旅にもってゆく本については前にもいちど書いたことがあるけれど、読むたのしみもさることながら、来るべき旅についてあれやこれや思いめぐらしつつ選ぶことのたのしさのほうが、じつはむしろ勝っているのではないかと密かにかんがえている。
水戸にもっていったのは内田百のエッセイ『第一阿房列車』。
「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。なんの目的ももたず、とりたてて用意もせず、ただ列車にのってどこかへ行く、どうやらそれが内田百のいうところの「阿呆列車」であるらしい。まあ、今回のぼくだって、展覧会を観たりコンサートを聴いたりというのは「目的」というよりはむしろ東京をはなれるための言いわけみたいなものであって、そう思えばれっきとした「阿呆列車」にちがいない。
ところでその百先生、わざわざ「阿呆列車」のために借金までこしらえるのだが、その言い草がいかしている。いわく、「いちばんいけないのは、必要なお金を借りようとすること」である。それにくらべれば(阿呆列車のための借金は)「こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう」云々。勝手な言い分だが、一事が万事この調子である。大阪へと出発するためやってきた東京駅の改札では、「何の為にどんな用件でこうまで混雑するのか解らないが、どうせ用事なんかないにきまっていると、にがにがしく思った」なんて言っている。いちばんのひま人はアンタだっつーの!
それにしても、なこの偏屈100%っぷり。小心者が、理屈をこねて自分を正当化しているこの感じにどこか見覚えがあると思ったら・・・なんだ、自分だった。というわけで、いまのうちからぼくも「ヒマラヤ山系」君のような絶妙な相方をさがしておかねば。
水戸にもっていったのは内田百のエッセイ『第一阿房列車』。
「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。なんの目的ももたず、とりたてて用意もせず、ただ列車にのってどこかへ行く、どうやらそれが内田百のいうところの「阿呆列車」であるらしい。まあ、今回のぼくだって、展覧会を観たりコンサートを聴いたりというのは「目的」というよりはむしろ東京をはなれるための言いわけみたいなものであって、そう思えばれっきとした「阿呆列車」にちがいない。
ところでその百先生、わざわざ「阿呆列車」のために借金までこしらえるのだが、その言い草がいかしている。いわく、「いちばんいけないのは、必要なお金を借りようとすること」である。それにくらべれば(阿呆列車のための借金は)「こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう」云々。勝手な言い分だが、一事が万事この調子である。大阪へと出発するためやってきた東京駅の改札では、「何の為にどんな用件でこうまで混雑するのか解らないが、どうせ用事なんかないにきまっていると、にがにがしく思った」なんて言っている。いちばんのひま人はアンタだっつーの!
それにしても、なこの偏屈100%っぷり。小心者が、理屈をこねて自分を正当化しているこの感じにどこか見覚えがあると思ったら・・・なんだ、自分だった。というわけで、いまのうちからぼくも「ヒマラヤ山系」君のような絶妙な相方をさがしておかねば。
第一阿房列車 (新潮文庫) (2003/04) 内田 百けん 商品詳細を見る |
水戸へ行くことにしたのは、ちょうどいま水戸芸術館の現代美術ギャラリーでひらかれているジュリアン・オピーの個展を観たかったからだ。などというと、なんだかわざわざジュリアン・オピーを観るために水戸まで行ったように聞こえるかもしれないがべつにそういうわけではなく、以前からちょくちょくその作品を目にする機会があってなんとなく気になっていた作家の展示と、東京をはなれてどこかに行きたいというささやかな願望とが、たまたま「水戸」という点の上で交わったといった程度の意味である。
ジュリアン・オピーの、今回はBlurのベスト盤ジャケットに代表されるようなポートレイト、電光掲示板などをつかった動く人物、それに日本の浮世絵にインスパイアされた風景画といった最近の作品をあつめた展示だったのだが、とりわけぼくにはポートレイトがおもしろかった。遠目には同じようにしかみえない作品が、近くでみるとそれぞれ異なる技法―シルクスクリーンだったりフェルトのような起毛材だったり、あるいはカッティングシート(?)や液晶モニターを使ったものだったり―で描かれている。このあいだ雑談のなかで、「技法」にもっと注意を払って作品を観れば、作家がどんな主題をどのように描きたかったのか?よりくっきりと伝わってくるかもしれないなとあらためて、いまさらながら気づき目からウロコな思いをしたばかりなのだが、ジュリアン・オピーの場合はどうだろう?通る道(=技法)はちがっても、けっきょく行き着く場所はおんなじなんだ、と言っているかのよう。ここで、行き着く場所とはつまりポートレイトの対象となっている存在の揺るぎなさ、だろうか?
電光掲示板やアニメーションによる「動く人物」も、ひとを妙な気分にさせるシリーズだ。ダンスをしたり歩いたりしているひとびとの動きはやけにリアルで生々しい。ところがその身体の生々しい動きに反して、その頭はすべてたんなる「円」なのだ。それは記号をもった肉体なのか?それとも肉体をまとった記号なのか?これもじつは、『歩くジュリアンとスザンヌ』とか『下着で踊るシャノーザ』といった具合に「顔」ではなく、身体の動き、その特徴によって描かれるポートレイトなのだ。その意味では、「右手」だけ描かれたポートレイトもありかもしれないし、ことによったら発せられた「ことば」、「声」によるポートレイトというのだってありかもしれない。しかしそれ(もっともわかりやすい特徴としての「顔」)を「省く」ことによってではなく、あえて「円」という記号に還元してしまうことで新しいポートレイトの可能性を暗示してみせたオピーというひとは、やっぱり自覚的に現代を生きる先鋭的なアーティストのひとりなのだった。
ところで旅にはおみやげがつきものということで、水戸芸術館がこのオピー展のため特別にこしらえたという「オピー金太郎飴」である。だれに見せても「三谷幸喜」としか言ってくれません。
京都の朝がイノダからなのだとすれば、茨城の午後はやはりサザからということになるだろうか。せっかくなら勝田の本店を訪れたかったのだが、残念ながら時間がなかったので水戸芸術館にほどちかいデパート内の支店でがまんすることに。待つ事しばし。たくさんのカップの中から選ばれて出てきたのは、おなじみアラビア社の「Paratiisi」。水戸まで来てもやっぱり待っているのはフィンランド、か。
そういえばもうひとつ。芸術館のすぐ目の前にはマリメッコの「UNIKKO」を看板のように大々的につかった美容室もあった。でも、なんだかちょっと残念な感じではあったなあ。《つづく》
水戸ではまず、「ラ・カンパネラの生まれたころ」と題されたコンサートを聴いた。
「ラ・カンパネラ(鐘)」というのはパガニーニがつくった曲をもとにリストがピアノ用に編曲したもので、この曲がつくられた時代、つまり十九世紀半ばに活躍したリストやショパンの名曲を、その当時につくられたピアノ(フランス・エラール社1845年製)の音色で聴いてみよう、という企画である。
この十九世紀半ばのピアノと現代のグランドピアノとでは、ずいぶんいろいろな点でちがっている。たとえば大きさも三分の二くらいだし、鍵盤の数も三つ少ない。いちばんちがうのは駆体の構造で、現代のピアノにくらべるとはるかに木材から作られた部分が多いのだそうだ。そのため音量はより控えめだし、音色も現代のピアノに聞かれるような金属的なものではなく、もっと柔らかい響きがする。いままで当たり前のように耳にしてきた現代のピアノが、楽器というよりはなにやらフル装備の超合金ロボットめいたいかつい物体にさえ見えてくるのだった。
じっさい現代のピアノというのは低い音から高い音まで、すべてがムラなくきれいによく鳴る。ある意味、「優等生」というか。それに対してエラールだと、高い音や低い音はちょっと辛そうというか、相当キツいんだけど頑張って音出してます的な感じがするのだ。リストのような超絶技巧の曲を聴くと、その感じがいっそうリアルに伝わってくる。リストにせよショパンにせよ、彼らの創作意欲はその時代のピアノという楽器がもつ可能性をはるかに凌駕し、その枠組みを飛びだそうとしていたのかもしれない。
たとえば、ものすごく高い音や低い音、はたまた猛スピードでかけぬけるようなパッセージは聴くひとをハラハラさせドキドキさせ圧倒する。ものすごいことをやっているのだから、ものすごいことをやっているということが聴くひとにちゃんと伝わっていなければ意味がない。楽器が軋むくらい、音にムラがあるくらいのほうがかえってエキサイティングだ。ことにライブのような場であったなら。
すぐれた作曲家であると同時にすぐれた演奏家でもあったリストは、そういう《魔法》を誰よりも熟知していたにちがいない。エラールで弾かれた「ラ・カンパネラ」を聴きながらぼくはそうかんがえていた。ものすごいことも、やけにきれいに無理なく聞かせてしまう現代のピアノでもって聴き手を熱狂させるというのはじつはなかなか大変なことなのかもしれないな、とも。ピアノの弦にゴムや木片やらを挟んで、むりやり優等生にくわえタバコをさせる不良のような真似をするジョン・ケージみたいな作曲家もいなくはないけれど(じっさいある時代にはそれで熱狂するひとも大勢いたのだし)。
これまでショパンもリストもぜんぜん興味ないというか、むしろ嫌ってさえいるようなところがあったのだけれど、彼らの音楽をその時代の楽器で聴いたことでなんとなくツボがみえたというか、たまには聴いてみるのも悪くないなと思えたのは収穫だった。
などとかんがえつつホールを出て、水戸芸術館のミュージアムショップをのぞいたら『大作曲家名鑑』などというとんでもないガチャガチャを発見してしまった。旅におみやげはつきもの、しかも後々振り返ったとき、なんでこんなもん買っちゃったんだろうと後悔の念を抱くようなものほどよい、というわけのわからない理由からついつい手をだしてしまった。出てきたのは、よりによってショパン。しかもなんか不気味なんですけど。《つづく》
八月、夏休み、どこかに行きたい(近場で、しかも涼しいところにね)。近場で涼しいところ、といえばどこだろう?
