今も硫黄島に眠る日本軍の英霊達
今も硫黄島に眠る日本軍の英霊達
現在の硫黄島。いまも1万柱以上の日本兵の
遺骨が眠っている。
引用元 ZAKZAKhttp://ime.nu/www.zakzak.co.jp/top/2006_12/t2006121916.html
クリント・イーストウッド監督(76)の大作映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の舞台となったことで注目が集まっている硫黄島。現在、海上自衛隊の航空基地があり、約350人の自衛官が常駐しているが、地下には多数の戦死者の遺骨が眠ったままだ。それだけに戦死者の霊についてのうわさが絶えない。英霊の御霊(みたま)は何を訴えかけているのだろうか。
硫黄島は東京都の南約1200キロにある太平洋上の島。一般人の立ち入りができないためなじみは薄く、同島を巡るすさまじい攻防戦も一般には注目されてこなかった。 東西約8キロ、南北約4キロの小さな島を舞台に、昭和20年2月16日から3月26日まで日本軍と米軍の間で戦闘が行われた。太平洋戦争後期の島々を巡る戦いの中でも、米軍地上部隊の損害が日本軍のそれを上回る有数の激戦地となった。 米軍の戦死者は約6800人、戦傷者は約2万1900人で合わせて約2万8700人。対する日本軍の戦死者は約2万100人、生き残ったのは捕虜になった約1000人。
米軍の戦死者は全員収容されたが、日本軍将兵の遺骨で回収されたのはこれまでに約8500柱。毎年収集作業が行われているが、今のペースでは作業終了までにあと200年はかかるといわれる一方、3年後には遺骨収集作業が打ち切られるという話もある。「島は全体が墓地のような所。至る所に坑道があるので、足下にも遺骨が埋まっていることになる」と島を訪れたことのある自衛隊幹部。それだけに戦死者の霊を見たという話は数多い。「夜も枕元や部屋の入り口に水を入れたコップをおいて寝る隊員は多い。火山性のこの島では水が貴重品で、戦闘の際も水がなくて大勢の将兵が苦しんだ。だから霊も水を求めている」(自衛隊幹部)
霊と酒を酌み交わした、夜中に何百人もが行進する音を聞いた…という話は枚挙にいとまがない。硫黄島を離れる時、靴の溝に入り込んだ砂粒一つまで落としてから帰る隊員も多いという。
現在島内には慰霊碑などの施設が多数あり、「研修や訓練で訪れる自衛官もほとんどが水を持参して参拝している」(海上幕僚監部)という。島を訪れた際には、「英霊の御霊が常にこの島には存在しているのだということを意識して勤務する」とある自衛隊高級幹部も表情を引き締めながら話す。
多数の遺骨がまだ回収されていない最大の理由は、砲爆撃などで地形が変化したり、戦闘で坑道の入り口が塞がれたことに加え、火山性の島で坑道内が60度にもなり、ガスが発生している場所もあることだ。しかし、この坑道があればこそ、米軍が5日で陥落させられるとみていたのに反して、日本軍は1カ月以上も持ちこたえた。当時一般的だった海岸線で敵を迎え撃つ作戦を変更し、全長18キロにも及ぶ坑道を構築させたのは指揮官の栗林忠道中将だ。「現代の作戦から見ても合理的な戦術だ」と自衛隊高級幹部はいう。
映画「硫黄島-」のなかで、栗林中将は最後の攻撃の直前、将兵を前に、後世の日本国民は自分たちが硫黄島で戦ったことを必ず思いだしてくれる、という内容の訓示をする。米国人の作った映画のこのせりふにあるように、まだ硫黄島の地下に眠る英霊に対する慰霊の心を持ち続けることことこそ、最良の供養になるのではないだろうか。(以上)
日本側から硫黄島の戦いを描いたハリウッド映画『硫黄島からの手紙』の影響もあり、東京都小笠原村の役場に「硫黄島への観光がしたい」との問い合わせが増えているという。上記の記事にも書かれているように、硫黄島は全島が戦死した日本兵の墓地のような状態であり、滑走路の下にも英霊の遺骨が埋もれているのが現状である。現在、硫黄島には、自衛隊員と海上保安庁の職員が駐留しているが、遺族の訪問や遺骨収集のような特別な場合でもなければ、一般人の訪問は原則として許可されていない。しかし、仮にそういった訪問制限がなかったとしても、決して一般人が遊び半分で行って良い所ではなく、英霊を数十柱背負って帰ってくる位の覚悟が無ければ、行かない方が無難だと思われる。もし本当に硫黄島の英霊達を供養したいのであれば、政府に硫黄島の更なる遺骨収集を促す方が余程効果的だろう。
霊感の強い人間が硫黄島に上陸しようとしたら、霊がどっと寄ってきて、自分で自分の頭や顔を殴りだしたという話もまことしやかに伝えられている。参考までに、2ちゃんねるで見つけた硫黄島関連の怖い話を下記に紹介しておくが、生きている間に、祖国を守る為に決死の戦いをし、死して尚、成仏出来ない英霊達を 現在に生きている我々日本人達は、決して辱めてはいけないと思う。首相の靖国参拝はむしろ当然のことで、反日の中国人や朝鮮人共が何を言おうが、先祖の名誉は子孫が守り、慰霊しなくてはならない。でなければ、命がけで日本を守る為に戦った兵士達は、到底浮かばれるものではないと思う。
2ちゃんねるで見つけた硫黄島の英霊関連の話
本土に帰る時、かなり厳しくブーツの底を洗わされました。硫黄島(当時の読みにならって、いおうとうって読んで欲しい。)の話を体験談含めいくつか知ってますので、書いてきます。
1)聞いた話
硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところでばったり!と倒れたそうです。意識が回復してから、何があったのか尋ねると、「誰かに呼ばれた気がする……。」と。 その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。その霊感青年以外にも「呼ばれた」隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。
