1/6 富岡市長6選目の出馬はせず~朝霞市長選
5日の市議会「立憲歩みの会」新春懇談会、来ていただいた方、来ようかなと関心持っていただいた方にお礼をもうしあげます。会はみんな大いにおしゃべりして終えることができました。参加者のみさなまは、私たち会派の黒川・本田の市議と、ゲストのワンチームあさかの小野寺のりこさん、くまがい裕人参議院議員と意見交換をすることもできたのではないかと思います。今年のやり方を振り返って、次回、もっとみんなが参加しやすく話しやすい企画を考えてみたいと思います。
会派として初めての試みでしたが、私たちからの「説明会」だけではなく、こういう場や、もっとリラックスしながら距離を縮められる機会を作っていけたらと思いました。
会場の設営や撤収、参加者へのお菓子やお茶の補給など、会の運営に協力してくれた多くの参加者には重ねてお礼を申し上げます。
6日になりまして、仕事始めでした。わが会派としては早速団会議を開きました。ワンチームあさかで活動しているなかで接した市民の方々から、様々な宿題をもらってくることがあって、それをどう対応していこうか、簡単な打ち合わせをしました。
午前中、富岡勝則朝霞市長と松下昌代埼玉県議が新座記者クラブで記者会見をし、富岡さんが5期目で市長を終えること、松下さんが市長選に出馬することが表明されたようです(みなさまが読む頃には新聞地方面の記事になっていると思いますが)。
いずれにしても新市長は新人なので、3月の議会日程はおおよそ確定してきて、新市長の任期開始(市長としての権限を持てるの)は3月17日なので、地方自治法の告示から議会初日までの最低日数の関係から開会日は3月25日より早くすることは困難で、3月31日までに可決すべき議案は、駆け足で審議することと、一般質問は4月に送らるようなことになるのだろうと思います。
●12月23日のブログ記事の市長選の説明会に出席していた陣営の5番目が判明しました。池田清さんという方です。また6人目の立候補手続き書類を取りに来たという情報もあります。富岡市長が松下県議に入れ替わることになると思います。
●22年前、立場も資格もない市民が約40人集められて、地域福祉を考えろ、というお題をもらって2年間計画を策定したことがありました。当時朝霞台地区にはほとんど認可保育園がなくて、漏れなく待機児童となり認可外保育所に預けるしかありませんでした。そんな不満を市役所に言いたくて、何らかの委員を探していたときに当たったのがこの地域福祉計画の委員です。
担当職員からは、市民が自由に計画を書けと言われ、朝霞市役所もこんなこと始めたんだ、と少し驚きました。私も赤ちゃんをだっこしながら会議に出て、コンサルが派遣した大学院生や他の市民と文案を作ったり直したりしました。参加した市民みんながポテンシャルもあり、愛情もある人々で、この人たちが市内でいろいろな活動を始めたら面白い街になるな、と思っていました。福祉の考え方の違う障害当事者の親たちが参加していて、お互いをこすりあうので、管理職経験者が音頭取って飲み会設定して子どもも連れてきてもらって、お互い何が違うのさ、と一目置き合う関係に変えました。当時の福祉のセンスでは一見関係のないスーパー、タクシー会社、駄菓子屋みたいなところにも話を聴きに行きました。今では、高齢者の買い物対策や地域社会の子育てみたいな言葉で語られている場の運営者たちです。
計画書は、ちょうど富岡市長に交代した頃にできあがり、検討した市民は「推進委員」に任命され、さぁ実行しようか、と新年度迎えたら、前市長の政策の遺物とばかりに、計画書は店ざらしにされ、活動予算一つなく、市民啓発の講演会一つ開けず、ただ日常抱えている福祉の不満を吐き出し続ける場になってしまいました。そこから20年。
それはそれで意味ありましたが、市民の問題解決力を雑音みたいに捉えているんだな、ということは感じました。そんな状態がその後10年続いて、歯が抜けるように推進委員たちは引退したり、ときに死亡されていなくなっていきました。計画書を一緒に書いた職員も、若手だと思っていたら一昨年、定年で退職されています。
そんな体験をして、富岡市政になってからの市民力をつけたがらない市政運営を痛感しなければ、私が市議会議員に挑戦していなかったのではなかと思います。