「古典といわれる本を大量に読んでやろう」と思いたち、
比較的短期間(数年以内)に50冊以上、読んだ人に質問です。
(研究者が研究のために読んだ、というケースはダメです)
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
よろしくお願いいたします。
[1]中学一年生の夏休みに本格的の読書を始めました。思春期になって教養みたいな物を欲するようになりとにかく読みたくなったのですが、何を読んだらよいか分からなかったので、今に続くキャンペーンの「新潮文庫の100冊」を読破するという目標を立て、年末には読了しました。(その当時は今のセレクションよりも現代作家がずっと少なかったように思います。)これを通して外国文学と東洋思想に興味を持ち、岩波文庫の赤帯(中国文学を含む海外文学)と青帯(日本思想・東洋思想・仏教・哲学・歴史・地理・宗教・自然科学)を手当たり次第読み進みました。(もちろん同時に流行物や現代作家、大量のSFも読みました。岩波文庫を読み進めたのは岩波現代文庫と別れていて古典のみのセレクションだったのでわかりやすかったからです。)高校に入ってからは、理解出来なかったにもかかわらず平凡社の東洋文庫や父が持っていたハードカバーの日本思想大系(岩波のもので、筑摩の「現代思想大系」ではない)も読み進めました。(これはきつかったです。)高校卒業時点で古典は少なくとも500冊は読破(理解や記憶しているではなく)したと思います。
新潮文庫の百冊 http://100satsu.com/
平凡社 東洋文庫 http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/series.toyo/
[2]その当時(中学〜高校)は思春期ゆえにニヒリスティックだったので「荘子」は影響が大きかったですね。
[3]あの「資本論」がロマン主義的に感じられたのが印象に残っています。
[4]「古典といわれる本を大量に読んでやろう」としていたのは思春期の頃で、その頃特有のニヒリスティックな気持ちに合う物(文学ならば、ツルゲーネフ、ボードレール、フロベール、サルトルやカミュ、思想ならば荘子、ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデッガー、サルトルなど)を肯定的に読み進めるうちに、随分と偏屈なガキになっていったように思います。
現在では、理解や記憶は十分ではなかったけれども色々古典を多く読んだ事自体が、自分に対する信頼の基礎の一部になっているように思います。そして、自分や人が考えることの殆どは既に前人が考えていた事だと感じているようになり、事物の本質は普遍的な場合が多く感じようになったので、流行や時流に流されたり取り残されたりすることなく、それを恐れることなく上手く乗ったり避けたり出来るようになった思い、気持ちが安定して不安がすくなく、考えや感じ方にブレが少なくなったように思います。(あー、この項はちょっと言い過ぎかも。)
[5]最初のとっかかりが難しいと思います。古典といっても文学から思想、芸術、科学などなど幅広いので。この時に自力で好きな方向を見つけて読み進めてゆくのもいいですし、誰かにセレクションしてもらった物を分野を問わずに全部読んでみるというのも良いと思います。
岩波文庫の話をしたのでそれを例に取ると、前者にはとにかく勘で自分が面白いと思う物を一つ探し出した後に、その本の一番最後にある関連書籍の紹介にある物を芋づる式に読み進めていったり、「本との出会い診断」http://www.iwanami.co.jp/deai/index.htmlで好きな方向を読み進めてゆくのはどうでしょうか。後者ならば「岩波文庫フェア」でセレクトされている物を読破してみるなんてのはどうでしょうか。2005年春の岩波文庫フェアのリスト http://www.bunkomania.net/2005/06/post_501.html
読み方に関しては色々なテクニックがあると思いますが、いつでもどこでも本を手に取れるようにしておくと私の場合は良かったです。というのも、どうしても読みづらい本とかがあるので、そういうもは長期戦で他の本と並行して少しずつ読み進めてゆきます。そういう難物は、例えば食卓とかトイレ(笑)とかに置いたり、カバンに入れておいたりして、ちょっとした時間に読み進められるようにしておきます。一気に読みたい本は他の読書中の物を差し置いて読んでしまいます。また、とばし読みをしたり、途中でやめたりなんかも気にしないでやります。つまり、あまりこだわらずに読んでゆくと私の場合長続きするようです。
内容の良くない本や読み返すことがないと思った本は割と処分してしまう方ですが、しかし、途中で挫折した古典に関しては処分せずに取っておくようにしています。古典の場合、途中でやめてしまった物でも後で読むことがやはりあるので。残念ながら、それは人との話にその作品が出てきた時に悔しさからリベンジする場合であることがおおいので、あまり格好がいい物ではないんですけど。
また、仕事をするようになって忙しくなってしまってからは、読書に限らず何をするのでも小さな時間をいかに拾うかが勝負になるように思います。読書に関してはベッドの脇とか、仕事机とか、お風呂などに、そこで読書に使える時間や雰囲気にあった本を置いて並行して少しずつ読み進めると、結構読めるように思います。こういう読み方ばかりしていていると欲求不満がたまりますが、夏休みなどの長期休暇の時に旅行に行って旅先で休む時などに通読することで晴らしているような感じです。
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
高校時代です
[2] どの本が良かったですか?