2)経験談 硫黄島外来宿舎
外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。私たちが行った時、人数の都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが、きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土から ミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えて
「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんがこの半分を○○県の△川に流します、半分は、こちらに置いていきます。」
と、念じました。心配されていた、私の部屋では何も起こりませんでした。が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。明かりをつけると、ベッドの位置が、引きずった跡もなく、思い切りずれていました。それから後、夜は何事もありませんでした……。
843 :硫黄島3 ?:2006/12/10(日) 01:14:42 ID:pnQeN2j0O
3) 経験談 硫黄島医務科壕
医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています。」と。
……下に降りる階段が見つからないのだそうです。今も。他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。
あまり怖くない上に長文失礼しました。
硫黄島の他のお話、もし聞きたい方がいらっしゃったら、仰ってください。
860 :本当にあった怖い名無し :2006/12/10(日) 20:43:57 ID:BrQb0fcB0
>>846
>おねがい もっと聞かせて っていうより
>話してくれるのが英霊のためだと思うよ
843さんじゃないけど、俺が聞いた話。横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、お供え物の一品としてタバコが置かれてあったんだって。そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。まぁ、まだ硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。そいつを起こして何があったか聞いたところ、 「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたらさ、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と真っ青な顔で答えたとのこと。戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。嗜好品は唯一の慰めだね。
甘いもの。水分。本や写真。人によってそれぞれ。俺は吸わなかったけど、煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たよ(´・ω・`)
硫黄島の戦い終盤には、西戦車中隊の95式軽戦車、97式中戦車は殆ど破壊されて残っていなかった。かく座した、米軍のM1シャーマン戦車の75mm砲を使って、しばしば反撃した事は、生き残った人間の証言からわかっている。
それよりも自衛隊スレのオカルトのところにすごい話が載っている。硫黄島勤務の自衛官は度々英霊を目撃しているのだが、ある自衛官が「加藤隼戦闘隊」 のビデオを一人で見ていたら、「いいものを見せてくれてありがとう」と言う声が聞こえたそうだ。あ~今、英霊が来られてるんだ、と感じたその人は、テーブルの上に、ビールとタバコを置いて供養したそうだ。その後、本土に帰隊した後、宝くじを買ったところ・・・なんと1億円あたった。うそみたいな話だけれど、自衛隊の中では有名な本当の話だ。その人は、今でも、英霊が引き当ててくれたと信じている。
昔彼氏の友達に防衛大学の人がいてその人の話。胡散臭いけど(^^;
防衛大生は必ず硫黄島に研修に行くんだって昔、硫黄島に行ってキレイな石を持って帰って部屋に飾ってた人がいたんだって帰って来て一週間後にその人心臓麻痺で死んじゃったの
それから防衛大では硫黄島の石を持って帰ってはいけない事にになったんだって
すごいのが、彼氏の友達が上司になぜ持って帰ってはいけないか聞いたら上司に
「死にたくないなら持って帰るな。」
とだけ言われたんだって。
B大の3学年には硫黄島研修と言うのがある。愛国心を高めるために悲惨な激戦地の戦史を勉強する為にね。俺が聞いた話では硫黄島の石を持って帰ってはいけないと言われていたのに。
隠して持って帰って来た学生が、帰って来て3日目の朝の点呼の時に出てこなかった。週番が調べに行くと心臓麻痺で死んでいたそうだ。で、B大に伝わる怪談はここから始まるだが・・・
その死んだ学生のベットをそのまま使っていたらしい・・・そのベッドで寝ているととにかく金縛りにあう。それで、ベッドを替えてくれと指導教官に頼むと教官はやっぱりそうかって顔をしてすぐに変えてくれる。と言う噂を話を聞いた。ちなみに、俺は半年で辞めたから本当の理由があると言う話は聞いた事がない。
108 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/02/16 11:08
元海自で潜水艦勤務経験者の主人が、硫黄島に行ったことがあると話していたので日曜日の朝っぱらから聞いてみました。砂持ち帰りダメな理由は、「昔、沢山の方がなくなっているから・・・」と。もっと詳しく聞こうとしたら、すごく嫌がってました。
