新卒採用または就職活動について

年齢が年齢で体のあちこちに衰えがきているのですが中でも厳しいのが視力。Google Docsの表示は必ず125%にする。この下書きもまず125%にしてから書き始めたこの頃みなさんいかがお過ごしでしょうか。所属先で新卒採用に関わることが多くあったので、思うところなど書いていこうかと思う。まずこの記事は職場の方針や選考とは関係がない一般論であることを明言しておく。一般論というと大げさかもしれない。IT業界では〜くらいの話だと思ってほしい。

「最近の若い奴は〜云々」といった前時代的テンプレート言説があるが、自分はこういった場面に遭遇したことがない。何ならこれまでみてきた若者の中で自分が一番ダメなやつだった自信がある。学生だけでなく職場の若手をみていてもそうだがみんな努力しており優秀だ。セレクションバイアスだと言われたら否定はできないが、こういった前時代的テンプレートに汎用性などなく、むしろ都市伝説なのだと私は思っている。大きな主語で若い人の自信を挫いて自分の言うことを聞かせる洗脳の初手といってもいいかもしれない。

ここからはこれから(これまで?)就職活動をしたわかものに対する親父の小言のようなものだと思ってほしい。

企業と学生は対等

自分の学業や経験に自信がなく、いくつかの会社からお祈りを受けて自信をなくしている人も多いと思う。個人の尊厳の問題でもあり簡単に「まけるな」とか「がんばれ」とか言えるものでもないが、世間の大原則として、学生と企業の採用担当者は対等である(自然人と法人の法的関係はわからないが多分自然人のほうが偉い)。どちらかが偉いということもないし、どちらかが媚びなければいけないということもない。売り手市場、買い手市場どちらの年もあるが学生であっても企業と学生は絶対に対等なので自信を持って対等に企業の担当者と接してほしい。自分が偉い人間だと勘違いしているような担当者がいたらその企業はやめておいたほうがいい。

レジュメは盛るとよいが情報量が大切

新卒で応募するにはまず書類を書くことになる。テンプレートの履歴書で書く人もいると思うが、あのテンプレートはやめておいたほうがよい。顔写真、住所、電話番号、経歴など無駄な情報が多い。住所・電話番号などは個人情報保護法がなかった時代の遺物で、現在は連絡手段や連絡先の管理方法が発展しているので素直に技術やシステムを使ったほうがよい。住所は面接などの段取りを考えるのに必要なこともあるが、○○県在住くらいで十分だ。
次に困るのが顔写真だ。本人確認に使える可能性があるが法的には役に立たない(要出典)。また、顔写真は性別・年齢・人種など選考に不要な情報が入る(不要どころかバイアスになって嬉しくない)ことになる。正直なところ氏名は人種性別などのヒントになってしまうので何かしらブラインドにしてほしいと思うこともある。経歴も大学からで十分だろう…と思ったが、高専か普通科くらいの区別はあってもいいかもしれないからやっぱり書きたい人は書いたらいいのかもしれない。でも大学名もバイアスになるからいらないかもしれない(Publicationみたら所属研究室まで分かっちゃうけど)。

応募書類のなかでも一番大事なのはいわゆるレジュメというやつで、A4 数ページくらいにフリーフォーマットで経歴や持っている技能、これまでの実績を書くものがある。これが個性が出るので一番情報量がある。レジュメで大切なのは適度な長さで必要十分な情報が含まれていることだ。長すぎてもよくないし、短すぎてもよくない。

レジュメのなかでもっとも大切なのは本業の学業だ。学校で規定されたカリキュラムをきちんとこなしたことが分かるようになっているとよい。大学であれば研究までやるので、発表した学会や論文などがリストになっているものが望ましい。ベストペーパーなど賞がとれたのであれば是非書いてほしい。学会の賞は個人の箔付けのためのものなのでどんどん利用すべきだ。

他によく書かれる内容としてはインターンやアルバイトの経歴だろう。首都圏のインターンシップカリキュラムは数が多く、学生にも選択肢が多いが選考も厳しい場合がある。インターンシップの面接に通るためのレジュメに書くインターン経歴が必要で、「インターンのためのインターンに行かなければならない」といった皮肉冗談をわたしも毎年話している。こういった状況は個人的には苦々しく思っており、前述したとおりレジュメでは学業を最も重視することにしている(ここは一般論ではなくてかなり個人の嗜好)。ただし研究室配属などで運がなく学業が芳しくない場合もあるだろうから、一概にインターンシップの成果を無視するべきとも思わない。

これは業界によるとおもうが、もうひとつレジュメで効く内容として趣味がある。単に「読書、ゲームなど」と書いても大した情報量ではないしプライベートを詮索したいわけでもない。しかしながら、個人が持っている熱量を判断するのによい材料になる。もし好きな(コンピュータ関連の)趣味があってどこにも発表していないということがあればそれは勿体ないと思うので、OSS活動、ブログ、IT勉強会などで積極的に発信してほしいと思う。趣味を仕事にしたいかどうかは人によると思うが、それができたらやってみたいという人は、これまでやってきたことを是非書いておくべきだ。

レジュメに書くことがないと思っちゃう場合は…

わたしはこっち側の人間だった。学業を特に真面目にできたわけでもないし、わたしが就職活動をしていた頃はインターンシップカリキュラムを公開している企業はそんなになかった(いや私が能動的に調べなかっただけかもしれない。それだけやる気がなかったということ)。なので履歴書をいざ書く段になって何も書くことがなくて驚いたことを覚えている。当時はレジュメを出すといった習慣がわたしの周りにはなかったが、当時の年齢で社会人みたいなレジュメを書ける気がまったくしない。なので、今の時代に当時の年齢で転生したら生き残れる気がしない。

企業は自分たちがほしいと思っている技能を候補者が持っているかどうか知りたいので、それが判断できない内容のレジュメは基本的に見ない。なので、候補者がやるべきことは以下の2点だけだ。

1. 企業がほしいと思っている(いそうな)技能・潜在能力を調査する
2. 自分にその技能・潜在能力があれば、それがあるということをレジュメで紹介する

レジュメに書くことがないということは、 1.2. のどちらかが足りないということなので、それを身につけるなり調べるなりしよう。多くの場合は単に言語化できていないだけだと思うので、ハッタリでもいいので何か書こう。分量が足りないと思った場合は情報密度が高いと思うので、情報密度を下げて関連情報を書き足すとよい(というと抽象的すぎてわからないかもしれないが、そういうものだと思っている)。

志望動機

これはこまりますよね〜いや本当に。「初任給高いから」「儲かりそうな業界だから」「かっこいいから」「ラクそうだから」みたいなのがあるだろうと思う。で、そういうことを正直に書いてきたり、オトナ語でそれっぽく書いてくる人もいるが、ご推察の通りこういう汎用性の高いことを書いても情報量が少ない。
なので、志望動機は汎用性を下げて業界なり企業にフィットしたことを書くのがよい。中の人が志望動機をみることによって、入社してから楽しくやれるかどうかを判断したり、やりたいことがあったときにこれは叶えてやれる、これは叶えてやれない、みたいなことを考えるための欄や質問だ。なので自分の経験でいうと「自分はパソコンいじるしか能がないんです」「チームで仕事してみたいんです」的なことを言ったと思う。

やる気のないやつはゴメンだぜ!俺たちは社畜がほしいんだ!みたいなことを試すところもあるかもしれないが、そういうところは単純にやめといたほうがいいだろう。

GitHub

個人の GitHub に草を生やすのはとても効果的だ。ただやっぱり天然芝と人工芝は見たら結構わかるものである。私は細かいところまで気になっちゃうので、実際にコードやコミットログを漁ったりしちゃうのである。昔Joel on Softwareで紹介されたビル・ゲイツのエピソードの中に「マネージャーに対して不必要なまでに現場のディテールを細かく聞き出そうとする」というものがあった。これは適当な細かいトピックをチェリーピックすることによって、マネージャーが現場をどれくらい細かく把握しているか調べるテクニックの応用だ。また、綺麗な天然の芝生が生え揃っていなくても、濃い緑のマスがあったら期待して見に行ってしまう。それくらい情報量が多い。

「GitHubに出せるようなプログラミングをしたことがない」という人もいるだろう。別にGitHubが全てではない。プログラミングができることをどこかで証明できればよい。AtCoderのレートでもよいし、学会発表のコード公開でもよい。選考過程でプログラミングのテストをする会社もある。

