猛吹雪の竜飛岬
姪っ子の娘っ子:秋田の女の子役
『猛吹雪の竜飛岬』
「そうだ、竜飛行こう」
「へっ、たっぴ?」
三十数年前の話。
福地君は僕の二つ下の後輩だ。タッパが高くて百八十もあって沖縄の高校で野球部、格好良い色男。
野球仲間でもあり演歌の仲間。武蔵工場でオペレーターとして働いていた。
「松島海岸へ遊びに行こう」
と言えば必ず付いてくる。
駅から二分の所にアパート、いやいや寮がある。部屋は四畳半一間の風呂無し。
銭湯は二十三時迄しか開いていないので仕事や遊びほうけていたらダッシュをする。
「石川さゆりの津軽海峡冬景色で、♪あれが竜飛岬北の外れよ♪と出てくるぞ、竜飛に行こう」
「えぇ行くの、冬の青森へ?」
上野発の急行【八甲田】は十九時すぎに出て、青森が六時台の到着。
上野駅で買った弁当とワンカップ大関三本とスルメいか。
段々と眠くなり、仙台にて懐かしい記憶が鮮明によみがえる。あの頃の僕は若かった、今も変わりないけれど。
仙台を過ぎ去り青森へと夜行列車が走り出す。
長いホームを歩き我が家を目差す。
母が言う、
「まあ、沖縄の人なの?」
夜、青森の陸奥湾で演歌を唄う。石川さゆりの歌を唄う。
たまたま居た小父さんが、
「顔ば見ればい男だ」
津軽弁で喋る。沖縄の後輩はチンプンカンプン。
次の日の朝に津軽線に乗り、三厩(みんまや)は終着駅だから、バスに乗り換える。厳しい冷え込みでバスを降りるのも躊躇するが竜飛岬だ。
日本で唯一、車が通れない階段国道339号線を歩いて登る。
「こんなに雪が積っているのに人は居ないでしょう」
「うん、うん」
横にある階段村道を登り、やっとのこと碑の丘(ひのおか)・展望所に着いた。
「まてよ、人がいる。たった独りで、落ちたら危ないな」
「危ないって言って来ましょう」
後輩が言う、
「ここ落ちたら危ないよ」
独りの女の子が言う、
「刑事さんですか?」
後輩が、
「違う、違うよ」
女の子が言うには、
「歳は十八で、寒い竜飛岬を見てみたいとここまで来たのだと」
後輩が寒さに震えがきて、
「もう、帰りましょう」
と小声で言う。
僕ら三人はバスに乗って三厩駅、津軽線に乗って青森駅まで。
揺れる車中で僕が聞く、
「びっくりしたよ、こんな吹雪の中を独りで居るなんて」
「私、別れました。それで寒い竜飛岬に来て元気をだそうと。笑えますね」
三人で色んなことを喋る。
青森駅に着いて、女の子は秋田に帰って行った。。
バブルの時代に、互いに会社を辞めた。
沖縄の後輩は僕の結婚式で会ったきり、元気にしているのかなぁ?
トホホな合唱祭
指揮者:姪っ子の娘っ子
僕は音痴ではない、と思っていた。青森市の四十数年前の片田舎の中学の話。
中学三年も十一月になれば、青森市の中学合唱祭が行われる。
歌は世界の挨拶を織り交ぜた『ことばの歌』になった。
指揮者は運動神経が抜群の音楽的才能も秀でる女子に、ピアノは絶対音感の持主である女子に決まった。男子らは歌うしかないけど。
毎日六時間目に歌の練習を体育館でやると言う。
「♪♪青い青い空の海に・・ボンジュール・・ズドラスチェ・・こんにちは」と僕は大声で歌う。
『なんか音程が変だなぁ。アイツか、あの女子か?』
と僕が心の中で考えると、男女何人かが、とばっちりを受けた顔で僕を見ている。
「えっ、なんで?」
僕が歌うと、小声で歌うと、男子と女子が一緒にこっちを見ている。
えぇっ、僕の音程が変なの、音痴なの?僕は口をパクパク歌うふりをした。
汽車に乗り、青森市民文化ホールに着いた。
歌う番が来て、
「♪青い空の海に♪」僕は口をパクパク。
歌が終わり、指揮者の女子が半ベソをかきながら、
「N~、ことばの歌、終わったね~」
「そ、そうだね」と僕にはグッと来なかった。
月日が経ち、僕も歌は上手くなった。
♪上野発の夜行列車♪青森駅は雪の中♪これっぽっちも音痴と言えないでしょう?