三国志
どれが最悪でしたか?
三島由紀夫
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
源氏物語
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
少しは成長したかも知れません。
大きな変化はないです。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
一度はやったほうがよいと思います。
無駄な時間の浪費ではないと思いました。
ありがとうございます、たいへん参考になりました。
「三国志」の良かった理由と、三島由紀夫が悪かった理由は、ぜひ伺いたいですね!!
あと、源氏物語はどう印象が変わったかも。
もしよろしければ、再回答をいただけるとうれしいです。
いまどき、古典をたくさん読むような方は貴重ですので。
[1]18歳ころから本格的な「名著」を読み始めました。
[2]最良 ツァラトゥストラはかく語りき。春の雪。最悪 クリスマス・カロル
[3] ヘッセの詩集が意外に良かったという発見がありました。
[4] よく言えば論理的、悪く言えば理屈っぽく決断力がなくなったように思えます。
[5] やるなら本格的に幼少時から、免疫をつけまくって見識や洞察力、判別能力をつけること。
batti55様、ありがとうございます!!
いまさら幼少時には戻れないのが悔しいところ・・・。
あと「クリスマス・カロル」が最悪、というのもちょっと興味を惹かれました。
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
20代前半から4,5年で、海外の古典を重点的に読みました。高校までは日本のもの中心に、大学時代は日本と海外の文学を両方読み、日本の作品には情緒を感じる一方、海外の方がストーリーを劇的に面白いと感じる作品が多かったので、ここはひとつ積極的に攻めてやろう、と思いました。
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
良かったのは多いです。
・トルストイ 『戦争と平和』
・シャーロット・ブロンテ 『ジェーン・エア』
・モーム 『人間の絆』ほか全作品
・メリメ の短編集
など、書ききれません。
最悪ではなかったけれど、『レ・ミゼラブル』は世間一般の評価よりは断然低いレベルの出来だと思いました。
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
トルストイの作品は、思っていたよりも読みやすく、驚きました。
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
自分自身はあまり変わりません。好みとして、イギリス文学が好きだということに気付いたぐらいです。
が、知識は豊かになったと思います。映画などを見ていると、古典の一場面を隠喩に使ったりしていることが多いのですが、解説を見なくてもそれが理解でき、人に説明できます。(たとえば、ブリジット・ジョーンズの日記がオースティンの『自負と偏見』を意識している、とか。)
また、『千夜一夜物語』など、欧米系以外の古典?を読むと、アラブが身近に思えたりします。
日本を含め、世界の古典を読むと、個人の価値観は時代背景と産まれた場所に左右されることをつくづく感じます。共感できるものもできないものもありますが、今この時代の日本で一般的だとされている価値観は絶対のものではないことを肝に銘じつつ、その中で自分だけの価値観・生き方を模索したいなあ、と思ったりはします。古典を読んだことと関係があるかは微妙ですが。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
時間がかかっても、とにかく読むこと。
面白くないと思う部分は飛ばして読んでいいと思います。面白くないのは読者のせいではなく、作者の責任ですから。
回答ありがとうございました。
>>ブリジット・ジョーンズの日記がオースティンの『自負と偏見』を意識している、とか。
へぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーー!!
そう言うれると、オースティンを読みたくなりますね。
あと、[4]の答えも深いモノがあり、最高でした。
さすが古典をたくさん読んだ人は言うことが深いです。
ありがとうございます!!
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
25歳位の時に一年間で毎日一冊をノルマにして読みました。哲学、思想、文学がほとんどです。基本的に文庫本で読みました。
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
中野重治の作品が良かったです。
トルストイの『アンナ・カレーニナ』です。つまらなくて、三巻本の上巻だけ読んで途中で投げ出しました。
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
ドストエフスキーですね。読む前は「名作ぞろいだ」と意気込んで臨みましたが、読んでみると冗長さが目に付くようになりました。嫌いではないですが、やはり無駄に長いです。
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
中学くらいからあまりに本を読んでいなくてコンプレックスがありました。それがあるていど解消されました。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
二三冊平行して読んでいくと飽きなくてよいですよ。時間がとれるなら、年齢は関係ないですね。
haecceitas様、ありがとうございます!!
すばらしい一年ですね。うらやましい。自分もそうすれば良かったです・・・。
[5]のアドバイスもユニークで、参考になりました。ありがとうございます。
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
高校時代に、2週間ほどで日本文学全集およそ50冊を読破しました。親の田舎にいて、あまりにも暇で他にやることがなかったので。
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
良かったのは芥川龍之介。
最悪だったのは田山花袋です。
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
「蟹工船」ですね。非常に暗くて重たいものと思っていたので、スプラッタ映画のようなノリと、やたらと読みやすいことに驚きました。
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
特に変わらないような気がします。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
思い立ってすることではないようなことではないと思いますが、やるなら色々な系統の本が混じっていると飽きないのではないかと思います。
phimerdin様、ありがとうございます!! すごいですね。
「蟹工船」は、古典ですが、僕もすごく面白く読みました!! 「カムサッカ体操」は想像するだに恐ろしいです。
当時、スキャンダルになったというのもうなずけます。
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
大学時代を含めて5,6年はかなり読みました。ペースは落ちてますが、その後もさらに読み続けています。
安部公房、ドストエフスキ、カフカあたりから始まり、ヘンリー・ミラーやガルシア・マルケス、サミュエル・ベケットなどちょっと特色のある文章を書く人の作品をメインに読みました(読んでます)。結果的に海外の作家が多いですが、国はまちまちです。
あとは、その派生というか予備知識として、ロラン・バルト、フェリック・ガタリ、マルティン・ハイデガーなどの哲学系やワシリー・カンディンスキーの美術理論書などです。
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
良かったもの。
安部公房:「箱男」、サミュエル・ベケット:「ワット」、ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」など
最悪なもの
最悪とまではいかないですが、ヘッセ:「デミアン」ヘッセの作品は読んだ中では「ガラス玉演技」以外はそれほどの作品とは思いませんでした。
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
ベケットを始めて読んだときはかなりの衝撃でした。こんな文章術があるのかと。そして、そこからさらに文学というか文章の表現力の幅広さを再認識しました。
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
考え方が柔軟になったという点はかなり変わりました。我々は我々が思っている以上に多くの自由があるというか、ありすぎるというか。最初に安部公房を読んだときには、自分の考えていた世界があまりにも小さくて、もっともっと何かがあるし、それを捉える方法論も多様だということを感じました。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
前の回答にもありますが、同時に数冊を読むのはかなりいいと思います。
それから、しばしば本屋さんをうろうろして、目に付く本は買ってみると言うこと。自分の好みの本を発掘するのはかなり困難で、ネット検索でも結構難しい。
dzd12061様、了解です。ありがとうございます!!
ベケットは名前くらいしか知らないのですが、読んでみたくなりました。
かなりハードな本の読み手ですね。脱帽です。
古典の本をたくさん読む人も思ったより多く、日本も安泰だとちょっと思いました。
[1] 何歳ごろに、どれくらいをかけて、どんな関係の古典を読みましたか?
中学1~2年のときに、教科書の最後に載っている文学年表の作品を片っ端から読みました。当時は一日一冊以上のスピードで本を読んでいたので、どうやって次に読む本を確保するかが大問題で、比較的ハズレのない選択肢として、文学年表に載っている作品・作者の本を目安にしていました。古典と並行して、軽いもの、新刊も相当なペースで読んでいました。
[2] どの本が良かったですか? どれが最悪でしたか?
中学生の感性なんで、ヘッセの『デミアン』なんかが気に入ってました。あとトーマス・マンやドフトエフスキーなど、ドイツやロシアの作家が好きでした。中野好夫さんのシェークスピアも。最悪というものはなかったですが、読んでる間に退屈と感じたものはたまにありました。スタインベック『二十日鼠と人間』あたりとか。今思うと、叙情的なものに惹かれていて、叙述的な描写が延々と続くものを退屈と感じたのじゃないかな、と思います(今読むとまた違うのでしょうが)。
[3] 読む前に比べて、かなり印象が変わった作品はありましたか?
