、毛沢東の親密な、親しい、戦友であり、毛主席の後継者、跡継ぎであり、中国の副統帥であり、毛主席が自ら創設した解放軍の直接指揮者である。憲法にこう規定されています。
その同じ林彪が共産党の中央全国大会では、こういうふうに規定されました。同じ共産党の中央委員会ですよ。林彪は資産階級の野心家、陰謀家、二股派、裏切り者、売国奴林彪、こう規定しました。
この二つの文章は全中国の共産党員に配布して学習を命じております。受け取った共産党本部の方は、両方読んでね、どっちが本当なのだろう。林彪は毛沢東の最も親密な戦友であり、毛主席の後継者であり、跡継ぎであると、そのとおりに一生懸命学習して覚えた。
覚えたのに、次の文書では、林彪は、二股かける奴であり、裏切り者で、売国奴だという。どっちが本当のことを言っているのか、さっぱりわからない。わかる人いますか?どっちが本当で、どっちも中国共産党の中央委員が決定した決定です。ということは、決定に、ちっとも権威がない。
それだけではなく、中共の最高指導者の言にも権威がない。たとえば林彪副主席の言葉、かつて、副主席が毛沢東のことをこう言っております。毛首席の思想はマルクス、エンゲルス、スターリンよりもはるかに高度なものである。現在の世界の中で誰一人として毛主席の水準に比較しうるものはいない。つまり毛沢東思想こそは最高水準のマルクス・レーニン主義だと、こう演説しております。これはみんな本にのって党員は全部学習させられました。
ところが、次に林彪は、毛沢東のことをなんと言ったでしょうか。さっきは毛沢東のことを絶賛しましたね。ところが、毛沢東のことをこうも言っています。「B52打ち落とせ、実際上、B52はすでに現代の秦の始皇帝となっている。彼はマルクス・レーニン主義の皮をかりて秦の始皇帝のやり方をおこなった、中国歴史上、最大の封建暴君である」。と、つまりB52は毛沢東のことを言っています。わざと毛沢東と書かないで、B52と呼んだのです。みなさんはわからないだろうが。僕たちのような戦争時代を経験したものは、アメリカのB52を打ち落とせという言葉がありましたが、それに類したことを言っているわけです。さあ、これみんな各共産党員にながしてみんな学習し、勉強したんですよ。
どっちが本当のことを言っているのでしょうか?毛沢東っていう奴こんな悪い奴だ。といいながらもう一方では、毛沢東は素晴らしい、世界で一番偉い奴だとこういうふうに言う。同じ人間が、相矛盾したことをしゃべるわけですが、口ってやつは重宝で、嘘八百をならべることもできる。しかし、これ両方、通達うけた側の共産党員はどう思うと思いますか。読みようがないじゃない。どっちが正しいか誰もわからない。むしろ、毛沢東けしからん奴だという公文書を見れば、なるほどそのとおりだということが実によくわかるでしょう。
さて、昨年、私は香港へ行きました。香港で北京の大学の先生と会いました。私がこの大学の先生に話を聞いて、三日間、ノートとりました。朝から始まって、お話をノートした。僕がこの大学教授に「先生、あんたは郭沫若をどう思いますか?」とこう聞いた。そしたら「あの人は素晴らしい学者です。毛主席も信頼しています。」とくる。「おーちょっと待て、あんたね、ここはね、北京じゃないよ。ここは北京じゃないの、あんたを誰も監視していないの。ここは自由社会という自分で信じたこと自分で考えたことそのまま言っていいんだよ。しゃべって大丈夫な自由社会ですよ」こう言った。