えっ、聞くに堪えない歌じゃ無かった?・・・ホッ。
あっ、笑顔あふれる一年にしましょう。あけおめ‼
謹賀新年
あれはまだ純朴な少年だった頃、四十数年前の男子校一年の青森の話。
五時間目の授業はグラマー・文法だ。先生は剣道六段持ちで、五十センチ位の細い竹の棒を持っていた。まるでムチのようだ、ぶるぶる。
先生が教室に入り、
「五問出すから」
と裏紙を生徒らに渡す。この前のグラマーでやった事を先生が質問して、僕らは英語で書く。
「四問出来たら合格だ」
と先生が黒板に正解を書く。
生徒は後ろから、
「スペルが違った」
「満点だ」
「三問だけだ、チッキしょう」
と順々に裏紙を先生に渡す。
先生が、
「駄目だった奴、廊下へ出ろ」
ぞろぞろと廊下に並ぶ。
一人ずつ後ろから太ももを細い竹でビッシ、
「いってぇ」、
ビッシ、「痛、い」、
ビッシ、「チッキしょう、今度は満点だぁ」必死に我慢する奴。
先生が何もなかったように教室へ戻り、グラマーの教科書を開く。
叩かれた僕らは太ももを抑えて教室に戻ったものだが、テスト結果はうなぎ登りだった。
こんな事も有った。保健体育の授業はラグビー部の顧問で、先生が教科書を読み、僕が後ろの奴と小さな声で話していたら、先生は普段の顔で僕の前に来てビンタされた。
昭和の時代は終わったのでしょうか?○○ハラスメントが多過ぎて困っちゃいますよね。
もしかしてだけど、「そこの女性さん、きっちゃ店でお茶でも飲みませんか?」と僕が言ったとすれば、女性さんは嫌な顔をして、「ジジハラだわ」と言うのでしょう。
お答えしましょう、「爺ハラスメント」「ジジハラ」、嫌になりますよ。トホホ。
意地の悪い先輩
「意地の悪い先輩」
むかし、むかしのはなし。
「やっと青森に帰れる」
東京の武蔵工場は正月を挟んで十二連休。コンピュータ関連で、いろいろ有ったが田舎の青森に帰れるのだ。マブダチに東京で何があったか言おう。
僕は電子計算機専門学校生で、正式な社員とは違っていた。来年の四月からは正式な社員になる。
寮に入り、2階の四畳半一間に2人も。
「お酒、飲まれるのですか?」
三つ上の先輩は眉間にしわを寄せたように、
「酒、酒を飲む意味が分からない」
後は会話が無かった。
水呑百姓の倅(せがれ)だから、田植えが終ったら酒を呑ませられる。小学の時だからビールが不味いし、そこにジュースを入れて、ちょっと苦かった。
四畳半一間に小さな炬燵があり、この先には入るなと。大きなステレオが有り、先輩が帰ってきたら、ヘッドフォンが動いてないか確かめる。意地の悪い先輩。
見ていいのは、先輩が居た時に見る14型のテレビ、だけ。
明日からは冬期休暇が始まるので、寮に帰ったら、頭が痛かった。22時過ぎに寝台特急で青森にやっと帰れる、と想ったのに。
寮監は薬と水を持ってきて、
「やはり疲れたのだろう。このまま休んで明日帰ればいいよ」と。
四畳半には誰もいない。意地の悪い先輩は福岡に帰ったのだろう。
夜中に起こされた。意地の悪い先輩は酒臭いニオイがプンプンして、
「お前、青森に帰ったんじゃないの?」
「頭が痛くて、明日帰ります」
「ばっかじゃないの」
普段は喋らないのに、酒に酔いガミガミ言って来た。
先輩、酒に酔ってソープラ〇〇でも?
泣く泣く冬期休暇は終わり、青森から東京へ。
仕事ではオペレーター (機械を操作) チーフになったが、寮は引越しになり、アパートを寮に。
四畳半一間に風呂無し、僕だけの宝物の部屋。意地の悪い先輩と会ったら挨拶する程度。
ときは流れ、仕事では開発チームに付いた。意地の悪い先輩の隣の机だった。
席の後ろに机が並んでいて、僕の後ろにりょうちゃんと言う先輩が座っていた。
「おい、昼休みに屋上で、キャッチボールをやろうぜ」
イキイキした先輩だった。
一ヶ月も経った頃、りょうちゃんは僕の方を見て、
「おい、こちょこちょするぞ?」
「嫌ですよ、いーやだ」
りょうちゃんは僕の背中をこちょこちょ。
僕の隣の意地の悪い先輩が、
「愉快で笑えます」
忘年会が有り、意地の悪い先輩が酒を飲んでいて僕のところに、
「何年か前に、年末に二人の部屋で言った事、酒も飲めないのに.. ごめん」
「あの夜、何か、あったのですか?」
「言えない..よ」
「あ、そうだ。ヘッドフォンのことは?」
「君が音楽を聴いてないか、確かめるためだよ。動いていると安心するのに、動いていないから。この性格はなかなか直らない..」
「良いですよ。どういう先輩なのか分かったので。ビールは飲めますか?」
僕は勘違いしていた。意地の悪いは無しにして、この先輩は良い人だった。細い体とむっつりな態度は変わりないけど。
隣の机の先輩と同じ開発のチームになった。先輩は優しくて、プログラムで分からなくなれば、先輩に聞いた。
主任が優しい先輩の席に来て、
「ゆうじろう、転勤先決まったぞ。福岡に帰れるぞ」
「え、一年も前の話じゃないですか?」
僕も隣で聞いていて。
「ゆうじろう、こっちも色々と福岡の転勤先を探したんだぞ」
「・・・」
「ゆうじろう、来月から福岡だぞ」
「・・・」
先輩は楽しい仲間に出会ったのに、こうなるんだもんな。
トントントン。
玄関のドアを開けると、優しい先輩が居た。
「悪いけれど、このスピーカーを貰ってよ」
大きなスピーカーが二個有った。
先輩は眼を赤くしている。
「引っ越し作業、手伝いましょうか?」
「ここで良いよ。じゃあね」
僕も眼から涙がポロリ。
「さようなら」
先輩は地元の福岡に帰って行った。
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