なにしろ中学生だったもので、読む前の印象というのがなく、いつも白紙で本の世界に飛び込みました。逆に、あの頃読んだ本を今読んだら全然印象が違うんだろうな、というのはかなり確信を持って思います。引退したら読み返しをやってみたいですね。
[4] それらの本を読んだことで、自分がどのように変わったと思いますか?
多感な頃に読んだので、影響は受けたと思います。変わったというより、自分の基本的なところを作る一部になったという感じです。
分かりやすい影響としては、気が済むまで読んだので(+純文学な作家的価値観(笑)にかぶれて)、文学など役に立たんと言って理系に進みました。あのときの読み尽くし感がなければ、この選択はしなかったような気がします。以後、フィクションの類は読むようにはなりませんでした。その後何を読んでもあの頃の鮮やかな感覚は得られなかったので。今は、自分の専門分野と社会科学一般の専門書を資料として読みます。
あと、影響といえば、どんな難解とされる概念でも(それが言葉で表現されている限りは)ビビらず楽しめる、教養的態度のようなものが身についたと思います。
[5] 他の人がそれをやるとしたら、事前にアドバイスはありますか?
うーん、自分の経験から言って多読をオススメしたいですが、成長してからやるには時間がないですかねえ。せっかくやるなら思いっきりその世界に浸ってください。あ、読んでる間に退屈と感じたものはその後記憶に残らないので、思い切ってそこで閉じてしまってよいと思います。
czy00347様、ありがとうございます!!
「読んでる間に退屈と感じたものはその後記憶に残らないので、思い切ってそこで閉じてしまってよいと思います。」
というのは、自分の実感とも合っていて、共感いたしました。
[1]中学一年生の夏休みに本格的の読書を始めました。思春期になって教養みたいな物を欲するようになりとにかく読みたくなったのですが、何を読んだらよいか分からなかったので、今に続くキャンペーンの「新潮文庫の100冊」を読破するという目標を立て、年末には読了しました。(その当時は今のセレクションよりも現代作家がずっと少なかったように思います。)これを通して外国文学と東洋思想に興味を持ち、岩波文庫の赤帯(中国文学を含む海外文学)と青帯(日本思想・東洋思想・仏教・哲学・歴史・地理・宗教・自然科学)を手当たり次第読み進みました。(もちろん同時に流行物や現代作家、大量のSFも読みました。岩波文庫を読み進めたのは岩波現代文庫と別れていて古典のみのセレクションだったのでわかりやすかったからです。)高校に入ってからは、理解出来なかったにもかかわらず平凡社の東洋文庫や父が持っていたハードカバーの日本思想大系(岩波のもので、筑摩の「現代思想大系」ではない)も読み進めました。(これはきつかったです。)高校卒業時点で古典は少なくとも500冊は読破(理解や記憶しているではなく)したと思います。
新潮文庫の百冊 http://100satsu.com/
平凡社 東洋文庫 http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/series.toyo/
[2]その当時(中学〜高校)は思春期ゆえにニヒリスティックだったので「荘子」は影響が大きかったですね。
[3]あの「資本論」がロマン主義的に感じられたのが印象に残っています。
[4]「古典といわれる本を大量に読んでやろう」としていたのは思春期の頃で、その頃特有のニヒリスティックな気持ちに合う物(文学ならば、ツルゲーネフ、ボードレール、フロベール、サルトルやカミュ、思想ならば荘子、ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデッガー、サルトルなど)を肯定的に読み進めるうちに、随分と偏屈なガキになっていったように思います。
現在では、理解や記憶は十分ではなかったけれども色々古典を多く読んだ事自体が、自分に対する信頼の基礎の一部になっているように思います。そして、自分や人が考えることの殆どは既に前人が考えていた事だと感じているようになり、事物の本質は普遍的な場合が多く感じようになったので、流行や時流に流されたり取り残されたりすることなく、それを恐れることなく上手く乗ったり避けたり出来るようになった思い、気持ちが安定して不安がすくなく、考えや感じ方にブレが少なくなったように思います。(あー、この項はちょっと言い過ぎかも。)
[5]最初のとっかかりが難しいと思います。古典といっても文学から思想、芸術、科学などなど幅広いので。この時に自力で好きな方向を見つけて読み進めてゆくのもいいですし、誰かにセレクションしてもらった物を分野を問わずに全部読んでみるというのも良いと思います。
