2007-06-21(Thu)
代理ミュンヒハウゼンな親を甘やかす国
里親委託が進まない理由のひとつに、そして最大の理由として、親権を持つ実親の反対があげられるの。
「里親委託は、実親が子どもをとられると思い、施設入所なら賛成する」と、いかにもわかりやすそうな理由を挙げる。
さらに、
「子どもの幸せを望まない親はいない」とかいう、愛情幻想も拍車をかけているの。
論理的に考えたら、「自分が育てられなかったら、育てられる人に育ててもらう」のが正しい愛情のあり方だと思う。
でも、子どもを施設に入れ続ける親は、自分の自己表現として子どもを施設に入れ続ける。
代理ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患がある。自分に同情を集めるために、かわいそうな自分を表現するために、子どもというツールを使う。
「子どもを(育てたいけど)育てられない親」という表現は、代理ミュンヒハウゼンな親を甘やかしてくれる。
「養護施設に子どもを預ける」という表現も、「子どもを捨てた」という罪悪感を薄めてくれる。
「子捨て」に集団ヒステリーを起こす幻想の国日本では、社会ぐるみで「子捨て」を隠蔽しようとするの。
中国残留孤児も、赤ん坊がいると足手まといになるから、「泣く泣く」中国人家庭に子どもを「預け」、大人だけが帰国した。その残留孤児たちの帰国運動は、戦後20年以上経ってから活発化してきたの。
大人になってしまった「残留孤児」たちを日本社会へ受け入れようとする運動に、養護施設だけで育った子どもを社会に適応させようとする日本社会を重ね合わすのは、乱暴かもしれないけど、国や社会の無策、無関心が「孤児」を放置している点は似ている気がするの。
この国は、赤ちゃんポストの「ポスト」という言葉が悪いとヒステリー状態となるの。「ポスト」が「ゆりかご」になろうと、赤ちゃんちゃんポストが「子捨て場」である事実は変わらないし、そもそも、ポストがあろうと無かろうと、子どもを捨てる親は捨てる。
そして、乳児院・養護施設は、子どもを捨てる親を擁護する施設となり、子捨て施設としての現実をごまかし続ける。
「預ける」というのは、せいぜい数ヶ月程度のこと。それを超えたら、子捨てだといっていいのに、社会は、自分たちの幻想のために、見たくない現実を見ようとしない。
養護施設は子どもポストだという現実には目を背け、「赤ちゃんポストは子捨てを奨励する」とヒステリー論争を続けるの。すでに捨てられている子どもたちがいるにも関わらず…