2014年05月26日

選択的夫婦別姓のまとめ(3)

5月19日エントリと5月21日エントリの続きです。
まとめで取り上げられている反対派の主張を見て行きたいと思います。

「選択的夫婦別姓のまとめ」
「選択的夫婦別姓のまとめ(2)」

「「選択的夫婦別姓」反対派・賛成派がよく挙げる理屈の矛盾・問題点まとめ」

つぎの反対論はこれです。
「日本は伝統的に夫婦同姓の国だ!伝統を尊重しろ!」
これも選択別姓の反対論としては「古典的」で、言い古されています。
「伝統」が出てきた場合、伝統を懐疑する3つのポイントがあったのでした。

「伝統回帰論への懐疑」

それは
1. それは本当に伝統なのか?わりと新しめではないか?
2. その伝統なるものの利益は万人が享受できたのか?
誰かを犠牲にしていなかったか?
3. ほんとうに帰れるのか
です。

1. 日本が夫婦同姓になったのは、明治の終わりのほうになってからです。
ヨーロッパ各国の民法を参考にして、イエ制度を整備したことによります。
夫婦同姓となったのは、たかだか100数十年程度の歴史しかないし、
しかもヨーロッパから輸入したものであるということです。
とても「日本の伝統」とは呼べないものだろうと思います。

「夫婦同姓は日本の伝統?」

江戸時代までは「氏」と「姓」が区別されて別の概念でしたし、
サムライ以外の大多数の庶民は、苗字を名乗る習慣がなかったのでした。
苗字概念がいまのようになったのは、明治のはじめに
近代的な家族制度を整備しようとしたことによります。
現代的な意味での夫婦同姓や夫婦別姓が、そもそも明治以降のお話ということです。


2. 現在、婚姻届けを出すカップルの96%程度において、
夫の苗字が選ばれ、妻が改姓しています。
ここには女性に結婚改姓の圧力があり、女性の非改姓権の犠牲のもとに、
夫婦同姓の強制が成り立っていることは言うまでもないことです。

3. 夫婦同姓の強制は現行法ですから、「ほんとうに帰れるのか」のかわりに
「ほんとうに維持できるのか」を考えることにします。
これももう前世紀から、結婚改姓の不便や負担を感じるかたはいます。
通称使用や事実婚でしのぐ限界も繰り返し指摘されています。
選択別姓の必要性なんて、さんざん議論され尽くしていることです。

夫婦同姓が強制されるのは、世界中でもほぼ日本だけという
国際的に取り残された状況にあることや、女子差別撤廃委員会から
繰り返し勧告されるという現状をかんがみても、
いますぐ民法改正して選択別姓を認めてしかるべきでしょう。
すでに遅すぎるくらいだと言えます。

こうして見ると、夫婦同姓の強制というのは、
1. ヨーロッパから導入したもので「日本の伝統」ではないし、
日本に定着したのも、明治以降でわりあい歴史が浅い。
2. 女性の非改姓権の犠牲の上に成り立っている。
3. いますぐ選択別姓を認めてもすでに遅いくらい、同姓強制は現状に合わない。
ということになるでしょう。
「日本の伝統」ではなく、犠牲があって不健全だし、時代遅れということです。


反対論者たちは、なぜに金科玉条のように「伝統だ」と言えば、
無条件にそれを維持するべきだと思えるのかがわからないです。
人間のために伝統があるのであって、
伝統のために人間があるのではないからです。

伝統には悪いものもいくらでもありますし、
悪しき伝統は積極的になくしていってしかるべきです。
そんなに同姓強制を続けたいなら、「悪しき伝統」を
あえて維持する理由はなんなのかを、しめす必要があるでしょう。

選択別姓の導入を望むかたたちは、結婚改姓すると
さまざまなことで不便をきたすといった、自分の生活のためです。
「伝統」などという、目先の生活にどんなご利益があるのか
わからないことのために、主張しているのではないです。
人の生活がかかっていることを、イデオロギーのお題目に
しないでほしいものだと思います。


posted by たんぽぽ at 23:21| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください