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あるあるの司会でおなじみの堺正章さんが同じく司会される「世界一受けたい授業」。武田鉄矢さんの回で、本当に世界一受けたくないと思ったが、つぎにまたアル・ゴアさんの回では、科学的に考えてどうなのと思う地球温暖化。
昨日は、 池上彰さんの「日本はほんとに格差社会?」というものだったのだが、テレビのない我が家では、NTVのホームページからしか内容がわからない。内容は、同名の著書を読めばわかだろうが、池上さんは2003年のイラク開戦前、私がたまたま見ていた「週刊子供ニュース」で、いかにフセインが悪者でいやな権力者であるかを長々と説明し、事実上イラク戦争の必要性を説くという御用ジャーナリストぶりを発揮しておられたので、本を買う気は起こらない。図書館で借りてもいいけど、この方の話し方を聞いている限り「頭が悪くなりそう」と思ってしまったので、そういう病がうつってほしくないからちょっとパス。 でNTVのホームページで見ると、やはり、見なくてよかった、というのが答えだ。時の政権に都合のいいことを言うから重用される、中身のない評論家の時代であるという思いを強めた。 バブルの時代、日本社会の経済格差は現在のそれより大きく開いていました。 例えば、とある7人家族。三人の収入の合計が1600万円だとする。3世帯が同居するような形態の家族は昔はよく見かけました。しかし現在は、少なくなっています。 家族構成を現代風にしてみますと、息子夫婦はほかの家で暮らし、孫夫婦もまた独立して別の家族を作っています。 このときの3つの家族のそれぞれの年収は、同居していた時代よりもちろん少なくなっています。 時代の流れでできたこの核家族化の状況によって世帯あたりの年収が下がる=格差が広がったという風に認識される。ということになります。 昔というのが高度経済成長以前というのならわかるが、バブルの時代に家父長的家族制度が本当にあったのだろうか? それに、一様に核家族化したとすれば、1600万円対1800万円が800万円対900万円になるだけだから、格差が開く原因にも何もならない。 仮に格差がないと言うとしても、たとえば高齢化で老人単身世帯が増えたから、とかもっともらしいことでもいうならちょっとはわかるが、本当に彼はこんなに程度の低いことを放送でも言ったのだろうか(実はWeb上のまとめは、武田鉄矢さんの時もそうだったが本放送と結構違う。わざとやっているのかどうかはよくわからない)。 ◆ 私が考える格差 うちの子供がヨーロッパの家庭で暮らしてきて言うのは「ヨーロッパには格差がない」ということである。もちろん、ホームステイを引き受ける家だから、本当に余裕のない家を見ていない、という事情もあるだろう。しかし、留学生が自分の荷物を開けることすらはばかられる(日本の子供は向こうから見てずいぶん高価なものを持っていることがよくある)ような貧困な家庭もある。 それでも格差がないと感じるのはなんなのか、あまり数字的な裏付けはないのだが、私なりに考えてみた。 ◆ 上に開いた格差と下に開いた格差 医療を受けられず、受けようとすると破産が待っている日本やアメリカの社会(「暗いニュースリンク」さまの「個人破産の原因の半分は医療費が原因」より)は健康も維持できない貧困は泥沼であり、格差が下に開いている。 それに対してたとえば医療費がタダである国では、最低ラインが保障される。それを保障しておいて、さらにもうけたい人はどうぞいくらでももうけてください、という国では格差が上に開いている。 想像だが、私は後者のような「格差」なら、多くの人が受け入れてよいと思っているのではないかと考えている。 格差がいけない、といわれると、「がんばった人もさぼった人も同じじゃ努力が報いられず、悪平等だよ」人もいるだろう。私も実はそう思う。それは上に開いた格差は是認されるということではないのか。 その最低をしっかり保障しようとすると、この税金ではやっていけないよ、というのはウソである。ドイツなどでは夫と専業主婦の夫婦子供二人の家庭で、年収500万円くらいなら所得税はかからない。日本は300万強からかかる。ヨーロッパの税金が高いというのは国民負担率(GDPのうちの税金の額。さらに言えば、ヨーロッパでは所得移転が大きいので、実際にはストレートに誰かの所得となって返ってきているのだ)が高いことに騙されているのだ。 フィンランドの研究をしている人が講演会で言っていたが、あるお金持ちがスピード違反したところ、反則金が所得にあわせるため、600万円だったそうである。それでもその人は貧困な家庭の出で、自分はこのシステムのおかげで高い教育を無料で受け、今の自分があるのだから、このシステムに不満はないといっていたそうである。 税金が高い、のではない、誰から取っているかを問題にしなければならないのだ。 ◆ ヨーロッパでは消費税はマイナスである いや、ヨーロッパはみんなから取ってるよ。所得税はそうかもしれないけど、あんたたちの嫌いな、逆進性の強い消費税は高いよ、それでもいいの?というアホもいる。 アホである。100円のキャベツを農家が生産したとしよう。そうするとその農家には50円の政府からの補助が入る。売ろうと思えば、差し引き50円で市場に出せる。それに30%の税金がかかっても65円である。極論すると、ヨーロッパの消費税はマイナス35%である。 もちろん、贅沢品は買えない。しかし最低限の食が保証される、それが上に開いた格差社会である(なお、ドイツの場合、食料品消費税は7%、その他は19%)。 ◆ 貧困と格差 もう一つは、医療費に加えて教育費がタダである国は、貧困でも子供が高等教育を受けることができる。その上一般的には塾などもないし、国によってはノートや鉛筆が教卓に積んであって、自由にもっていってそれで勉強する。 多くの人は「貧困」は甘受するのではないか。 貧困でも、子供には十分な教育をつけてやりたい、ところがそれが金次第、お金がなければ子供は教育を受けられず、貧乏人の子供は最初からスタート地点が全く違う、そうなったとき人は「貧困」を「格差」と呼ぶのではないだろうか。 ◆ 貧困でも楽しい国にできれば もう一つは、宮台真司さんがよくいうことだが、コミュニティーが維持されている社会では、お金がなくても楽しい、という。本来どの国も地域社会を持っていたが、ファシズム的全体主義を経験して地域社会を壊したドイツなどもすぐに地方分権型に戻した。ところが、日本は中央集権のままの社会を残し中央から地方に金をばらまくといういびつな社会を維持し、地域社会の独立性を破壊し続けた。 人々は、心のよりどころを求めることができず、「クニ=郷土」なら、郷土を愛すれば郷土からの恩恵も受けられ、楽しく過ごせるのに、「クニ=国家」というとらえどころのない、愛しても命を取られるだけ、という自虐的な愛を強制され、片思いの地位にすがりつく。 で、宮台真司さんのポッドキャスト、「週刊ミヤダイ」は結構おもしろい。若干無理のあることも多いが、それをきっかけに考えることは可能だし、彼なりにわざと混ぜっ返すような議論をして知的に楽しんでいるのだろう。 上で少し引用したのは「週刊ミヤダイ」の中の「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは」という番組。 「いじめをなくす方法は」もなかなか。 (追記) ちょっとご質問頂いたので農業補助について以前書いた記事をあげておきます。
by luxemburg
| 2007-02-25 10:45
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