中途と新卒採用の連続化

就職活動を続けても全然内定がでず自信をもてない人もいるかもしれない。「〜なところはやめたほうがいい」と何度か書いたが、人によっては自分は選べるような立場じゃない、と思う人もいるかもしれないが、人間扱いされないような会社にいくくらいならやめたほうがいいと思っている(とこんなことを言うと Voluntas の声で「お前は底辺を知らない」が脳内再生される)。就職浪人という選択肢もあるだろう。卒業後もアルバイトしながら就職活動を続ける人もいるかもしれない。それでも全然いいんじゃないのと思うし、ブランクがあっても特に気にされない時代になったんじゃないかと思う。今後しばらくは少子化に伴う売り手市場が続くと思うのでなおさらだ。
といっておきながら売り手市場ってなんだ??となった。売り手市場ではなく二極化である( 「売り手市場」?「二極化」?キャリアセンターの視点で見た23卒の就活 ) という説もあるが、単にキャリアの多様化でいいだろうと思った。

まとめ

この記事はPySpa Advent Calendar 2024 の記事として書かれました。明日はWetとDryでモードを使い分けるという考えがうまい、 id:otiai10 です。

何でもやるということ

今年はなんだかとても忙しかった。といってもみんな忙しいんだから自分だけ忙しいなんてことはない。年の瀬だからとかじゃないとおもう。あと2時間でこの文章を上梓しなければアドベントカレンダーに遅刻してしまう。楽しみにしている全国一千万人のファンに申し訳がない。

adventar.org


さてわたしはこの職業について15年以上になってしまった。やっている事柄からしてソフトウェアエンジニアを自認していた。最初の一社は下積みといった感じであったが、ソフトウェア開発をしたり、ちょっとした研究会で発表をしたり、かとおもえば開発プロジェクトでペーパーワークをしたり、プロジェクトで使うサーバーやソフトウェアライセンスを買ったりもしていた。ソフトウェアを書いて何かに使うという時間は本当に短かったように思う。
二社目でようやくソフトウェアエンジニアというタイトルがついた。外資になってタイトルがついたと思ったが、小さな会社だったのでProfessional ServiceやPresalesもやったし、いわゆるロードマップを見て機能開発をするソフトウェアエンジニアリングもやった。顧客のシステムで自分たちのソフトウェアが問題を起こしたときはサポートもやった。

現職はもっとよくわからなくなった。1stではないものの国際会議に論文を書いて出したりもしたし、OSS開発もやった。社内システムの運用もやったし、なんなら大規模にサーバーインフラを打つといったこともやった。ベンダーやメーカーと付き合ってハードウェアのロードマップを見ながらいつどのハードをいくら買うか、予算はいくら必要だからと見積もるようなこともやってきた。なんならこれまでのキャリアの大半でソフトウェアエンジニアを自認していたくせにソフトウェアエンジニアリングをしていた期間は思っていたよりも短いとすら思う。

天職の図

不惑を過ぎて自分はこの仕事が好きなんだろうかと自問することは少なくなった。必要だと思ったことは何でもやるつもりだ(もちろん優先度や、自分が得意かどうかをみつつ仕事を選ぶ)。やるつもりだけど、好きかどうかでいったらFactorioやスプラトゥーンしていた方がずっと楽しい。今年は430時間プレイしたらしい。平日夜や土日は基本的に疲れているので論文やエディタを開くことはほとんどなくなってしまった。ちょっとした職業病みたいなもので、「そのプログラム書いたらどれくらい得なの?」とか「その小便利なホームハックしたってうちで運用するの基本的にダルいよね?」みたいな感じになってしまった。

ソフトウェアエンジニアは最新技術にキャッチアップしなければならない、みたいなのはプロフェッショナルならどの職業でもそうだと思うのだけど、これは結構元気が必要。本職で昼間は火がついているのに夜ノホホンとインターネットを眺めていてうっかりプログラミングの話が目に入ってこようものなら、昼間に見かけた負債やToilのことを思い出してゲンナリすることもある。
業界事情は常にキャッチアップしないとなあと思う反面、昔勉強したことはいつまでも覚えているもので、昔話をすることが増えてしまった。自分の思考が昔のことに囚われているような気がしたり、他人に自分の偏見や成功(失敗)体験を押し付けているような気がしてくるので昔話はあまり好きじゃないのだけども、それでもやっぱり自分が知っている経験をなるべく歴史にして忘れないように(同じ失敗をしないように)してほしいという気持ちもあるので、義務感と感情が衝突して心苦しい。
これは時効だと思うのだけど、わたしがまだ20代の頃にストレージメディアとしてSSDがようやく出始めで、Seekが必要ない画期的なデバイスで研究をしようという話が近くの同僚と持ち上がったものの、当時50代であったろう部長が磁気カードだったかの開発体験をもとに「フラッシュメモリはダメだ、ありゃあ消えるしウソをつく」みたいな苦労話を15分ほど聞かされて話がシュンと立ち消えになったことがあった。SATAだろうがNVMeだろうが出始めでもSSDメディアは内部でファームウェアコントローラがエラー訂正なりデータ冗長化なりをしていて、HDDとほぼ同様もしくはそれ以上の信頼性が出るという知識があっても(今では常識だが当時はそこまで分かっていなかった)、そんなことはないと歯向かえるようなこともなかった。彼は若いわたしたちに失敗(デスマ)させまいとおそらく善意で昔話をしたのだろうけども、まあ善意だから結果的によかったということでもない。力不足ということでもあったのだろう。

蒸発の図


昔はパソコンを触るのが好きだったはずだ。すべての問題が杭に見えていたこともあったが、勢いはあったとおもう。パソコンさわってるだけで仕事になるなんて最高じゃあないか、趣味を仕事にするのは幸せなことだ。それは一面ではそうだろう。まあでも最近はプログラムを書かないで問題解決しようとすることの方が多くなってしまい(なぜなら書いているヒマがないetcで108個くらい理由はある)、自分は果たして好きなのだろうか、みたいなことはここに書くのも実は恥ずかしいのだがよくわからなくなってしまった。これは単なるBurnoutと考えることもできるし、名人伝でいうところの弓をとらなくなってしまったあたりなのかもしれない。あれも解釈は正直よくわからない。

仕事として価値があることは何でもやるように心がけているし、価値のありそうな仕事はソフトウェアエンジニアリングであろうがなかろうがモチベーションはあがる。その反面、プログラムを書くときに「これは金になるだろうか?」みたいなことを反射的に自問するようになってしまって、そのプログラムが面白いかどうかを考えることが少なくなった。腕前が落ちてプロトタイプが動くまでたどり着かなくなってしまったのかもしれないし、腕前が上がってすぐに飽きるようになってしまったのかもしれない。

何でもやるという気概を持っていると、だんだん何もできなくなってしまうのかもしれない。あとすこしでFTL Driveができるので、それができたら何か仕事もパソコンも関係ないことしてみようかな。自己研鑽。

あと少しでFTL Driveが作れるようになるの図

明日は @hajimehoshi さんです。

岡山の記憶 その1

歳のせいか昔のことを思い出したり語ったりするようになってしまった。みっともないのでこういうところに書くだけにしてなるべくリアルには人の耳に触れないようにしておきたい。

高校時代はJR線を使って電車通学をしていた。はじめは自転車で岡山駅に行って西口の地下駐車場に停めて電車に飛び乗っていた。光景としてはこのブログそのままであった。

happipop.blog90.fc2.com

ひとつだけ画像を転載する。

岡山駅西口旧駅舎内部の改札
岡山駅西口旧駅舎内部の改札 ☆楽しい毎日2☆より転載

ここが自動改札になったのは高校時代の途中からだったと記憶している。それ以前は駅員が立っていてスッと定期入れを見せて走り抜けるのが朝の通例であった。

もうすこし大きい画像はこちらから。

yufuki.cocolog-nifty.com

資料的にはっきりしている記事はこちら。最近の姿も出ているが、なんにしろゴツい・・・それだけ利用者が増えたということなんだろうか。都心の駅と変わらない大きさであるが、岡山の経済規模もこれに合わせて賑やかになっているといいな。

ekisya.net

西口旧駅舎。昭和63(1988)年3月改築。再開発のため平成19(2007)年11月に閉鎖、平成20(2008)年3月に解体されました。
跡地には広場・バスターミナルが整備され、平成22(2010)年4月末に使用開始されました。

と時系列も明示されている。この駅舎かわいくて好きだったし、古いと思っていたがそこまで古いものでもなかった。国鉄時代の姿も掲載されているが、思っていたより味気ない昭和であった。

実は岡山駅西口を利用していたのは高校時代も途中までで、そこから津山線でひと駅進んだ法界院駅の方が通学しやすいことに気がついて途中からはそちらを利用していた。その姿も ekisya.net に収められている。

ekisya.net

岡山市街の住宅密集地にある駅。幅の広い島式ホームの駅です。岡山大学津島キャンパスの最寄り駅で、この駅で折り返す通学列車が運行されています。
明治41(1908)年6月開業時の駅舎ですが、駅舎の右側の一部が解体され、コンパクトになりました。(2001.10撮影)

なんとあの駅舎にそんな歴史があったとは知らなかった。中は磁気カードの定期を入れて通るタイプの自動改札であったように思う。この向かいに私営の駐輪場があって、自分で自転車を停めなくても入口に置いてサッと電車に乗るとおっちゃんが奥にしまってくれるシステムであった。鍵もそのまま預けてしまうのである。あれは本当に便利で好きだった。

当時はあの光景がなくなるなんて想像もしなかったけど、毎秒姿を変えていく東京に住んでいるとそういう感覚もすっかり忘れてしまった。デジタルカメラを買ったのは21世紀に入ってからだし当時の写真がまるで残っていないので記憶で語るばかりになってしまった。

オチも〆もない。

我が家の生活物資事情コストコ編

この記事は PySpa Advent Calendar 2022 の13日目の記事です。前日はしろうさんのFactorio記事でしたね。 

実は2019年末に自家用車を購入していました。たまたま今のコロナ禍が始まる直前だったのは本当に運がよかったとしか言いようがなくて、ワクチンが出るまでは電車に乗ることが本当にためらわれてしまうところだったのが本当に助かっています。このことで移動の自由が、実は人間の精神の安定に大きく寄与していることに初めて気付かされました。このタイミングで自家用車を手に入れたことによって生活が大きくかわりました。それまで近所のスーパーマーケットに(妻が)ほぼ毎日徒歩で行って両手に大荷物を抱えて雨だろうが雪だろうが帰ってきたり、物資が切れたタイミングでヨドバシカメラに補充品を追加注文して管理しきれなくなっていたところでした。小さかった子供がどちらも小学校に入ってみるみる成長し、我が家の食糧がかつてないスピードで消費されていくようになりました。自家用車がなければ本当に詰んでいたところでした(今は自家用車の維持費と教育費(プラス各種補助の所得制限)で財政が厳しい以外は何とかなっている)。

自家用車を手に入れたことによって、遠方の大型商業施設にも足を伸ばせるようになりました。ららぽーと、イトーヨーカドー、IKEAなど。その中でも重要な位置に躍り出たのがコストコです。コストコは「倉庫店」というネーミングからもわかるように、倉庫をそのまま店舗にしてバルクでものが買えるようにした小売店です。小売店といいながら倉庫がそのまま店舗になっておりSKUの単位が大きく、流通、棚卸、品出しとレジのコストを大きく削減できる一方で客単価を大幅に増やしたことによって強力な収益力を手に入れました。一方客にとっては必要なものをまとめ買いすることで生活物資の調達を効率化し、なおかつ全てをお徳用で買うことによって生活費の削減も期待できます。しかも日本にはあまりないアメリカの生活物資が並ぶ上にアメリカンスタイルのフードコートも併置されており、アメリカンライフを疑似体験できるという付加価値までついています。あまりに大人気で、連休や土日はどの時間帯にうんざりするほど混みますが、それでも人はコストコに集まります。

取材班はその謎を明らかにすべく、関東近郊のコストコ巡礼を始めた・・・

店舗紹介

遠い店舗もありますが、休日はドライブがてら遠くに行くことが多いです。高速代はかかりますが、そこはドライブなので実質無料。コストコでひとつだけ注意が必要なのは、VISAのクレジットカードが使えないことです。十分な現金かMasterCardのどちらかを持っていく必要があります。

幕張倉庫店

都心から一番アクセスがいいのが幕張倉庫店です。首都高にのってもいいですし東京の東側からなら下道でもすぐです。ただ初期からある店舗だけあって建物も小さめで混みがちです。売り場が2フロアにまたがっていて特殊な配置になっているので、慣れないと必要なものがどこにあるかわかりにくいです。

新三郷倉庫店

次に都心からアクセスがよいのが新三郷倉庫店です。ここは常磐道からのアクセスもよく、都内ナンバーの車もよく見かけます。店舗や駐車場もほどよい広さですが、アクセスがよいだけあって休日は混みます。店内の配置はコストコの標準的な配置になっていて、適当な順路でグルーっと廻ると必要なものが網羅できる感じです。ただ混んでいるので品物の回転が早く、特に人気の生鮮食品は品切れがあったりします。店内が一番空くのは平日の夕方から夜にかけてですが、夕方に都心から下り方面で移動するとラッシュに巻き込まれて移動時間が読めない場合があります。
幕張店よりもオススメ度が高いのはもう一つ理由があって、ここにはガソリンスタンドが併設されています。通常のガソリンスタンドよりもリッターあたり10円程度安いので、自動車での移動が多い人や燃費のよくない車に乗っている人はここで給油することがオススメです。ガソリンスタンドは現金決済ができないので、MasterCardが必要です。

近くにIKEAとららぽーとがあり、荷室が大きな車を持っている場合はまとめて買物を全部済ませることができるので便利です。

つくば倉庫店

新三郷倉庫店ではちょっと物足りないなあ、というときに行きやすいのがここです。新三郷インターで降りずにそのまま常磐道を20〜30分ほど北上するとすぐに着きます。ここは新三郷などの都内近郊店よりもさらに店舗が広くガソリンスタンドもあり、来客数が落ち着いているので品切れが少ないという点でオススメです。近くに筑波山もあるので、そこで少し山道のドライブを楽しんで来るのもよいかでしょう。
ただしここで野菜を買うことはオススメしません。つくば中央ICに向かう途中にあるみずほの村市場 に野菜の直売所があり、そこでよい野菜を多く買えるからです。


金沢シーサイド倉庫店

すこし趣向を変えてこんどは南方に行きます。ここは海沿いにあって、湾岸線をブワーッと走っていくと終点の少し先にあります。ここはコストコとしてはこれといった特色があるわけではないのですが、近くにある横浜南部市場 でうまいランチを食べて野菜を買ってから行くのがよいでしょう。

壬生倉庫店

壬生倉庫店は最近開拓したところです。東北道に乗って1時間以上かかりますが距離の分の価値はあります。とにかく店舗が広いです。休日に行くと混みがちなのは栃木唯一のコストコだからでしょうが、混んでいるのは駐車場だけ。店舗はとにかく広いので中でストレスを感じることはほとんどありません。巨大な冷蔵室の中に入って「サム〜〜〜」となるのを楽しみましょう。
壬生倉庫店の魅力はもうひとつ、途中の北関東自動車道壬生PAにある壬生ハイウェーオアシスです。サイトは「ハイウェイパーク」になっていたり、単に「道の駅」となっていたりでよく分からないですが、ここにも野菜の直売所があります。ここには壬生産のネギ、白菜、大根などの野菜が出ますが、どれも大きくて安いです。コストコではなくここで野菜を買って帰りましょう。60~70センチほどもある大きな白菜がゴロゴロ置いてありました。

オススメ商品

コストコに求めているものは食糧や生活物資であって、物珍しいものを買うことはありません。とにかく車のトランクに満載して、トランクに積みきれない場合は後部座席に詰めて帰ります。じゃあ何をそんなに買うの???ということで一部ですがよく買うものを紹介していきます。多分オカシイんじゃないかって言われそうな気がしています。どの店舗行ってもそうなんですが、うちだけカートに山積みになっていて買ってる量がおかしいんです・・・

