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2008年3月28日 (金)

そんなら、客でいたまえよ。――あるいは「学界とオーケストラ」――

 学界に身を置く研究者は、論文を送りつけてくる自称「研究家」には、多くの場合無視するか、よくても儀礼的な挨拶、あるいは皮肉やほめ殺しで体よくあしらうことが多い。これに対して不平不満を抱き、学界への怨み言をたらたら吐き続ける自称「研究家」も数多くいる。

 しかし学界と一般の人の関係は、実はオーケストラの団員と客の関係に似ている。

 オーケストラの演奏会では、舞台と客席とは完全に分離されている。演奏するのは舞台の上の団員だけで、客はせいぜい拍手を送るか、曲によっては手拍子をするくらいである。お座敷や盆踊りのように、客も歌い手も一緒になって騒ぐということはまずない。

 たとえどんなにすばらしい演奏の腕前を持っていたとしても、客でいる限り、勝手に舞台に上がって演奏することは許されない。 そんなことをすれば演奏会は台無しになる。そもそもオーケストラとはそれぞれの楽器が個性を発揮しながらも、 全体としての調和が取れた演奏をするものである。どんなに上手な人でも、オーケストラの中で好き勝手に目立とうとしたら、曲はめちゃめちゃになってしまう。だからオーケストラは一定のレベル以上の団員だけで演奏するのであって、誰でも好き勝手に飛び入りすることは許されないのである。

 客は曲がすばらしければ盛大な拍手を送るし、つまらなければ席を立って帰るのも、次から聴きに来ないのも自由である。しかしどれだけ下手な演奏でも、「何だ何だ、俺様の演奏の方がよっぽどうまいぜ!」と舞台に乱入し、団員の楽器を奪い取って演奏する自由というのはない。そんなことをすれば間違いなく外へつまみ出されることになる。それを見て「この人だっていい演奏してるのに、団員も頭ごなしに決めつけずにもっと謙虚になってはどうか」などと言う客が果たしているだろうか。

 どうしてもオーケストラの舞台に立ちたいのなら、厳しい練習を積んで団員になるか、それがいやなら自分で団を組んで演奏会を開くかどちらかになる。しかし後者の場合、ウィーン・フィルやN響と同じような注目を浴びることは当然無理である。せいぜい地元住民の間で評判になる程度の、分相応の注目で満足するしかない。


 学界もオーケストラと同じで、一人一人の研究者はそれぞれ独創性のある研究をするけれども、学界全体としてはこれまで蓄積された学識との整合性がちゃんと取れているのである。その調和を乱すような研究、たとえば先行研究を全く無視したり、基礎知識を踏まえないままで、自分一人だけで思いついたことを好き放題開陳するような研究は、よい研究とは認められない。

 もし研究者の発表する研究が気に入らなければ、その人の本を読まないようにするのも、批判するのも自由である。しかし自分が代わって「舞台」に立とうとすれば、学界からも、学問をわかっている「客」からも反発を買うのは当然である。学界が外部からの参入を容易に許さないのは、オーケストラと同じように、一定のレベルを保つことで、学問全体の調和を乱さないようにするためである。その代わり「客」を満足させられるだけのレベルの研究を提供できるよう、日々研鑽を積んでいるわけである。

 学問で「舞台」に立ちたいという場合も、オーケストラの場合と同じことがいえる。「客」でいる限り、ブーイングを浴びせようと、本を地面に叩きつけようと、その行為自体を禁止することはできない。しかし「舞台」に勝手に乱入しようとする迷惑な「客」は、有無を言わさず閉め出さざるを得ないのである。研究者は自分の研究が学界全体に資するかどうかを考えて仕事をするが、自称「研究家」は自分だけが目立って賞讚されることしか頭にない。 自分一人のために学問そのものがめちゃめちゃになることなど想像もつかないのであろう。少なくとも彼らの言動を観察する限り、そうとしか受け取れない。こんないい了見の持ち主を喜んで「団員」に迎える「オーケストラ」などあろうはずはないし、そう考えれば「学者は素人の研究も頭ごなしに否定せずにもっと謙虚になったらどうか」などというのがどれほどナンセンスかはもう明らかであろう。謙虚や傲慢云々の問題ではなく、単に「ダメなものはダメ」 と言っているにすぎないのである。

 どうしても「舞台」に上がりたいのなら、プロの研究者と同様に厳しい(独りよがりではない)研鑽を積むか、それがいやなら自分で学会を組織し、自分で雑誌を発行して「舞台」をこしらえることである。但し本物の学会と同じように注目されることなど当然期待しない方がよい。家族や友人知人に「すごい」と言ってもらえる程度の、分相応の注目で満足することである。楽をしていい思いをできる道など世の中にはない。


 土田世紀の漫画「俺節」に、確かこんな場面があった(ずいぶん前に読んだきりなので、細部は違っているかも知れない)。デビューを目前にしたロックバンドを率いるボーカルの羽田が、場末の酒場で偶然耳にした流し演歌にしびれてしまい、バンドを解散して頭を丸め、演歌の大御所・北野波平(誰がモデルかは言わずもがな)に弟子入りを志願した。波平の前で羽田に発声をさせてみせたボイストレーナーは「ジャンルは違っても歌は歌だ」と絶讚し、レコード会社のスタッフも「ひとつ育ててみませんか?」と勧めるが、波平は「お断りだね」と一蹴、演歌を歌おうとする動機に問題ありだと言う。抗弁する羽田に波平は

「そんなら、客でいたまえよ。
歌っているより、歌を眺めていたまえよ。」

と言い、羽田が思わず罵声を浴びせようとしたその刹那、波平は顔をずいっと近づけて一喝、

「声なら負けねえぞ!」

 このシーンの北野波平は実にかっこいい。私もこのセリフには素直に打ちのめされた。

 私は大御所でも何でもないから(よって私にケンカを売って言い負かしたところで、それで学界の風向きががらりと変わって自分になびいてくれるということは期待できない)、波平のまねなどおこがましいことこの上ないが、それは承知でやはり言いたい。「そんなに学界が不満なら、客のままで好き放題言ってたらどうです? 自分で研究をするより、研究を眺めている方がよっぽど気楽ですよ」と。


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