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2010年3月 6日 (土)

米ってお金?

 

昔は、お米がお金だった。そんなことはない、昔から貨幣というものがあったではないかというかもしれない。貨幣そのものは、商人や異種業種間では活発だったが、農民にとってどうしてもなければならないものだったかどうかは疑問だ。

 

 

 

なぜなら、農家はほとんど自給自足で貨幣経済に頼る必要がそれほどなかったはずなのである。少なくとも50年前の東北の一寒村では、一部そうだった記憶がある。畑でとれた大豆を煮て、味噌をつくる。農家だったので、漬物部屋まであった。ほとんどが自給自足だった。どうしても手に入らないものもあった、山地だったので、肉、魚、砂糖、塩や調味料など、それらは貨幣に頼らざるをえなかった。しかし、手持ちの金がなくとも、場所によっては、お米を2合とか、3合をもって物々交換のように商品を買いにいった覚えがある。お金を持っていかないで米で買うのは、とても恥ずかしいことのように思えた記憶がある。いま思えば、それが古い時代は、あたりまえだったのだろう。

 

 

 

一人の人間は、生きて行くうえで、一日どれくらいのお米を必要とするのだろうか?昔は、米が主食で、菜っ葉、汁、小魚くらいで食べたと聞いているから、3合ぐらいだろうか。1合が160グラムで3食だと、約500グラム。500グラムで365日だとすると、約180キログラムとなる。 一俵が60キロだとすると、だいたい3俵あれば、一人で充分食べていけたことになる。

 

 

 

仮に土地を10アール(一町の10分の一)もっているとすると、10アールでは、現在では12俵ほど取れる場合もあるが、品種改良や肥料が入手できかねる昔は、8俵収穫できるかどうか。半分は税金でもっていかれると手元には4俵しかのこらない。これは自作農の場合で、小作の場合は、さらにこれから差し引かれ、必要なものを米で買えば、さらに減ることになる。そう考えると、収穫高で一人分は一年間なんとか食えたとしても、家族全員を養うことなど不可能に近い。まさに極貧に近い状態となる。充分な耕作農地がないということは死活問題だったかもしれない。いま会社員で、給料をもらっているが、この給料のうちの半分を税金でとられたら、自分の生活はどうなるだろうかと考えたほうが身近だろうか。

 

 

 

少なくとも、鎌倉時代から江戸時代までは、40%~50%の税金は普通だったと司馬遼太郎の本に書いてあった。ところが貨幣経済となり、文明開化とともに米で払っていた税金がお金で払うようになってしまった明治以降からは、農家もお金が必要になってきた。現在では、手段であったその金が、金融とか投機という形で一人歩きするようになり、一国の経済をも左右にするだけの力を持つようになっている。

 

 

 

資産という目に見えるはずだったものが、経済というお金の動きのなかで、目に見えない悪霊になりつつあるのである。米は主で目にみえるものだった。昔も目に見えないもので手形や証文があった。しかし、手形や証文が主となったことはない。ところが従であるはずの道具であるお金が、主である現物にとってかわり主となり、拝金主義が横行しはじめたのである。見えているお金より、見えないお金が経済を動かしていることを考えると、いままでの簡単な経済に比べると、より、複雑で困難な社会になったといえるかもしれない。

 

 

 

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