とにかく肉です。近所のスーパーマーケットで数百g単位に切り分けられた商品は、切り分けた分のコストが入っています。どうせすぐに食べてしまうのに小分けにしてしまうのは勿体ないのですが、コストコではkg単位で肉を売っています。我が家の消費量の目安でいうと鳥の唐揚げは一回の食事で1kgです。豚汁は500gからです。餃子は300gです。メンチカツは冷凍保存にもまわしますが一回1.8kgで仕込みます(全部妻がやってくれます)。なので大きいことが正義です。
まずカナダ産三元豚ロースしゃぶしゃぶです。写真だと2.3kgくらいあります。写真だと89円/100gですが今は少し値上がりしましたね。これがコスパよいです。これを家庭用のブレンダーにミキサーアタッチメントをつけてひき肉にしたりします。すぐに使わない分は小分けにして冷凍します。

costcotuu.com


次は 100%ビーフパティです。脂が入っていなくてタンパク質効率がよく、12枚にいい感じに小分けにされているので調理もしやすいようです。メンチカツやロールキャベツに使います。タネだけ作っておいてハンバーグにもしたりするようです。これも2kgくらいあって胃袋を満たしてくれます。

macaro-ni.jp

これがこうなります


USAビーフ肩ロースカタマリはロースがほしいときに使います。これも1.5kg くらいあってコスパがよいです。妻がステーキ用と煮込み用に切り分けて使います。煮込み用は肉ゴロゴロカレーとかシチューになります。ステーキは主に私が食べます(焼いてもらいます)。

costcotuu.com


イチボブロック はAnovaで低温調理してローストビーフにします。脂肪が多すぎず少なすぎず食べ方も応用が効くのでよいです。

maz-style.com

だいたいこの4種類の肉から家で在庫が切れているものを選んで買います。ストックが切れるタイミングをみて買いに来たりするので、多いときは合計で6kgとか買います。レジに出すときにデカい肉を何度も運んで「ホントにこれ食うんか・・・?」と思いますが、しばらくして気づいたら「もうないよ」って妻に言われます。




衛生的な観点とポータビリティから我が家では外出時に水筒ではなくペットボトルのミネラルウォーターを持って出かけることが多いです。在宅時も2Lのペットボトルでは運用性が悪いので500ccのペットボトルの水を飲みます。
このサイズの水はロクサーヌウォーターカークランドシグネチャのもの をどちらか選んで買います。サイトでみるとすごい値段ですが店舗にいくとすごく安いです。

その他食品

スイスデリス ダークチョコレート 1.3kg もオススメです。ふつうの板チョコは砂糖や脂肪分が多くて非常に食べづらいですが、このダークチョコレートは脂肪も砂糖も少なく、かといって苦くならない程度に入っているので食べやすいです。個包装になっていて雑に手づかみでわしっと掴んで卓上に運んで、こいつをガリガリやりながら仕事したりします。3000円未満の袋にとにかくアホほどチョコレートが詰まっていてコスパもよいです。これはなくなるのに結構時間がかかるので、数ヶ月に一回買う感じです。

好き嫌いのある子供に栄養分をとらせるのは難しいです。バランスがどうとかいってられません。とにかくカロリーを与えるのです。そのときに有効な手札として、チーズのフライです。これで二翻です。二翻あれば食べてくれるしカロリーもそれなりにあります。モッツァレラチーズスティックは二翻の冷凍食品です。で、量が多いので困ったときはこれを揚げます(妻が)。子どもたちはこれが大好きで、争って食べています。

ultimate-setsuko.com

雑貨

ペーパータオル は、他の日系店舗では買えない量と厚さがあります。分厚くて丈夫なのでどんなところでも拭けます。何なら使い捨て雑巾の代わりにしたりします。窓を拭いたりとか。汎用性高いです(オンラインだといい値段ですが店舗だと安く買えます)。

トイレットペーパー は少し厚めで肌に優しい感じがありますが、一方で厚いので一度に使いすぎると詰まりがちです。これは日本の便器メーカーがJIS規格(JISP 4501というそうです)のトイレットペーパーをベースに便器を開発しているのに対して、このトイレットペーパーはJIS規格よりも(たぶん)厚めになっているからです。だから売れてるんだと思いますが・・・それに加えて1SKUに60ロール入ってて、紙の消費量が多い家庭でもこれひとつ買っておくだけで当分トイレットペーパーを買わなくていいというのも我が家で採用している理由です。

最後に紹介するのはプラスチックケース です。よくホームセンターにあるプラスチックケースとちがって、フタと容器を分けて重ねることができるので使っていないケースの収納性が高いです。我が家ではこれを常にいくつかストックしておいて、片付けたいものがあったらこれに放り込んで積む運用をしています。A4の書類やコミック誌などあらゆる小型〜中型の雑貨をこのケースに収納することで、ある種の標準コンテナとして運用して収納効率やケースの相互運用性を高めています。

我が家のルーチンとしては、だいたいここに紹介したような品物を月に1~2度、どこかの店舗に補給しに行くイメージです。在庫管理にはGoogle KeepのItem Listを使っています。不足しているものをまずこんな感じでチェックボックスリストにします。




店舗でカートに入れたらリストのものをチェックすると下にまわって消化済になります。ストックがラス1になるとかでそろそろ補給が必要だなとなったら、Keepのページを開いて、チェック済みの品物のチェックを外します。そうすると未チェックになってリストの先頭にまわります。ある種のカンバン方式かなと思います。

いかがでしたか? 以上、我が家のコストコ・ハックでした。明日の担当はデスマ部顧問こと佐藤太一さんです。

二月の戦い 実践編

Pyspa Advent Calendar 2021 , 9日めの記事です。

まだ戦いは先の話なので気軽に書いています。二月の勝者は未読です。私自身は中学受験はしていませんが、祖母は神戸で私塾を営んでいて、小学生の頃は家族で帰省する度に食塩水の問題を解かされたりしていました。ネットではタワマン文学と併せて茶化されるサピックスですが、今まさに長男が通っているので、父親として見聞きできる限りの実態を赤裸々にお伝えしようと思います。

基本的なサイクル

サピックスでは毎週、4教科(理科、社会、算数、国語をひとコマずつ)の授業があります。その授業1回につき一冊のテキストが配られます。どれもだいたい10〜20ページくらいあって、教科ごとに構成が違います。

  • 算数…その週の知識確認問題と、復習用の問題、発展問題、計算力コンテスト
  • 国語…その週の文章題。物語文、説明文など週によってまちまち。
  • 社会…その週のカリキュラム内容の解説が前半にまとまっている。後半には知識確認問題→応用問題→先週までの知識確認問題
  • 理科…その週のカリキュラム内容の解説が前半にまとまっている。後半には知識確認問題→応用問題→先週までの知識確認問題
  • 6年生になると、4教科に加えて志望校の対策授業がみっちり入る。

その週のカリキュラムは配られたテキストに書かれています。授業で解説されて授業中にテキストの問題を一部練習で解きます。残りは持ち帰って全部やります。これを親が採点して復習させます。翌週には、理解度をチェックするテストが各教科であります。ウィークリーで理解度を厳しくチェックして、これがよくない子は集中的にケアがされるようです。ケアの度合いは上位のクラスほど丁寧であったり厳しかったりします。
この「上位のクラス」というのを規定するために、ほぼ毎月組分けのテストが行われます。いわゆるマンスリーとか組分けというやつです。組分けのテスト範囲は、それまでの授業範囲を指定したテストの場合と、範囲を特に定めない実力テストの場合があります。このテストの点数によって厳密にクラス分けされます。クラス分けは、いわゆるαグループ(上位1〜2割)と、アルファベットで分けられる通常のグループに分けられます。クラス数はその教室の生徒の人数によって変動しますが、マンモス校だと26クラスとかあるようです
また、子供の学校の休みに合わせて春季、夏季、冬季の講習があります。これらの講習ではサイクルが一週間よりちょっと短くなりますが、短くなるだけで授業→復習→小テストのサイクルは変わりません。1,2,3学期に加えて春夏冬の講習があって、ざっくり年間で6セメスターある感じです。とはいえ1,2日連続した授業日の合間に1,2日あきますし、盆暮れは休みになるので、その合間を縫ってで旅行や帰省をすることになります。ここ2年はたまたまコロナ禍で旅行帰省をしにくくなっていたので、幸か不幸か好都合でした(ToT)。

これに加えて、半年に一回サピックスオープンという全国?模試があります。これで自分の位置取りをテストして、偏差値から志望校に対する合格率を確認することができます。といっても、20%, 50%, 80% といった大まかな値しかわからないようになっていて、そもそもテストの成績は正規分布に従うようにはなっていないのだからあんまり当てになるものでもないです。なんとなく、近い中くらい遠いくらいが分かる程度のものです。

というわけで、基本的なサイクルとしては、以下のようなものになります。

  • 毎週は授業→復習→小テスト
  • 毎月はマンスリーテスト→組分け
  • 半期ごとにに組分けテスト
  • 半期ごとに全国模試→志望校を考える

これに対して月謝がだいたいN万円で、毎週の授業時間もNに比例して長くなる感じです。高学年になるほどNは大きくなりますが基本的には一桁です。サピックスにかかる月数万円が教育格差というのは確かにそうですが、サピックスに入る目的は中学受験で、都内の私立中高一貫校に入るためです。サピックスの月謝はこういった学校の学費と大体同水準なので、私立校を目指すのであればそれくらいの経済力が必要になるということです。ただ、そういった私立校の多くは奨学金の制度があるらしいので、それを目当てにするのであればサピックスにかかる金はわりと高いということになるでしょう。
実際には、サピックスに通える地域に住んでいること、サピックスの復習を採点できる程度の親の教育と余暇も要求されているので、これも加味して考えれば大きな格差といえるかもしれません。わたしも地方の公立中出身なので、都内にいることのアドバンテージが非常に大きいことを知っています。

クラス分けについて

サピックス都市伝説として、クラス分けが子どもたちのカーストを形成していると言われます。地方出身のわたしにはまだ信じられないことですが、どうやら都会ではそうらしいのです。運動が苦手でも子供が自信を持てるのは素晴らしいことですが、どうやらそれがマウンティング要素にもなっているようです。そもそもマウンティングするような子供に育てるべきではないですし、マウンティングされたからといって自信を失わないようなメンタリティを育てていきたいところですね。子供の誇りの扱いは難しいと思いますが、いろんなことをやらせて、勉強以外でもとにかく自信をつけさせるようにしてやりたいですね。
サピックスで上位に入るために家庭教師をつけるという話を聞いたことがあります。どうも上記のようなサイクルを親子だけで回せないような場合に、サピックスとしてもこれを推奨しているようです。子供の成績が上がってサピックスで結果が出るようになるのはいいことでしょうが、我が家では家庭教師をつけるほどの余裕(時間、金銭、場所)はないので、子供のためにそこまでできるのは本当にすごいことだと思います。でも実際に家庭教師をつけているという話はうちの子供の周りでは聞かないので、やっているとしてもごく一部なのでしょう。

我が家でも、もちろん成績を少しでもよくしようと努力をしています。ただ物量的な負担はかなりのものになるので、理科と算数はわたしが、国語と社会は妻がみています。親の負担はこうして分担できますが、勉強する本人はどうやっても分担できないので本当に大変だと思います。家庭での指導は、基本的には授業でもらってきたテキストの残った問題を解いて採点する、解けるようになるまで繰り返すというスタイルをとっています。ただこれがどうやっても量が多いです。天才タイプの子供であれば1教科1時間程度で済ませられる量ですが、普通はわからない問題があったり、授業で解き方を教えてない問題があったり、先生の教え方が曖昧(or子供の理解が曖昧)なものがあって、1教科数時間かかるのが普通だと思います。
ここだけの話ですが(といいつつインターネットに書く)、テキストの問題や回答例もたまにすごく完成度の低いものが混ざっていて、曖昧だったり意味不明だったりします。そういうときのために、先生に質問する機会が設けられている(休み中は電話もできる)ので、それは積極的に活用すべきです。テキストにあることをすべてを金科玉条のごとく信用するのは危険ですし、そのときに親の教養や知性が問われます。心を強く持つ必要がありますが、9割以上のケースではよくできているので疑い過ぎることのないようにします。

中学受験そのものについて

では、そもそも中学受験とはいかなるものか?基本的には、小学校のカリキュラムの範囲内か、中学校のカリキュラムに触れない範囲で学校が入試問題を作成して入学者を選抜します。塾としては、そういったテストで高得点をとれるように子供を訓練することになります。

この「中学校のカリキュラムに触れない」というのが曲者で、いわゆる植木算、旅人算、鶴亀算などが典型ですが、サピックスの問題はさらにそこから少し広めにカバーしてきます。見たことのない問題で子供が戸惑わないようにしているのだと思いますが、わたしが見る限りでは順列組み合わせ、等差数列、幾何学などの内容がガッツリでてきます。さすがに微積分や線形代数は出てきませんが、鶴亀算なんかは複雑で連立方程式なしには解けないようなものが出てきます。算数が得意な子供は脳内で鶴亀算を変数なしで展開して連立方程式を解くのに相当することをやってのけるようですが、そこまでいくと親(と塾講師)の能力を超えてしまうので、結局代数学もどきを教えてしまうことになります。□や△を変数にしたり、比率も必要な場合は③とか⑤といったよくわからない記号をつかって代数的に解いていきます。ここまでくると何を教えているのかわからなくなってしまい、果たして中学受験とは何だったのか?みたいな気持ちになります。

理科だと典型的には百葉箱だったり日時計、星座の問題がでてきたりします。星座や天体運行なんかは脳内に太陽系の配置と天球を三次元的に理解させるのである程度直感でなんとかなりますが、百葉箱についてはpyspa内でも議論になりました(私が一方的にキレていただけともいう)。つまり、果たして百葉箱は真に気温を測れているのか?なぜ白いのか?なぜ芝生の上でなければならないのか?これらはさまざまな物理現象の複合で、知識があればあるだけそれを動員して答えることができます。わたしが特に???となったのは、百葉箱が芝生の上に立っているのは「地面から熱が伝わらないようにするため」という回答例があったときでした。字句通りに読むとこれは熱伝導という現象を前提にしていることになりますが、気体を介した熱拡散を熱伝導と呼んでよいのか?流体も含むため熱拡散方程式では記述できない複雑な現象なのではないか?という疑問があたまから消えませんでした。地面からの黒体放射はどの程度影響するのか?等々議論の結果、どうやらいわゆる一般の模範解答でいいらしいのですが、まあ明らかに小学生が理解すべき範囲を超えているわけです。

他にも、古典力学でいう回転モーメントのことをテキスト中で「回転させる力」と定義していたりで、とにかく中学以降の範囲に触れないように言葉を選んだ結果わけのわからないものになっている、というのが中学受験競争の実態だと思うようになりました。まあ実際には十分な時間教育を受けたわけではない子供の先天的、後天的能力を公平に測って比較選抜するという超絶無理難題に対する試行錯誤の結果だとは思うのですが、それにしたって比較選抜される側は大変です。

仕事柄、そういった選抜に子供時代に勝ち残った人たちと接することがありますが、皆一様に人格者であったり、なんかしら優れた能力を持っていたりするわけで、どちらが因果かははっきりしないですが(そして生存バイアスかもしれませんが)、社会のシステムとしてはよくできているのだなと思ったりもします。

親が子供に教えるということ

なぜ人類は有史以来、子供に習い事をさせたり、家庭教師をつけたりするのか?これは親にその能力や時間がない場合も多いですが、もうひとつ大きな強い理由があることははっきりしています。親と子の関係に加えて、教師と生徒という関係を併存させるのはとても難しいからです。親は子供に期待をします。子供はもちろん期待に応えようと努力します。でも、どちらも完璧にはできません。子供の能力を超えて親が期待することもありますし、親の全ての期待に子供が応えられることはほとんどありません。そのギャップが大きいほど親子それぞれが苦しむことになります。「どうしてこんなこともできないんだ」「そんなのできるわけないよ」「どうしてサボるんだ」「サボってない(こんなに沢山できないよ)」といったやり取りを経験した人も多いと思います。
子供に甘くしすぎると成績はあがりませんし(小学生なのでself-motivateするのは難しいのが普通です)、かといって厳しくしすぎてもだめです。親子に埋められない溝ができたり、子供を深く傷つけたりすることになります。いくら受験に勝利してもそうなってしまっては元も子もないですから、そこにはなるべく注意を払いますが、それでも感情的になってしまうことはあります。ままならないものですが、これをうまくやらないとそもそもスタートラインに立てません(勉強する姿勢にならない)。

子供をいわゆる「いい学校」に入れるのは、教育の一環です。親が幼少時の育児を終えたあと子供に最後に贈ることができるのが教育です。教育とはつまり、子供が経済的に自立するための能力を与えてやることで、これは実際には学歴や専門知識である必要はないです。結果的に自立できるのであれば、音楽やスポーツ、芸術であってもいいと思います。実際勉強するのが一番コスパがいいとは思っていますが、塾に入れて勉強させるのは親がそういう選択をしたということであって、まあ私の場合は他がサッパリダメなのでそれくらいしか教育をできないということでもあります。なので、子供が本気で「勉強したくない」と言ったのであれば認めて受験をやめるべきです(ここは議論のあるところだと思いますが、原則論はこうです)。なので、上から「勉強しなさい」と頭ごなしに叱ったり脅したりするのではなく、方便を尽くして説得することになります。もちろん大人対子供なので、どうディベートしても大人が勝ちやすいのが実態ですが、なるべく誠実に自分の人生で知る限りのことを解説します。勉強ができるといろんな知識や技能が身につく、知識や技能が身につくと年収があがる、年収があがると不幸を減らすことができるし漫画やゲームだって大人買いできる・・・等々。読者諸君はどうやってお子さんを説得しているでしょうか。