新幹線にのって軽井沢あたりの高原へ、というのも悪くない。が、夏の高原というのはじつのところそう涼しくはないものだ。空気が澄んでいる分、日射しは東京よりもはるかに強烈。しかもクルマなしで(←世界でもっともデンジャラスなゴールドカードホルダー)こういう土地に遊ぶというのは無謀というか、ほとんど不可能である。そのむかし、清里で熱中症になりかかった苦い経験が脳裏をよぎる(車で5分とあったので歩けると判断したら、30分ちかく店も自販機すらもない炎天下を歩くはめになったのだ)。
いっそ水族館へ、というのもひとつの手だろう。だが、ちょっと待て。夏休みの水族館なんて、ヘタしたらサカナの数より子供の数のほうが多かったりするものだ。涼しげに泳ぐサカナの前を、嬌声をあげながら駆け回る無数のコドモ・・・プラス、マイナス、ゼロ。ぜんぜん涼しくなんてない。
それならば、というわけで午前十時上野発の「スーパーひたち」に乗り込んだのだった。目的地は「水戸」。正確にいえば「水戸芸術館」である。館内の現代美術ギャラリーではいまジュリアン・オピーの大規模な個展がひらかれている上、さらに音楽ホールではこの日の午後、19世紀に製作されたピアノによる一時間強のコンサートもおこなわれる。
特急列車にのって片道およそ一時間で水戸に到着。バスにのりかえ水戸芸術館へ。その後は場所を移動することなく興味深いコンサートと展覧会のふたつを堪能、あとはおいしいコーヒーをのめる店を探して、名物の納豆でも買って帰ればちょっとした小旅行のできあがりである。《つづく》
新幹線にのって軽井沢あたりの高原へ、というのも悪くない。が、夏の高原というのはじつのところそう涼しくはないものだ。空気が澄んでいる分、日射しは東京よりもはるかに強烈。しかもクルマなしで(←世界でもっともデンジャラスなゴールドカードホルダー)こういう土地に遊ぶというのは無謀というか、ほとんど不可能である。そのむかし、清里で熱中症になりかかった苦い経験が脳裏をよぎる(車で5分とあったので歩けると判断したら、30分ちかく店も自販機すらもない炎天下を歩くはめになったのだ)。
いっそ水族館へ、というのもひとつの手だろう。だが、ちょっと待て。夏休みの水族館なんて、ヘタしたらサカナの数より子供の数のほうが多かったりするものだ。涼しげに泳ぐサカナの前を、嬌声をあげながら駆け回る無数のコドモ・・・プラス、マイナス、ゼロ。ぜんぜん涼しくなんてない。
それならば、というわけで午前十時上野発の「スーパーひたち」に乗り込んだのだった。目的地は「水戸」。正確にいえば「水戸芸術館」である。館内の現代美術ギャラリーではいまジュリアン・オピーの大規模な個展がひらかれている上、さらに音楽ホールではこの日の午後、19世紀に製作されたピアノによる一時間強のコンサートもおこなわれる。
特急列車にのって片道およそ一時間で水戸に到着。バスにのりかえ水戸芸術館へ。その後は場所を移動することなく興味深いコンサートと展覧会のふたつを堪能、あとはおいしいコーヒーをのめる店を探して、名物の納豆でも買って帰ればちょっとした小旅行のできあがりである。《つづく》