ぐもじんです。
古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)」を読みました。
古賀さんが文章の先生であることは、多くの人が心を揺さぶられたベストセラー「嫌われる勇気」の著者であることがすでに証明している。
アドラー「嫌われる勇気」に学ぶ、今すぐに自由と幸せを手に入れる11の考え方 - Voyage of Life
そう。彼の定義する「いい文章」とは「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」なのである。
「書くこととは、生きること。そして、考えること」という本の帯のことばに惹かれて読んでみたが、期待どおり、単なる文章の書き方テキストという枠を超えてた。随所に見られる古賀さんの言葉使いのスゴさも味わうことができた。
ボクの解釈も含まれるが、人を動かすような文章を書きたいならば、何度も読み返して体に染み込ませておくべきポイントだと感じたことをまとめておく。
わからないから書くのだ
何かを体験したとき、頭の中にまず湧き上がるのは「よくわからないけど、なんか良かった(あるいは、なんかつらかった)」とかいう気持ちである。
それを自分でもわかりたいし、だれかにそんな感覚や感情を伝えたいならば、その「よくわからない」頭の中のことに言葉を与えなければならない。翻訳しなければならないのだ。
そのためには、頭の中にあることを見える形にしていくこと、つまり「書く」という行為が有効になる。
わかったことを書くのではなく、わからないからこそ書くのである。文章を書くことは、考えることなのだ。
文章のリズムを決めるのは論理
読みやすいかどうか。そのリズムを決めるのは、論理展開だという。
話し言葉では、身振り手振りや表情も使えるが、文章ではそれができない。
文章と文章にしっかりとロジックを持たせて、スムーズにつなげていくことで、リズムが生まれるのだ。
自分の主張や意見という主観的なものを伝えたいからこそ、客観性、論理が大切になる。客観的な理由を添えて、事実で補うことで、超主観的な我が主張に説得力が生まれるのだ。
そして、「断言」することがもっとも切れ味がよく、リズムを生むらしい。ただ、言い切ることはリスクを伴う。言いすぎると、ホンマか?という疑いを呼び起こすから。だから、よほど論理を固めておくことが大切だ。
ちなみに、文章のつながりをチェックするには、接続詞を意識するのが良いそうだ。
「10年前の自分」に語るように書け
独りよがりの文章では伝わらない。
「読者の椅子に座ること」が大切だという。
しかし、いろいろ考えてしまっている自分から幽体離脱して、まだそんなに考えていない読者になりきることは難しい。そこで古賀さんが薦めているのは、「10年前の自分に語るように書く」ことだ。
そんな自分なら想像しやすいし、かといって、今の自分の頭の中から離れることができそうだ。そうすると、言葉の強さが全然違ってくるのだという。
そういえば、この本のタイトルも、過去の自分に伝えたいというものになっている。そういうことか。
この他にも、「たった一人のあの人に向けて書くこと」が挙げられている。お客さんへの説明資料なら、お客さんの立場や頭の中を想像するのだ。そう考えると、伝えたい相手の数だけ資料や文章が必要になってしまうが、本来はそうなのだろう。
専門的な言葉に陥らないように「おかんにもわかるように書くこと」というテクニックも使えそうだ。
読者に仮説をぶっこんで巻き込め
論理が大切なのは間違いない。
しかし、自分で考えて出した結論。つまり、「主張」と「理由」とそれを支える「事実」を一直線に書きあげたとして、それで読者は心を動かすだろうか?
答えはNOだ。自己完結した文章に対して、読者は自分との関わりを見出せない。他人ごとで終わってしまう。
だから、序論として一般論を語ったあと、その一般論とはまったく違う自分の主張を、仮説という形で読者に投げかける必要があるということだ。
読者を巻き込み、心を向けてもらう。そして、一直線ではなく、その主張に至るまでに通るであろう、ほんとうにそうだろうか?という疑いや反論も含めた「回り道」も示しておくこと。それにより、読者の納得が得られるのだ。だれも、説得されたいわけじゃない。納得したいのだ。
ここの話は、ボクにとって「目からウロコ」でした。
目からウロコ落とすような話は3割もいらない
ただ、「目からウロコ」のようなネタは3割もいらないのだそうだ。
読者が望んでいることの7割は、「そうそう」と、自分でもわかっていたこと(たぶん、頭の中にあっただけで言葉を与えられていなかったことが多いんじゃないかと思う)を確認できたり、背中を押してもらえるような話である。あとは、「ふむふむ」という情報収集的な内容である。
なるほど。目新しさを意識しすぎなくていいんだよね。
細部の描写がめちゃくちゃ大事
説得力を生むのは、リアリティである。
このためには、細部の描写がめちゃくちゃ大事だという。
小さなウソには読者は厳しい。
そのためには、自分の頭でわかったことだけしか書いてはいけないのだそうだ。
なるほど。まあ、それしか書けないに決まってるやんとボクは思うが、いろいろな文章に向き合うことが求められるプロのライターだからこそ、こういう心がけが大切になるのだろう。
「何を書かないか」をまず決める
「書く前の編集」が大切なのだという。
テーマに対して、いろいろなキーワードを書き出し、絞り出したあと、「何を書かないか」をはっきりさせてから、書くのだ。
自分の主張を語るために、これを語らなくても問題ないだろうか?
ラーメンに卵を入れなくても許せるだろうか。
そういう視点の方が、「何を書くか」「何が必要か」を考えるよりも頭が動きやすいようだ。
やることリストよりも、やらないことリストの方が自分の価値観をはっきりさせるのに役立つという話に近い。
2回は読み返し、文章を削れ。そして切るのだ。
文章を書いた後は、2回は読み返せという。
「もったいない」という気持ちに負けずに、文章を「削る」こと。
そして、長い文章を短い文章に「切る」こと。
それが推敲!
まとめ
文章を書くことは嫌いじゃない。
書くことで頭の中のぼんやりしたことがクリアになり、考えられるという感覚も知っていた。
しかし、読者の心に届く文章って、どうやったら書けるのだろう。その壁はなかなか高かった。
この本は、プロである古賀さんの考えてきたことをもったいぶらずに教えてくれていて、ほんとにうれしかった。
さて、これから。もう少し、いい文章、書けるかな?(これからも見守ってください〜)