その上で、親は子供の横に立って一緒に問題を解いたり、学校見学に行ったり、テストや勉強を応援することが大切だと思います。中学受験も侮れないもので、理科や社会の知識問題では親よりも博識になっていますし(山に行ったらあの花はなんだ、あの葉っぱはなんだと解説してくれます)、理科の問題では親の理解が曖昧なところを復習できたりします。わたしのおすすめのテキストは「よくわかる初等力学」です。サピックスのテキストでなあなあで済ませているところを、古典力学で解析的に問題を解いたり暗黙の前提をうまくすべて言葉にしてあったりします。微積分が出てくるので子供に直接読ませるのは難しいのですが、これを見ながらサピックスの理科で出てくる物理の問題を自信をもって子供に解説できるようになりました(そしてサピックスのテキストがかなりきっちりと要点を押さえていることにも気づきました)。


著者の前野先生は同様のシリーズを理科の他分野でも出しているようなので、こちらもおいおい買って読んでいこうと思っています。

話を戻すと、中学受験はいわゆる二人三脚(両親なのでうちは三人四脚ですが)で、子供の学力を上げる息の長いプロジェクトをやっているようなものです。うちでは親子に加えて師弟という関係を追加することにしました。このプロジェクトの過程でよくも悪くも子供のいろんな面をみて学ぶことができました。まだ終わってないけど。単なる養育とは違う、一緒に何かを頑張るという新しい関係を息子とは構築できたような気がしています(向こうはしんどいとしか思っていないかもしれないけど)。まだ終わってませんが、そういう建設的で新しい関係を築けただけでもよかったなあと思って、日々息子を「勉強やろうぜ」と煽っているところです。

Tips

うちで実践していて上手くいってる(上手くいかなかった)取り組みを順不同で紹介してみようと思います。子供をけなしているような表現が多くみられますが、これは筆者の子供時代の経験や記憶を振り返っても真実だと思っているので異論は認めません。そして息子はびっくりするくらい父親に似ます。びっくりするよホント。

Bad

  • 勉強用の個室を与える・・・人目がないとずっと遊びます。自室には誘惑が沢山ありますが、子供という生き物はなんでもオモチャにするので監視の目が必要です
  • 居間で勉強させる・・・人目がありすぎても集中できなくなります。弟が大声で歌ったり母親が料理をしていたり、在宅勤務の父親が母親と雑談したり。
  • 夜遅くまでやらせる・・・「夜の方が集中できる」ダメです。俺みたいになるな
  • 勉強計画表を作らせる・・・計画は破るためにある
  • 目標達成したらご褒美・・・子供という生き物は何があっても勉強したくない生き物なのでご褒美は特に効果はありません
  • 毎月のKPT振り返り・・・親が主導してできるかと思ったけど、そもそも親が普段やってないことを子供にやらせるのは無理だった

Good

  • スタバとかに連れ出して一緒に勉強する・・・家の雑音から隔離して適度に人目のあるところに置けて、なおかつ外出で気分転換にもなる
  • 毎日言葉で応援したり煽ったりする・・・小学生男子の記憶力はトリ並みなので毎日思い出させてやる必要があります。今風にいうとモチベーションマネージメントというやつです。
  • テストの結果だけでなく内容を一緒に見てほめたり対策を考えたりする・・・テストはいわゆるシステムからのフィードバックなので客観的な目でもレビューして言語化してやると、数日くらいはモチベーションアップに貢献するようです
  • 気分転換の外出・・・ごく稀に公園にテーブルを持ち出して勉強したり、プロバスケットボールの試合を観に行ったりします。旅行は難しいですが日帰り程度なら気分転換になるようです。なっていると思いたい。
  • ブラタモリと鉄腕DASH・・・夕食時に家族で観ます。このときだけは勉強のことは忘れて、家族みんなで楽しく観ます。それ以外はほとんどテレビはつけません。
  • 運動系の習い事・・・本当はもっと運動させたいのですが、なんか親に似て運動嫌いみたいなので、本人が楽しいと言ったやつに週二つ行かせています。

まとめ

二月の戦いについて我が家の現状をまとめてみました。まだ終わってないからこそ書けることばかりでしたが、いかがでしたか?

役職定年と定年延長について

川田耕作 on Twitter: "大企業勤務で30歳台後半で妻子持ちで能力は普通だがTwitterでキラキラした外の世界に少し憧れて転職に興味を持ち始めた人達へ贈る言葉… "

大企業勤務で30歳台後半で妻子持ちで能力は普通だがTwitterでキラキラした外の世界に少し憧れて転職に興味を持ち始めた人達へ贈る言葉>考えるな!大企業にしがみつけ!!

学生や子供で、「いい大学に入っていい会社に就職して、一生安泰で暮らすんだよ」と親に言われてその気になっている人は多いと思う。大企業に就職して定年(今だと65歳)まで勤め上げたらきっと幸福になれる!という幻想は、確かに貧困にあえぐことなく暮らして、多少のストレスがあったとしても衣食住に困ることはなく生きていきたい人にとってはそうだろうと思う。ドロップアウトや就職浪人の恐怖に怯えながら学業をこなすことは大変なプレッシャーだ。そういう人は得てして就職に成功すると、働きながらも僅かに現状に不満をもつようになり、ちょっとしたステップアップを望んだりするものだ。その人間の希望を喰らって成長する怪物に食われてしまうことを、元のTweetは強く戒めるものである。

そういう人(わたしもそうだった)が就職活動をしているときに知らず、就職して数年経ってから気づくシステムが役職定年というシステムだ。前置きが長くなったが、大企業に就職して一生安泰というステレオタイプなイメージは実は幻想であり、この幻想を潜在的に破壊しうるう要素は不正会計や倒産、人員整理などいくらでもあるが、この幻想を確実に否定するもののひとつが役職定年である。

役職定年を簡単に説明すると、企業が年齢層の高い社員を高い職位から適当な理由をつけて外すことによって組織内での人材の流動性を高めると同時に人件費を削減することができる、とても都合のよいものだ。具体的かつ典型的には、50歳を過ぎると課長級、50代後半からは部長級に役職定年が来て同じ職場に残るわけにもいかないので、同社の一般職員になって転籍したり、出向してグループ子会社の管理職や幹部になることが多い。給与は7割程度に下がり仕事内容も部下の管理や教育になる(いわゆる一線を退くというものだ)。
また、人間の能力は年齢が上がるにつれどこかでピークを迎え、下り坂になる。能力がピークを過ぎる前に職位を下げることによって、個人の能力低下の会社へのインパクトを抑えるという効果もある。見方によっては、一足早い定年制である。副次的な効果として、企業が同時に雇用できる社員の人数を増やすことができるので、社員(つまり自分)の雇用が維持されやすくなるというメリットがないことはない。

企業へのデメリットとして語られるのは、役職定年を迎えた人間のモチベーションの低下によるモラルハザードや、高齢の一般社員が若年層の一般社員に与える悪影響などがある。これをどうマネジメントするかが、企業の人事施策の腕の見せ所であるかと言われている。

それでは、個人にとって、役職定年はどういうものだろうか?上記の通り一線を退き内容が一変し給与が変わる。場合によっては、元職場とのコネクションを活かして元職場への営業係となる場合もある。グループ子会社に出向した場合は、グループ親会社からやってきた偉かった人(オジサン)となり、子会社の社員からすれば自分が昇進したかもしれない課長や部長職のポストを上から天下ってきて奪われたと思うかもしれない。幅広いコネクションを活かして案件をとってきたり、売上に貢献するような立場になれるのであればよいが…

いずれにせよ、わたしが某大企業を退職したのには、このように役職定年を理解していたせいでもある。

役職定年のここまでの歴史

立命館大学の講義資料 (定年制と平均寿命) によれば、

記録に残っている最古の定年制は、1887年に定められた東京砲兵工廠の職工規定で、55才定年制でした。民間企 業では、1902年に定められた日本郵船の社員休職規則で、こちらも55才定年制でした。上のグラフからわかるように、この時期の男性の平均寿命は43才前後で した。

