●Kanon
今年度京都アニメーション祭り第弐弾のはじまり。タイトルの「Kanon」がBLACK LAYにしては珍しく全角な理由はAmazon賞品検索で半角でDVDがヒットしなかったため(え?)。はじめ半角「Kanon」検索でさっぱり見つからず、全角「Kanon」で検索ではなんと全巻ヒット(気づくのにかなり時間を要してる)その後は慌てて即乳化・即予約官僚(笑)。そこでやけを起こしポリシーに反しつつタイトルも話数も全て全角表記に(笑)。まそれはともかくアニメ作品内容は文句つけるとこ無い出来・・・なはず。原作ゲーム大好きのため点が甘いのは認める(笑)。ゲームと同じ曲が使用されてるだけでごちそうさまだし。曲はまんま同じだけど音質が高質になってる気も。音を差し替えてあるかも知れないとか思う。そして京都アニメーションらしく「北国の生活感」をより表現するために仕込まれてる数々の場面は素晴らしい。ただ、この鍋
は「やかん」であることが実際多い(笑)。運びやすさもかけやすさも。あとは祐一部屋の加湿器は正しいがエアコン暖房ではいささか力不足では?などと思えたりと…。そうは言いながら他の数々の丁寧な雪国描写(積雪路面に描けずガードレールにレッカー移動内容記述・滑り止め砂・ディーゼル雪かき機などなど)には素直に感心と共感を感じつつ愉しませて貰えた。さてそんな中LAYの目と心はとある1場面に激しく惹かれた。・・・それはこの場面。
雪かき だ!
祐一が男手でもってようやくこれだけやってるところ
あっというまにこれだけこなす秋子さん
これは凄い。かなり凄い。ものすごく凄い。雪かきてのは実際ものすごい重労働でこの場面は単純に秋子さんの物理的パフォーマンスとポテンシャルの凄さを、若く体力もある男性である祐一を軽く凌ぐという比較描写でもってかすかな笑い風味と共に表してくれているシーン。…それはいい。そこは単に表面的なこと。LAYはこの場面の秋子さんの行為に込められた2重3重の意味を感じてキーを打鍵している。
ふつーに考えて今の世の中他人の家の前まで雪かきしたりするだろーか(反語)。…もちろんしない。この世知辛い世の中自分の家の敷地前の道路から先は「高価なケーキを慎重に切り分けたかのように」ざっくり斬って手を付けない状態で残す人が大多数。それを秋子さんは能力があるからてのももちろんだがおそらく毎回このような範囲を当然のようにこなしさらにご近所さんもそれを受け入れているだろうと推察されるということ。先ほども述べたように世知辛い世の中、出来ればこんな重労働は余計なとこまでしたくはない。だからこそテリトリーを越えて作業してくれる人が居るのは「ありがたいことでもあり」それと同じだけ「わざわざそんなことをしてくれる人には裏があるのではないか?」と疑いの気持ちも持つことさえあるだろうということ。けどこの秋子さんの様子には毎度感・当然感が感じられる。つまり「物理能力的」「内面包容力的」「ご近所からの人柄信頼感的」「ご近所付き合いも完璧的」何重にも重なった秋子さんパワーを見いだすことが出来る。LAYさんはそう言いたいらしい(笑)。実にこじつけここに極まれりと行った感が否めないがこの場面を単にギャグ(?)として捉えなかった場合それくらいのことは容易に想像できるシーンであると信じて疑ってない(笑)。秋子さん恐るべし…に帰結するが(笑)。
【追加 2006.10.10 23:33】
しかし秋子さんだけに終始するのもまるで多忙天使さんのようなのでその反省の意味を含め他の「気になりngポイント」も挙げておく(笑)(エヌジーじゃないぞヾ('-';))
動きに関して…プレリュードでOP観た時から思ってたがこの幼舞の走る姿絶妙。コンパクトでハイパワーな生き物がはつらつかわいい上下動と共に遠ざかっていく姿。これは原作ゲームプレイ時に脳内で描いたどんな動きをも超えていた。想像上の動きを陵駕するアニメバンザイ。
えーとヾ('-';)(笑)単純にサービスシーンではあるが。ほいでも名雪の性格に似つかわしいかわいい色と形のブラとそのやーらかそうな身体と笑顔に引きつけられる物がかなり(笑)ええ。
はね~、はねがあるよ~、かわいいはね~…名シーン(?)。ここの回転も実になめらか…という記憶を脳裏に残してくれる。あとでじっくり止めて観ると実はそんなに凄い動画枚数でもなさそうなのだが記憶に残る動画が実になめらか。回転によって翻るあゆあゆのあらゆるパーツが自然に動かされてるためによりそう感じるのかも。いずれお見事。
そしてこの新雪の上をさくさく走行するあゆのED…その走りの凄さはOPの舞とは違いプレリュード観た時には気づかなかった。積もった新雪の上をひた走る時のわずかな身体の沈み、硬い地面と違い蹴りこんだ力をかなりの分量を殺されつつも雪を後方に跳ね上げて得る頼りない前進力。着地側の足が沈み込む前にまた前へ進もうとする力を与えることで微妙な身体の上下動を経てやはり前に進もうとする気持ちとずれのあるわずかに減らされた推進力…このいくら文字を並べても表現しようもないあの雪上走行の感覚が全てあますとこなくこの動きに込められている。これをよ~くみると経験者は数多くうなづく事になるのだ。やはりお見事すぎる。う~むぅ。
前作「涼宮ハルヒの憂鬱」のEDの変化に富んで凝った動きのダンスと違いこちらは延々走ってるだけに過ぎない…がその一見つまらない「走ってるだけの絵」は実は延々流すに耐えられるシロモノだったりするわけ…むむぅ
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