そしたらね、「すみません、ついその癖がでました。私たち北京におればね、なんか質問されれば、まわりをみて皆はどういうだろうということをまず考えて、それからその上を行くようなことを、嘘を言うんです。つい癖がでて、つまらんことを言ってすみませんでした」というから、「いや、誤る必要はないよ、あんたは郭沫若をどう思いますか?とあんたの本当の気持ち、僕は聞きたいんだ」といったら、彼いわく、「あのくらい悪い奴はおりません、あれは悪党です。あんなずるい奴おりません。風をみて舵を取るけしからん奴だ。あれくらいずるい奴ありません」。「どうずるいの?」と聞いたら、「いや、わたしたち北京の大学の先生たちは、文化革命始まる前までは、郭沫若という人を尊敬しておりました。ところが文化革命が始まったら、これは自分にとっても危ないなあと、この人頭が良いからすぐわかった。それで、まだ労働者や学校の紅衛兵が彼を呼びつけてもいないのに、彼自ら出て行って『私はいままで、何千何万の論文を書いたけれども、あんなものは論文に値しない、全部焼き払ってくれ。私は今日から毛主席の一年生となって毛沢東思想を勉強します』とこういった。そうして皆に謝って、まだ誰も彼をぶんなぐらないうちに自分からでんとひっくり返って『さあ、殴れ』とこう言った。『俺みたいな悪い奴、さあ殴ってくれ』とこう言った。このね、狡い、狡さにはかなわない、こうやって彼は助かった。このずるさにはね我々唖然とした。それ以来、みんなこの野郎と思って、誰も彼を尊敬するものはおりません」。「わかりました。あんたはそうおっしゃるが、あなたは去年二月まで、北京大学に長く働いていらっしゃいましたね。長く働いていられたのは、あの共産党の世界でどういう態度をもってあなたは生きてきたから、働くことができたのですか?郭沫若けしからんというのは、わかりました。それなら、あなたはどういう態度で生きてきましたか?」こう尋ねた。そうしたら、彼しばらく下を向いておった。「そう言われると恥ずかしいかぎりです。わたしたちはあの郭沫若に唾でもひっかけてやりたい気持ちですが、あの強力な共産党の中で生きるためには、郭沫若の生き方以外に生きる道はないということを教えられました。それで、私たちも郭沫若に学んで、あの狡さを見習って今日まで生きてまいりました。そうしなきゃあとても生きられませんでした。」と白状しました。
それで、私はその話が本当か、去年あった革命委員会の共産党員に聞いてみました。こういう話を聞いたけど、あなたはどう思うかと問いかけました。「いや佐藤さん、それは無理だよ。あの共産党の世界でね、そんな自分の意見なんか言って生きられるもんじゃない。一日だって命がない。正直に言ったら絶対駄目です。なぜなら、私も嘘八百でそういった芝居をやりながら生きてきましたから。とにかく、その場その場の芝居やるしか我々は生きる方法がないんです」とこう答えました。
良く聞く話ですが、日本人の旅行者が北京に行き郭沫若に会って、郭沫若はこんなことを言っていたというようなことを報告しています。誰も信用しない奴の話しを聞いてきて、この嘘八百の話をとくとくと日本で発表しております。それをまた読む奴が、さすがは偉い学者だと言って感心しているかどうかはわからんけれども、じっくり読んでいるというのが現状です。裏の裏を読まないと、何が本当で、何が嘘なのかわからないでしょう。そういう状態ですから、大陸におけるあらゆる現象はすべてその場その場の芝居であると私は判断しています。中国語にホンチャンソウシ(逢場作戯)という言葉があります。その場その場に合わせて芝居をやる、こういう言葉がありますが、これが現代の中国人の生き方であろうかと思います。本当のことを言えない、こういう世界であると私は信じております。
私が昨年調査いたしました農村は、ある生産体は、38個のうち21個がご飯たべられない家です。一年間生産体で働いても、お米を受け取るお金のない家が27個です。71%がそういう貧乏な家であります。ところが、この生産体では、畑をたがやすに行く場合には、毛主席の写真をかけます。赤旗を立てます。手にそれぞれ毛主席の本を持ちます。そしてクワをかつぎます。そうして整列して畑にまいります。そうして毛主席を讃える歌を歌いながら畑にまいります。赤旗を畑に立てておいて、そうして畑を耕します。帰りはまた、それをかついで家に帰ります。