とあるから、1980年代に60歳定年化されるまで数十年間は日本は55歳定年だったのである。この間に終戦があり神武景気があり戦後日本のシステムが構築されていったことを考えると、55歳が典型的な定年年齢として普及したのだろう。

また、こちらの人事院の資料によれば、

1980年代から行われた55歳定年制から60歳定年制への移行に際して、主に組織の新陳代謝・活性化の維持、人件費の増加の抑制などのねらいで導入されたケースと、1990年代以降に職員構成の高齢化に伴うポスト不足の解消などのねらいから導入されたケースが多いとされている

とある。同時期に日本人の平均寿命は大きく伸びて70歳を軽く突破していることを念頭に入れてこれを平たく主観的に解読すると、お上としては「寿命延びてるし年金の受給年齢を延期して節約しつつ労働市場の供給もキープできて、しかも定年後ヒマヒマ問題を解決できるし(労組系からの組織票もとれるし)一石N鳥じゃない?」という意図が見えてくる。

一方で経営側の立場からすると、人が足りないので定年の延長自体は歓迎したいが、かといって55歳を越えた人の中でもいらない人はクビを切って組織を健全化したい、特に組織で上の方の人間は適当に入れ替えてポストをあけたりしたいけど、若い人に技術を教える熟練者はキープしたい(けどパワーはないし給料はカットしたい)という事情がある。このときおぼろげながら経営側の頭に浮かんできたのがそう「役職定年」である。上の方のポストについている人間は高齢高給の人間が多いので、そこだけをいい感じに切り捨てたい気持ちを役職定年という言葉で見事にシステム化したのである。55歳というリミットを維持したまま、お上の意向(高齢者にも雇用をあげてね、放り出さないでね)を完璧に汲み取っている。

定年が60歳に引き上げられたタイミングで役職定年を導入した企業は多いのではないかと思う。また実際にこの数十年はそういう会社が生き残ってきたのだろう。労働者にしてみれば給料は減らされて仕事はそのままでたまったもんじゃないが、雇用者にしてみればボーナスステージみたいなもんである。65歳定年が導入された2012年改正高年齢者雇用安定法における高年齢者雇用確保措置のときはそのシステムを維持して、55〜60歳の5年間だったボーナスステージを合法的に10年間に延長することができたのである。さらに、2020年改正2021年施行の高齢者雇用安定法によって、そのボーナスステージは55〜70歳の15年にまで延長されたのである。努力義務がどうとか労基が入ってくるかも、とかそういう心配は普通にしていれば不要だ。なんせボーナスステージだから。69歳の人間はヨボヨボだから使えないかっていうと、経産省によればそんなことはなくて健康寿命がそもそも伸びているから大丈夫だろう(リンクP14〜)。


役職定年の今後

たぶん100歳くらいまで働かされるんじゃない?どうせ俺らなんて定年アガリしてもすることなくてインターネットみてるだけだよ。せいぜい認知能力と体力が落ちないように鍛えておこう。

でもわたしの雇用主はまだ若い企業なので、役職とか役職定年のようなシステムはまだない。そんなに変なことにはならないはずだから、今後どうなるか要チェックやで。

定年制は年齢差別か?

一定の年齢に達したときに双方の合意なく雇用関係が終了するようなシステムとしては、定年制は年齢差別なので違憲(14条、法の下の平等)だと思っている。が、平均寿命が短くて職業選択の自由がなかった時代にはそうではなかったのだろう。( なぜこの国には「定年」があるんだろうか 日本だけの"年齢差別"の慣習なのに | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) とかの律令の引用を見るとそういう感じがする、本当はそういった研究を探してくるべきなのだろうが、カロリーがたりなかった)。つまり本来は「長年のお勤めご苦労さまでした」と、定年に達した者を労うものであった(独自研究)。労働者が労働を辞めることを許されていなかった封建時代にキャリアを合法的に円満に終わらせる手段だったのである。だからこそ定年は祝福するべきものだったのである。
労働者が合法的に辞める唯一の手段としての定年は、近現代になって職業選択の自由が導入されたタイミングで制度的には無実化していたといえるだろう。しかし戦後しばらくは経済発展が続いて、労働市場が基本的に売り手市場だったためこの慣習は続いた。定年の日にオジサンが花束を渡されるのはそういうことだ。しかし、バブル崩壊後の数度の不景気で慣習を維持できなくなり、意味合いが「体よく組織の古い人間を合法的に降格させるためのシステム」に徐々に変わったのである。つまり、封建時代のレガシーが年齢差別となって現代に残ったのだ。

まとめ

  • 安定を求める人にはいいかもしれないけど役職定年は罠
  • 役職定年は雇用側にとってボーナスステージ
  • 定年制は封建時代のわるいレガシー

www.youtube.com

参考

令和2年3月13日、「国家公務員法等の一部を改正する法律案」が閣議決定され、第201回国会に提出された。同法案においては、令和12年4月1日に定年が65歳となるよう、令和4年4月1日から2年ごとに1歳ずつ定年を引き上げることとされるとともに、60歳に達した管理監督職の職員は原則として管理監督職以外の官職に異動させることとする管理監督職勤務上限年齢制(いわゆる役職定年制)、60歳以降の職員について多様な働き方を可能とする定年前再任用短時間勤務制等を新たに設けることとされている。

「民間の場合、役職定年制という独特のものがある。これは組織の活性化のために導入している企業が多いと思う。やり方次第では、役職への就任を定年のようにストップすれば、本人のモラールは低下するかもしれないが組織の活性化は維持できる。」

10年ぶり?くらいにデスクトップを新調しました

デスクトップで使っていたマシンが壊れた。このときに買ったやつである。

kuenishi.hatenadiary.jp

この時点で2年経っているらしいので、2012年に組んだマシンらしい。ドスパラの購買履歴をみると 2012/09/17 となっているので、今日の時点でほぼちょうど9年経っている。構成は

1. マザーボード ASRock Z77 Extreme4(Z77 1155 ATX DR3)
2. CPU Intel Core i7-3770 BOX(1155/3.40/8M/C4/T8)
3. メモリ TRJ JM1600KLH-16GK(DDR3 PC3-12800 8GBx2)
4. メモリ TRJ JM1600KLH-16GK(DDR3 PC3-12800 8GBx2)
5. ドライブ(内蔵) Pioneer BDR-207MBK BULK(SATA BD12X ソフト無 黒)

みたいな感じになっている。GPUは当時はなくてオンボードだった気がする。そのあと ELSA GD750-1GERX(GTX750 1G GDR5) を2014年に買ったらしい。マザーボードのHDMI端子につなぐとディスプレイが映るので、どうやらGPUが壊れたらしい、と切り分けてGPUをまず捨てた。

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で、使えなくて半年ほどノートパソコンで暮らしていたのだけど、ひょんなことから知人にGPUを譲ってもらえることになった。でそいつを代わりに刺してみたところ、起動しない・・・ああ電力がたりないのかな・・・ボコボコ刺さっているHDDを全部外してみよう・・・C少し経ったらやっぱり落ちる!ということで改めて電源を買い直しました。

www.dospara.co.jp

適当に選んだやつ( Corsair CP-9020196-JP (RM850 2019 850W) )。でこの電源を刺して動かしてみても、やっぱりChromeとSlackで落ちるやんけ!と、これ以上9年モノのマシンの故障箇所切り分けに時間を溶かしても無意味なので、諦めて残りを新調することにした。
Ryzen比較表【2021年最新】世代や種類別にRyzenのCPUを比較 をみるとAMD Ryzen 5 5600Xあたりがスペックがよい。Ryzen 7 5800Xもいい感じのコスパだったが、まあバチバチにゲームするわけじゃなし誤差やな・・・ということで安い方を選んだ。

www.amd.com

ちょうどドスパラでマザボと組み合わせセールをやっていたので適当にペアになっていた
ROG STRIX B550-F GAMING | ROG Strix | Gaming マザーボード|ROG - Republic of Gamers|ROG 日本 を選択。メモリは適当にDDR5 16GB x4 でちょっと奮発して64GBにした。CPUでちょっと節約したもんね。SSDは今回はSATAの在庫があったので流用。

1. Corsair CMK32GX4M2A2666C16(DDR4 PC4-21300 16GBx2)
2. メモリ !Corsair CMK32GX4M2A2666C16(DDR4 PC4-21300 16GBx2)
3. マザーボード N !ASUS ROG STRIX B550-F GAMING (B550 AM4 ATX DDR4)
4. CPU N !AMD Ryzen 5 5600X BOX (AM4/3.7GHz/35M/C6/T12/65W)

それが届いて…

こうして…

こうじゃ!

