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- 2014年9月号
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暴君ネロ 明かされる真実
ローマの都に火を放ち、妻や実の母親も殺害したとされる皇帝ネロ。「暴君」として知られる男は、実は時代の先覚者だったのか。その真の姿を追う。
史料が伝えるところによれば、ネロは最初の妻オクタウィアの殺害を命じ、身ごもっていた2番目の妻ポッパエアを足で蹴って死なせ、母親であるアグリッピナも暗殺したという。さらにネロは、紀元64年に起きたローマの大火を首謀しておきながらキリスト教徒にその罪をなすりつけ、彼らを斬首やはりつけの刑に処したと伝えられている。
残虐非道な「暴君」説はどこまで本当か
だが死者は自らの生涯を書き残すことはできない。最初にネロの伝記を書いたスエトニウスとタキトゥスは、ともに元老院とのつながりが強く、ネロの治世を批判的に記した。ローマの元老院が、政治的理由からネロの名声をおとしめようとしたのはまず間違いない。
近代になると、ネロは悪役として映画に登場するようになる。やがてローマ大火の際、炎上する都を眺めながらバイオリンを奏でるネロのイメージも定着していく。悪魔のようなネロ像は、時代を経ても薄れるどころか強まるばかりだった。驚くほど複雑な人間性の持ち主だった支配者は、ただの野蛮な暴君に仕立て上げられてしまったのだ。
考古学を専門とするジャーナリスト、マリサ・ラニエリ・パネッタはこう語る。
「現代人はネロを非道な人間だと非難しますが、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝のやったことはどうでしょう。彼は自分の長男と2番目の妻、義父を殺害しています。コンスタンティヌスは聖人で、ネロは悪人だったなどとは言えません」
ネロの評価を見直そうとするこうした動きに、誰もが賛同しているわけではない。
ローマの著名な考古学者アンドレア・カランディーニは語る。「ローマの大火がなかったら、ネロは広大なドムス・アウレア(黄金宮殿)を建てられたでしょうか? 大火の首謀者であったかどうかはともかく、ネロがこの大火を利用したのは間違いありません」
だがラニエリ・パネッタはこう反論する。
「最も辛辣にネロを非難しているタキトゥスですら、ローマの大火が放火によるものか偶然によるものかは明らかでないと記しています。実際、ほとんどのローマ皇帝が、その治世の間に大火に見舞われているのです」
しかも出火当時、ネロはローマにいなかった。出身地であるアンティウム(現在のアンツィオ)にいたネロは、火災の発生後、急いでローマに引き返したのである。
※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年9月号でどうぞ。
古代ローマと浴場といえば、漫画『テルマエ・ロマエ』の世界ですね。作品の舞台はネロより少し後の時代ですが、編集中に「浴場」という言葉が出てくるたび、ヤマザキマリさんの絵が目に浮かびました。
「ネロの築いた浴場に勝るものがあろうか?」と、詩人マルティアリスが詠ったように、ネロは時代の最先端を行く建築物を残しました。暴君や悪人といったネロのイメージはどうして定着したのか。本当のネロはどんな素顔をもっていたのか。ぜひこの記事で新たなネロ像を確かめてください。(編集M.N)