無視するのがいいという、ときどき見かけるシニシズムです。
女性議員が待機児童なんていない、と発言して批判されています。そういうご本人はワーキングマザーで、公式サイトにはひとことも「育児のために退職」と書いてありません。このように自身は「活躍する母」なのに、支持者の前近代的な価値観に迎合しておかしなことを言う人はいる。無視がいちばん
— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2018年1月26日
そう考える根拠として、
1. 企業社会などの現実世界では、差別主義者がある程度以上の
意思決定の場に上がれていないと考えられる。
2. 差別主義者はいくら議論しても意見を変えることがない。
議論するとこちらが嫌な思いをする。
3. 政府や自治体のパブリックコメントに意見を送るなど
意思決定の場に働きかけたほうがいい
としてます。
先ほどの記事も然りですが、成功しているビジネス・経済系の男性で男女平等熱烈推進の人は少なくない。SNSで性差別的なことを言ってる人を見るとちょっといやな気持になるかもしれませんが、リアルな意思決定層に、そういう人が上がれてるかは疑問。まともに相手しない方がいいと思う
— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2018年1月22日
なぜなら、相手をしても、差別主義者は考えを変えない。経営でも審議会でも表の世界では、そんなに差別的なこと言えない/言わなくなってきた。匿名でああだこうだ言ってるのは、意思決定に関与できてない人だろうな、と思うから
— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2018年1月22日
ゆえに、男女平等とか人種多様性への配慮とかを求める人は、SNSで変なの相手にするのではなく、自治体や政府機関がやってるパブリックコメント募集に、ご意見を書く方がいいです。あまり極端な意見ではなく、マイルドに「良い社会を求めてる人」のご意見は貴重。委員等には共有されてきます
— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2018年1月22日
例えば、保育園新設の是非も、SNSで戦っても「お互い嫌な気分」以外は生み出さない。むしろ、新設に関する市区の説明会に出かけていけばいい。「子育て中ではないけれど、保育園は必要と思います」とか何でも。とにかくSNSで変なの相手するよりリアルに動くことを勧めたい。
— 治部れんげ/ Renge Jibu (@rengejibu) 2018年1月22日
このようなシニシズムは、わたしは感心しないです。
それは以下の理由によります。
a. 差別主義者たちは、自分がだれからも批判されないことで、
「自分はなにを言ってもいいのだ」とフリーハンドを
得たと思って、ますますエスカレートする。
b. 歪んだ意見がネット上に氾濫することで、
適切なリテラシーを持つ情報を見つけにくくなる。
これによって歪んだ意見を信用する人が出てくる。
差別主義者たちはネットが始まったころから、
歪んだ思想を開示していたと思います。
「2ちゃんねる」(現在の「5ちゃんねる」)が
登場したことで、差別主義者たちが安心して歪んだ思想を
展開する場所が本格的に整備されたと思います。
これに対する最初のころに多く見られた反応は、
「あんな意見を信用する人はいないから、
放置したほうがいい」でした。
「相手をするとかえってつけあがる」とか、
「相手するとかえって目立つようになって悪影響」と言って、
相手にしないことを積極的に推奨する人もいました。
その結果だれからも批判されなくなった
差別主義者たちは「自分たちはなにを言っても
かまわないのだ」と安心するようになり、
エスカレートしていくことになったと思います。
かくして彼らが氾濫させるリテラシーの低い情報が、
独り歩きするようになり、適切なリテラシーを持つ意見を
参照できなくなって、差別主義者の歪んだ意見を
信用する人も増えていったと思います。
日本における安倍政権の誕生や、
アメリカ合衆国におけるトランプ政権の誕生など、
気がついたら、彼ら「オルタナ右翼」たちは
政権を擁立するまでの影響力を持っていたのでした。
「オルタナ右翼のイデオロギー」
「オルタナ右翼の政治的手法」
「オルタナ右翼のプロフィール」
「オルタナ右翼の発信源日本」
ヒトラー・ナチスが勢力を得て政権を獲得した背景には、
「あんな歪んだ主張を真に受ける人はいない、
放置していれば、いずれだれからも支持されなくなる」という
軽視ないし楽観もあったのでした。
現代の「オルタナ右翼」に対しても、
彼らを放置することで、ヒトラー・ナチスと同じように
強大な勢力を持つ可能性があると言えるでしょう。
初期のころはともかく、すでに放置するとかえって危険な
レベルにまで成長していると思います。
「差別主義者の意見は、それがどんなに馬鹿げていても、
積極的に対処をする必要がある」という姿勢は、
人権問題や反差別にかかわる人たちのあいだで、
いちおう理解されたように思っていました。
それでもまだまだ最初のような
「差別主義者なんて放置すればいい」というシニシズムを
主張する人は一定数いるもののようです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)と
対話したくないかたはしなくてよい、
というか、むしろしないほうが
いいと思います。
反対派(非共存派)の相手を
することで神経をすり減らしたり、
貴重なリソースをつぶしたりしたら、
本末転倒だからです。
反対派(非共存派)の対処は
必要だけど、だれもがしなければならない
わけではない、ということです。
いまの選択的夫婦別姓を求めるかたたちは、
さいわいにして、反対派(非共存派)に
こびを売ったりしないと思います。
そんなことをしても無意味どころか
有害だと、わかっているからです。
むかしの選択的夫婦別姓の推進派は、
残念ながらそうでもなかったです。
反対派(非共存派)の機嫌を
損ねないようにして理解を得ようという、
不毛な努力をする人たちもいました。