11/13 「常在戦場」って不法行為の肯定
衆議院の解散・総選挙に向かって風がびゅうびゅう吹いていますが、そのなか、政権や自民党の幹部から「衆議院は常在戦場」などという言葉が出てきて、ふっと皮肉っぽく笑う姿に見苦しいものを感じています。
もっとも不愉快な感情としては、政治において選挙だけが「常在戦場」なのか、と思います。
また、首相による衆議院解散が憲法違反かも知れない、という可能性を持つと「常在戦場」ということはありえないわけです。欧州の多くの国では、不信任案と議会の自主解散以外の解散の手段を封じていますし、自由であった英国も、中道の自由民主党がキャスティングボードを握ったところで、下院に任期制を入れて、首相の解散権を強く規制する法改正をしました。
日本国憲法でも、首相が自由に解散できるなんてどこにも書いていない。憲法7条に天皇の国事行為として解散詔書を出すことが書かれているのですが、それをどうやってだれが「書け」ということのなかに首相の解散権は全く書かれていません。
憲法が権力のパワーバランスを規定しているものだとすれば、衆議院の解散とはこのパワーバランスを動かす重要なことであって、憲法にない手続きをするなど憲法を超える異常事態ではないかと思うのです。憲法9条より自然権などでは説明がつかない問題です。
行政権の長が自らを選ぶ議会を好き勝手に解散できる、というのは本来おかしいわけです。英国や戦前日本の場合、タテマエにしても時には実態にしても、王や天皇が首相を任命するかたちになっているから、問題なしとされただけで、日本の場合は、戦後のどさくさの時期に、首相の解散権を問題視した憲法訴訟によって、首相の自由解散権が肯定されただけです。
またこの「常在戦場」という言葉、戦利品はなんでしょうか。主権者である国民はどこにあるのでしょうか、そんなことを疑問に思いながら、ごろついた嫌な感じだけが残るものです。
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