せっかく収穫した作物も、それを供出してしまえば、自分たちが食べるものがないにもかかわらず、政府が無慈悲に持っていきます。五十何パーセントも持っていくわけです。57~58%も全部、持ってっちゃうわけです。農民には、ほんのカスカスに食べる物しか残さないわけです。その収穫物を、政府に供出してしまえば、自分たちが本当に食べる物がないかもしれない。ところがその泣きの涙でだすその供出米を政府に届けに行くときでさえ、毛主席の旗を、写真をかかげます、赤旗を立てます、そして毛主席の本を持ちます。そして、毛主席を讃える歌を歌いながらお米を引っ張って届けにいくわけです。
そういった場面を写真で撮ってみなさい。また、テレビの取材で撮ってごらんなさい。外見上は、農民の苦しみが何もわからない。映しだされる映像は、すばらしい、喜びいさんで届けにいっている格好になります。
「佐藤先生、赤字農家は泣いておるんです。我々も泣いておるんです、泣いておる農民に聞いてごらんなさい。子供でもいい、老人でもいい、誰にでもいい、泣いているその人にね、佐藤さん、あんた聞いてごらんなさい。お前らなんのために働いているんだ。年から年中米を作って、食べる米もなにもない、いったいどうなっているんだと、質問してごらんなさい。たちどころに返答が返るでしょう。われわれは生活のために働いているのではありません。革命のために働いておるのですと、はっきりと返事がかえってくるでしょう。われわれはそういうふうに質問うけたらそういうふうに答えるように学習し、暗記しているのです。」こう言っています。
みなさんマスコミの報道だけで、その裏に秘めたものがわかりますか、わからないでしょう。私は見てきたんです。私は聞いてきたんです。こういう現状がどういうことか、判断できますか?あなたがたは判断できないかもしれない。僕でもできない。
僕の知り合いはね、上海うまれ、上海育ちで、中国語べらべら話す、だから上海へ行って来た。中国で行われているインチキを全部、僕に話してくれました。言葉は自由自在だからいかにインチキであるかということも全部わかるわけであります。時間が十分ないから、全部申しあげられませんが、こういうことは素人が行ってもわかりません。
佐藤先生はね、廖承志からあらゆる便宜をはかるから北京に来てくれと、最高の礼をもって招待されたことがあるんです。それに対して、私はこう答えました。「あなたたちが見せたいというものは、見ないというわけじゃないが、そんなところは、俺は見たいと思わん。なぜなら、俺は中国に何十年も住んでおったからね。それよりもね、どんな立派な農村でもいいから農村に二年間住まわせてくれ。その条件なら、俺はいっさいの仕事をやめて中国に行くからと書いてやった。」と俺は書いてやった。そしたら「お前には見せられない」と回答があった。佐藤先生には見せられんよ。なんでもわかるから。しかし、俺は何も中国にあらさがしに行くんじゃないよ。僕は中国とどうしても仲良く一緒になりたいという気持ちがある。それで行くんだけれどもね、嘘と嘘ではね仲良くできないんです。今のような嘘をつくような中国事情では日本と仲良くすることはできないんです。なんぼ貧乏でも、なんぼ貧乏な国でも、ありのままの中国と日本は一緒に生きていかなきゃあいけないんです。嘘をついた中国と一緒に生きていくことはできないんです。
見てごらんなさい、中国から石油も来ないじゃない。大豆も来ないじゃない。日本に入って来ないでしょ。朝鮮にも石油行かんでしょ。世界一の大豆の産地なのに、大豆が日本にもう入ってこないでしょ。なぜでしょう。中国国内で、いろんな問題おきているわけです。ようするに、現在の中国大陸では誰が正しいのか、誰が正しくないのか、何が真理で、何が真理でないのか。どれが嘘でどれが本当なのか誰にもわからないのです。この価値基準がないということが、派閥闘争を無原則な闘争に駆り立てているんです。
毛沢東さん亡くなったら、ものすごいことになりますよ。ただし、この動乱の規模は軍隊の参加の使用によって、ピシャッと治まるかもしらんし、どうなるか、それは予想できない。軍隊の動きによって動乱がどうなるか、決まるわけです。ですから必ずしも、大動乱になるということにはなりませんが、天下大動乱のきざしはある、こういうことであります。