Arch Linux にSteam入れてゲームできるようにしたら、今はかなりのゲームがLinuxでもできるようになってた、ってのはまた別の機会に。

Old Brains

そろそろ歳も40近くなり、老いについて考えることが増えてきた。たとえば10ヶ月も続く在宅勤務の中で少しでも運動をサボると左膝がすぐに痛みだしたり、うっかり水分を摂り忘れたりすると頭痛がきたりする。もちろん体重は史上ピークを記録し続けている。身体の老いについては、まあそういうものであるし、特に外見などに気を遣って生きてきたわけでもないからそんなには気にしていない。しかしながら、人間の人間たる由来はその精神や振る舞いにあると思っているから、そちらでの老いの方が問題だ。

前職までは大抵、わたし自身は年齢が1番か2番めくらいに若い職場で仕事をしていることがほとんどであった。ほとんど同年代か、10から20くらい上であることが多かったように思う。単に物理的な年齢もあるが、職業経験も私より長い人たちばかりであったので、教わることの方が多かったから、物事の考え方が揃っていたことが心地よかったということには、後から気付いたのであった。親切な先輩ばかりであったから、自分が一番の下手であるような職場に慣れてしまっていた。Erlang/OTPがすごいんですよと話したら「昔○○という技術があってね…」と諭されたり、分散ファイルシステムの歴史をまとめた資料を作ろうとしたら「SunOSのファイルシステムは・・」と昔話を聞いたこともあった。SSDが市場に出てき始めた頃に「SSDをやりましょう」といったらICカードに組み込もうとしたフラッシュメモリの辛い話を聞いたりと、比較的歴史の浅いと言われているコンピュータ産業に限っても、私の知らない歴史を無限に教わることができた。Javaで知らないことを聞けばすぐに誰かが教えてくれた。

ところが現職になって多くのことが変わった。周囲の同僚は全員が私よりも年下で、職業経験もわたしより浅い。だからといって能力的に劣っているということは全くなく、Ph.Dを持っていたりそのキャリアで成功していたりするわけだし、分野が違うこともあって私の知らないことを多く知っている。というか、何なら同僚だけじゃなくて、インターネット上で観測される多くの人が VSCode をコンテナプラグインやover SSHで使っているし、 Dockerfile や docker-compose.yml なんかは息を吐くようにサラサラと書いたりする。もちろんシェルプロンプトは何か絵文字が沢山出ている、簡単なPythonは全部 Jupyter Notebook 上で書いていたりする。 peco や ghq やらを使いこなしているし、 AWSやGCPもお手のものだ。何か問題があると「それAWSの○○でできるよ」みたいな趣旨のことを言う(わたしは理解できていない)。フロントエンドの話になるともうSappariで Vue とか Flutter とか React とか…あれ、こないだまでTypeScriptの話してなかった?え???みたいな状態である。

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若者と技術的な話をしているときの私

一方で若者たちと話をしていると、ウォーターフォール開発について知らなかったり、Plan9という単語を聞いたことがなかったり、Docker以前のコンテナ技術について何も知らなかったりということがあるので、そういうときは聞かれたら知る限りの歴史をかいつまんで答えるようにはしていた。うーん世代差…だからといって仕事でやることが特に変わるわけじゃないし、ホモソーシャルな空間で仕事をしたいというわけでもない。まして古いものを押し付けたりすることはないけど、新しいことに日々挑戦しなくなっているという実感があった。むしろ軽い危機感だった。新しい技術に飛びつくことがいいわけじゃないけど、全く関心を持たないのはよくないんじゃないかと悩んでいたのだ。

ところがある日、GVRの "Really I don't recommend Emacs to new developers. It just exists for old brain compatibility." という一言を見かけた。

わたしの中のEmacs教原理主義者なんかは「ホラ見ろ!!Emacsでいいんだよ!」と一瞬思ったけれども、日を追うごとに、わたしの中の穏健派はこれで救われたような気がしていった。別に新しいものに無理やり挑戦することはないんだ、互換(≒できることが変わらない)なら無理にやり方を変えることもない、というわけだ。だからEmacsも使い続けるし、1stでないとはいえ2年連続で国際会議に論文を通すことができてしまったし、会社からも悪くない賃金を得ている。今までなんとなく持っていたちょっとした功名心というか自己顕示欲のようなものは徐々に満たされつつ薄まってきて、現状に満足し始めてしまったのかもしれない。

こういう風に満足してしまった状態は直感的によくないと感じていて、知らないうちに増長して同僚たちに迷惑をかけてないかどうかが不安になってしまう。例えば何か新しい要素技術Xが登場してきて、それはやってみる価値があるかどうかという話になる。私は昔の技術Yに似ているという第一印象を持つが、概要だけだと何が違うのかよく分からない。そのときにすぐ「昔のYと何がちがうの?」みたいなことを悪しざまに言ってしまうと、これはいわゆる老害というやつで、Xに挑戦しようとする若者の足を引っ張ってしまうことになるわけだ。妙な偏見のない状態で実際にやってみれば成功するんじゃないか?わたしが変なことを言って偏見を植え付けてはいないか?となるのである。こういうとき、どういう風にリアクションするのがよいだろうか?

新しい技術や製品はどれも、この歳になると最初に聞いたときは脊髄反射で「それオモチャじゃね?」となってしまうわけだ。わたしはこの言葉をいろんな人から聞いたが、自分でもそう思うようになってしまった。例としては、

  • TCP/IPが登場したとき「電話(回線交換)に比べたらオモチャ」
  • オープン系システムが登場したとき「MFに比べたらオモチャじゃん」
  • Linux が登場したとき「Solarisに比べたらオモチャじゃん」
  • MySQL が登場したとき「トランザクションないじゃん」
  • MacOS 10 が登場したときの「Windowsじゃないと仕事では使えない」
  • Gitが登場したとき「Mercurialでいいじゃん」
  • OpenvSwitch をはじめとするホワイトボックススイッチが登場したとき「そんなのオモチャじゃん」
  • AWS が登場したとき「たけえじゃん自分たちで買えばよくない?」
  • Hadoop が登場したとき「GCのある処理系で高信頼なミドルなんて作れるわけないじゃん」
  • 深層学習が登場したとき「ネコ判別してどうすんの?」
  • Kubernetes が登場したとき「Mesosでよくね?」

などなど、キリがないわけである。どれも最初に登場したときはオモチャなのだけど、これを面白いと思った人たちが集まってエコシステムが成長してビジネスになり始めると、それはオモチャを卒業していくわけだ。実際に大切なのはオモチャかどうかよりも、可能性があるかどうか、人が集まるかどうかの方が大切なわけだ。オモチャかどうかというのは極論すると見る側の主観にすぎないし、既存の技術の焼き直しであるかどうかもどうでもいい。重要なのはリソースが投下される価値があるかどうか、人々の問題を解決するかどうかだ。

その価値を見極めるために、過去の歴史を知っておくことは副次的に必要だけど、もっと重要なのは現在の技術やソフトウェアで何ができないかを知っておくことだ。現代の人たちがどういう問題を抱えているかを何かのきっかけで知ったときに、それが技術的に解決できるかどうか、解決できるとしてどれくらいの手間がかかるのかを即座に偏見なしに判定できるようになっていると、勢いはなくてもオッサンとしての価値は下がらないんじゃないか。いやいや偏見なしって、そんなことが簡単にできるならそもそも悩んでない・・・と思って今日もゲームに励んでいる。

Splatoon 2 (スプラトゥーン2) - Switch

Splatoon 2 (スプラトゥーン2) - Switch

  • 発売日: 2017/07/21
  • メディア: Video Game

これじゃダメだ。互換性がなくなったらゴミなんだからもうちょっとなんか勉強しようよ。ホラあんなに積読たまってるよ。と私のなかの真面目君は主張するのだけど、私のなかの怠惰君は「えーでも今日も疲れたよ・・・ビール飲みたい・・・」と言う。不惑とは何だったのか。ねえ孔子さん何とかして。

f:id:kuenishi:20201221105326j:plain
nikuyoshiさん@フリー素材

いかがでしたか?

この記事は pyspa Advent Calendar 2020 - Adventar の21日めの記事として書かれました。

Hiroki Uchida on Twitter: "(この画像はフリー素材です… "