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2010年1月31日 (日)

食べ物の保守性

 

しばらく外国へ行って、日本に帰ってくると、あれほどあこがれていた和食の味が、期待したものと違っていることがある。なんというか、味がないのである。味はあるのだが、無味に近く感ずる。

 

暑い国というのは、辛いものや、香辛料のきいたものでないと、食欲が増進しないわけだから、どうしても辛味のついた食事が主流だ。和食に慣れ親しんできた日本人にとっては、食物本来の味をそこねないように料理するあっさり系の和食は、欠かせないものだが、外国で香辛料に慣れた舌がすぐもとにもどっってくれるわけではないので、和食がどうも無味な味に思えるのだろう。

 

仕事がら、いろんな国の人と出会ったが、食べ物に関して保守的な民族というのは、いることは確かだ。特にインド人とアラブ人。もちろん、人によるので全ての人にあてはまるわけではないが、たぶん統計をとると、そういう人が多いという結果になるのではないだろうか。以前、仲間からこういった話を聞いたことがある。インド人がベジタリアンだということで、高級レストランで精進会席料理を用意したところ、箸を少しつけただけで、ほとんどのインド人は残して食べなかった。店では、苦心して材料をそろえ、作った料理をまったく食べてもらえなかったということで、憤慨したとのこと。ここまでくると、文化の違いというより、アレンジした人のがっかりした顔が目に浮かぶようだ。そういった面では、アラブの人も似ていて、居酒屋で和食をだしても、あまり喜んでくれず、トルコ屋台のケバブは、次から次へと注文し、これこそがアラブ料理だ。おいしいだろうというような顔をする。

 

食も文化であるなら、日本食を喜んでいただけないのは、文化を理解してもらっていないようで、ひたすら残念だ。

 

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