この中国大陸では、価値基準がないということから、北京の天安門事件がおきて当然なわけです。こういった事件が起きると、命にかかわってくるんです。鄧小平なんか、負けたら命にかかわるんです。あのくらい高い位の人でも一夜にしてだめになってしまうんです。天安門事件は、自然発生的に起こったんですよ。それでも、この機会を利用して、これをやらしたのは鄧小平、おまえだと言って鄧小平をピシャッとバチッと抑えてしまったんです。天安門事件は、鄧小平やるためにですね、利用したんです。間違いないと、私はそういう判断をしています。残念ながら、この事件は、私自身が現場を見てきたわけではないからよくわからない。しかし、毛沢東一派は鄧小平をおそらく殺したいんです。しかしね、彼らは今、様子を見ているんです。鄧小平の部下が一杯おるから様子を見ていて、部下たちの反応を見ていると私は思います。
さて、いよいよ時間がせまってきました。いいですかもうちょっとがまんして聞いてください。あの、授業あるひとさぼったらだめだよ。授業あるひとさぼらないで、授業に出でちょうだい。僕は今日、出欠とらないから(笑い)。さて、いつも言っていることですが、毛沢東さんは、確かに優れた人ではあったんです。拓大のゼミでは何度かお話しました。しかし、今回は皆さんにお話しする機会なかったけれども、毛沢東は若い時に、素晴らしい青年時代をもったひとです。俺がいなければこの中国はどうするだろう。この気持ちでいっぱいでした。まあ、すばらしい努力をしました。血のにじむような努力をして、中国を愛する気持ちを爆発させて、結集して中国を救うことに専念した人であります。
ところが、さあ、ポストについてからは道を誤った。あの人はやはり秦の始皇帝だと思います。結論から言うと、毛沢東という人は、近代革命の本質を知らない人です。中国の近代革命というのは、アヘン戦争から近年まででありますが、それまでの中国は何回も、何回も革命をやりました。ところが、専制体制、独裁体制そのものを倒すことができなかった。これが中国の革命であります。革命は何十回となく繰り返したが、独裁体制そのものを倒すことはできなかったのです。ところが、アヘン戦争以後の革命は違う。近代民主主義の目標は、専制体制、独裁体制そのものを倒そうというのが近代革命の本質であります。にもかかわらず、毛沢東は秦の始皇帝以上の独裁体制を続けております。毛沢東の独裁体制が続けば続くほど民衆がめざめて、立ちあがってそうしてこの独裁体制をやっつけようとする力を養っているおるわけであります。ついには、毛沢東の独裁体制が民衆の目覚めの力によって打倒される日が必ずくると思います。中国の革命は、まだまだこれからであるというのが私の結論であります。繰り返しますが、毛沢東は、近代革命の本質を知らない。そうして独裁体制を続けておる。この独裁が強まれば強まるほど反抗が強まって民衆が目覚め、立ち上がる力が強くなって、そしてついには共産党のあの独裁体制を倒す。これが中国の近代民主主義革命の方法であろうと私は信じております。
« 佐藤慎一郎先生講演会 派閥闘争と毛沢東の思想(5) | トップページ | 佐藤慎一郎先生講演会 孫文を助けた二人の叔父に見る士としての生き方(7) »
「随筆」カテゴリの記事
- なぜ、戦争が起きたのか?(2016.08.21)
- 関門トンネルを歩く(2016.07.20)
- 巌流島を訪れて(2016.07.20)
- 詩:村の子供は、今どこに(2016.07.20)
- 強制連行、徴用問題の歴史認識(2014.04.22)
この記事へのコメントは終了しました。
« 佐藤慎一郎先生講演会 派閥闘争と毛沢東の思想(5) | トップページ | 佐藤慎一郎先生講演会 孫文を助けた二人の叔父に見る士としての生き方(7) »
コメント