日本会議の活動の中心は「オンナコドモは黙っていろ」についてです。
「菅野完さんの、日本会議がやってきたことは『女子供は黙ってろ』運動だ」
(はてなブックマーク)
『日本会議の研究』の著者が記者相手に、日本会議の本質についてお話すると、
いちばん理解しないのが、日本の中高年男性の記者です。
その中でも左派のかたほどなかなかしないのでした。
「日本会議の本質はおっさんのミソジニー」ということを
最後まで理解しないのが、世代&ジェンダーべつでは
中高年男性というのは、ある程度はやむをえないのでしょう。
中高年男性は既得権益者ゆえに、彼らの思想やカチカンは
社会全体に受け入れられやすいです。
それゆえ自分たちの思想やカチカンを普遍的、絶対的と思いやすく、
客観視や相対視する機会が少なくなるからです。
ここまで話すると、女性記者と30代以下の記者と外国メディアの記者は本当に見事なまでに、「あああ!!目からうろこが落ちた!」という顔をされる。しかし、おっさん記者は全然気づかない。だから更に重ねる。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
イデオロギーべつでは左ほど理解が遅い(理解したがらない)
というのは、どう考えたらよいのかと思います。
わたしにもはっきり言えるお答えがないです。
さらに続ける。「と、考えると、彼らが今改憲議論で、『緊急事態条項』と『家族条項』にこだわる理由もわかるでしょ?緊急時には女子供はすっこんどれと。家族の言うことを聞けと。」と。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
ここまでくるとほぼ90%の人が理解してくれる。だが、最後まで理解できないのは、左派のおっさん記者
あ。最後まで理解しないのは、左派系メディアのおっさん記者だけでなく、週刊誌メディアの人の中にもたまにいる。前者の場合は、「いや、そんなことはない、自民党は国家神道の復活を目指しており。。。」とか明後日なことを言う。後者は、最後まで「それの何が悪いの?」って顔をしている。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
週刊誌メディアの人が最後まで理解できないのは、職業柄だから仕方ないと思う。だってそういうメディアなんだから。「日本会議って『ニッポンのオッサン会議』なんすよ?」って話しても「いやー困ったな。うちはそのオッサンが客なので」って話なんでね。だから不思議なのは、左派系メディアの頑迷さ
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
ほかでは左派的でリベラルな思想を持っていても、
家族やジェンダーに関してはやけに因習・反動的だったり、
みょうにミソジニーだったりする男性識者は珍しくないです。
むかしツイッターミスコンテストを擁護する論陣を張った
小倉秀夫弁護士なんてその見本だと思います。
そういうかたであれば、自分の中の「ミソジニー」と向き合えないとか、
向き合いたくないということはありそうです。
「ふたたびミスコンの議論」
『日本会議の研究』の著者自身、自分の中のミソジニーに
気がついてから、「日本会議の本質はミソジニー」ということに
気がつくことができたと語っています。
まあこんな偉そうなことを言ってるけども、2年前の僕ならこの理屈に気づけなかった。自分がいかにクソか、自分がいかに人を傷つけるかを直視せざるをえなくなり、自分を変えようと、持ち金全部はたいて、カウンセリングに通い、病院に通い、専門家に助けを求めたから、自分のミソジニーを理解できた
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
ある種のリベラル・左派は本気で社会を改善しようというより、
自分のステータスや格好付けでやっているのかもしれないです。
そうだとしたら、くだらないとされている
「オンナコドモのこと」なんてステータスにならないと思って、
なおさら興味を持たなくなりそうです。
「そんなことよりも、9条ガー 国家神道がー」なんて
言い返す左のかたもいるとありますが、これはまさに
「政治とは天下国家を語るものである」という発想です。
いくら口すっぱく「右派運動って考えるのやめたらだろうでしょうね?あれは、壮大なるミソジニー運動だしマチズモ運動ですよ?」と伝えても、左の人は理解してくれない。そして最後には「だとして、だから何が問題なのか?」という。「そんなことよりも、9条ガー 国家神道がー」となる
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
「思い込みが激しい」という指摘もあります。
ふだんから右翼イデオロギー問題に関わっていると、
「日本会議はこういうもの」という認識が固まって、
固定観念から離れられなくなるということかもしれないです。
最後に。。。。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
女性・30代未満・外国メディアの記者を除き、今書いたような話を順序だてて話をしてみて、最も早く「あ、これ、ニッポンのオッサンだ」ってことに気づけ記者が、読売の記者だということを、付言しておきます。
みんな思い込み激しすぎなんだよ。
ふだんこの問題に関わっていなくて、知識が少ない人のほうが、
固定観念にとらわれず自由に考えられる例になりそうです。
いくつか考えつくことを並べてみましたが、
ここでお話した「左ほど理解したがらない」ことについては、
わたしはそれほど自信を持って言えることではないです。
これについては、今後の課題ということになりそうです。
関連エントリ:
「日本会議・ミソジニーの本質」