柔道、鬼の木村の思い出
拓殖大学の教養課程だったと思う。スポーツで柔道の単位をとった。木村さん(1917年生まれ)はあの頃何歳だったのだろう。かなり高齢だったとは思う。大木に帯を巻いて一日千回打ち込みする、鬼の木村の話は勇名だ。プロレス全盛時代に力道山とタッグを組み、最後は力道山と勝負をし、引退したことなど伝説の人だった。 すごく大男だと想像していたが、肩幅は広いが、それほど背は高くなく、足も短かった。身長が170cmより小さいくらいで、いわゆる将棋の駒に足をつけた体格と言ってよいだろうか。デモンストレーションで指名されて、私が木村十段を投げることになった。基本どおり、相手の右襟をつかみ、右手で巻き込むように腰に背負った。たぶん、投げるときの左の引きつけが甘そうに思えたのだろう。腰に乗った時点で「おー、危ない、危ない」と苦笑いしながら、投げられてくれた。 今思えば、160cmくらいの私が将棋の駒のような大柄な体格の人を投げるのである。安全であるはずがない。背負い投げの際、頭の頂点の位置と畳の間は少ししか空間はなかったのではなかろうか。 一通り、形の稽古が終わると、雑談に入り、「私は今でも、酒は、一升は軽い。2升飲んだらやっと酔うかもしれない」と話していた。 木村さんも1993年に亡くなったと聞いている。もっともっと柔道の思い出が聞けなかったのは少し寂しい。
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