岩波文庫の話をしたのでそれを例に取ると、前者にはとにかく勘で自分が面白いと思う物を一つ探し出した後に、その本の一番最後にある関連書籍の紹介にある物を芋づる式に読み進めていったり、「本との出会い診断」http://www.iwanami.co.jp/deai/index.htmlで好きな方向を読み進めてゆくのはどうでしょうか。後者ならば「岩波文庫フェア」でセレクトされている物を読破してみるなんてのはどうでしょうか。2005年春の岩波文庫フェアのリスト http://www.bunkomania.net/2005/06/post_501.html
読み方に関しては色々なテクニックがあると思いますが、いつでもどこでも本を手に取れるようにしておくと私の場合は良かったです。というのも、どうしても読みづらい本とかがあるので、そういうもは長期戦で他の本と並行して少しずつ読み進めてゆきます。そういう難物は、例えば食卓とかトイレ(笑)とかに置いたり、カバンに入れておいたりして、ちょっとした時間に読み進められるようにしておきます。一気に読みたい本は他の読書中の物を差し置いて読んでしまいます。また、とばし読みをしたり、途中でやめたりなんかも気にしないでやります。つまり、あまりこだわらずに読んでゆくと私の場合長続きするようです。
内容の良くない本や読み返すことがないと思った本は割と処分してしまう方ですが、しかし、途中で挫折した古典に関しては処分せずに取っておくようにしています。古典の場合、途中でやめてしまった物でも後で読むことがやはりあるので。残念ながら、それは人との話にその作品が出てきた時に悔しさからリベンジする場合であることがおおいので、あまり格好がいい物ではないんですけど。
また、仕事をするようになって忙しくなってしまってからは、読書に限らず何をするのでも小さな時間をいかに拾うかが勝負になるように思います。読書に関してはベッドの脇とか、仕事机とか、お風呂などに、そこで読書に使える時間や雰囲気にあった本を置いて並行して少しずつ読み進めると、結構読めるように思います。こういう読み方ばかりしていていると欲求不満がたまりますが、夏休みなどの長期休暇の時に旅行に行って旅先で休む時などに通読することで晴らしているような感じです。
maxthedog様、これはまた本格的な古典読みの方ですね。ありがとうございます。すごく勉強になりました。まさにこういう方の回答を知りたかったです。
「いつでもどこでも本を手に取れるようにしておく」というのは、いちおう実践しています。大事なことですよね。
1.12歳から20歳にかけ(現実逃避のため)東西の文学作品を乱読。
2.ロマン・ロラン《ジャン・クリストフ》この年令でこそ読める大作。
有名だが虚しい作品、サルトル《嘔吐》、大江健三郎《奇妙な仕事》。
3.夏目漱石《吾輩は猫である》、年老いるほど面白く読める饒舌文学。
4.参考になり、影響を受けても、自分が変るほどの作品は存在しない。
5.青春時代には、古典文学の系譜を学んでから、少数の本を選ぶべき。
http://q.hatena.ne.jp/1150169214#a549187
良書三原則 ~ 読んだら捨てよ ~
http://q.hatena.ne.jp/1150169214#a551802
悪書三原則 ~ 読んでも語るな ~
adlib様、ありがとうございます。
夏目漱石は、年を取るほど面白いというのは、他の方もしばしば言いますね。もう一度読む価値があるのかな?
1.小学校中学年から中学校全般あたりで漱石から読み出しました。
あとは古典といっても間口が広いので、面白そうなものを思いつくまま選んでいきました。
2.芥川、特に短編は文章に無駄がなく、それでいておもしろいのですごいと思いました。逆に退屈だったのは谷崎潤一郎です。読んだ時期が小学生だったので若すぎたかも…
3.夏目漱石のこころとか、宮沢賢治の短編とかは大きくなったら急におもしろく思えました。
4.自分が本を選ぶ際の勘がきたえられた気がします。ずっと読むにつれて、はずれをつかみにくくなりました。
5.頭が固くならないよう、なるべくいろんな作家、いろんな国のものを読むといいかもしれないです。
second517様、ありがとうございます。
たしかに谷崎潤一郎を理解する小学生って、かえって困りものですよねえ。
夏目漱石の件は了解です。もういちど読み返してみたいです。
maxthedog様、これはまた本格的な古典読みの方ですね。ありがとうございます。すごく勉強になりました。まさにこういう方の回答を知りたかったです。
「いつでもどこでも本を手に取れるようにしておく」というのは、いちおう実践しています。大事なことですよね。