「砂って何色?砂にホネとかまじってるの?」とたずねると、
砂はふつうの砂浜の色との事ですが、ホネ以前に「・・・怨霊とか、そういう問題」との事で、すっかり黙り込んじゃいました。検疫とか放射能ではなくて、マジにオカルトな理由との事です。
ちなみに主人はあまりオカルト信じたくない人間ですが。(あんまり聞くと怒り出しそうな感じでした。)
元海自の妻です。家事の合間に、おじゃまいたします。あれから小一時間問い詰めたら、国家の機関が堂々とオカルト認めるのは立場的に云々・・・ でも、世の中には科学で説明のつかないこともあるっていうのもかなりの隊員が経験しているので、結果的に、「もちかえると、根拠はわからないが、不思議とよくないことが実際に起こる」ので禁止との事です。話している主人の顔が真っ青で、こっちの方が怖かったです。どれだけ怖い事なのか、よく伝わったので・・・
前出のYS-11M機上整備員です。実体験ですが、数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。天候晴れ、風微風。定刻に離陸なのですがいつもより滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後、やることもないので機内でお昼寝。しばらくして人のざわめきというかひそひそ声でふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。改めて寝直すと「これで国に帰れる」「友軍機が来てくれて助かった」とはっきり。流石に目が覚めて後部貨物室を見回してもなにも。。。。海保さんもやや青ざめた顔で「聴きましたか?」と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。Pが「それで重かったのか、お盆も近いし」と。その後何事もなく厚木に。機体点検をしてると耳元ではっきりと「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」?
734 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2006/12/23(土) 12:13:47 ID:kmUvrXC50
こういう話も。YS-11Mはもうよぼよぼの機体であっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが、厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。Pと硫黄島管制が戻るか戻らないという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。この状態ならと言うことで硫黄島に到着。エンジン部分を開けて点検をすると当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。このときのPは霊の類は信じない人でしたが、それ以来、硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。
781 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2006/12/20(水) 20:17:15 ID:U+KzDhYG0
まぁ、書くか。YS-11Mの機上整備員です。週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが、偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。硫黄の隊員かなと思ってたのですが、先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスにその話してみろ。ロードマスターに上記の話をしたらどうも旧軍の霊らしいと。日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。 今も、定期便時(厚木→硫黄)は内地から和菓子、水、酒、弁当を1組積んで飛んでいきます。 こういう話も、有る定期便か硫黄に向かうとき天候悪化で滑走路が見えずもう1度トライしてだめなら帰ると言うときに硫黄の滑走路端に灯りが見え無事にタッチ。Pが礼を言いに行くと誰もサーチライトとかを付けてないと。
高松宮殿下の硫黄島慰霊
以下は皇室の高松宮殿下が昭和46年に太平洋戦争の激戦地、硫黄島を訪れた際の慰霊の様子である。
■硫黄島の高松宮殿下 〈初出・『明日への選択』平成10年2月号〉
『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。
硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」
次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」 ちなみに、平成六年二月、天皇皇后両陛下も同島を行幸啓になり、次のようにお詠みになった。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ(皇后陛下)
高松宮殿下の真心のこもった慰霊は非常に立派で印象に残るが、天皇皇后両陛下の読まれた御歌も胸を打つ。日本人の一人として、自分も硫黄島の英霊達の苦しみが癒える日が来ることを祈りたい気持ちである。
しかし、実際の問題として、あれだけ凄惨な戦いを行った戦場では、今もまだ浮かばれないでいる日本兵の霊は多いらしい。彼らは今もまだ、国を守る為に必死に戦っているのだろうか?自衛隊の硫黄島基地では、幽霊対策として毎日慰霊碑の前にもうけてある盃に水を補充する規則となっていると言われている。宿舎でも寝る前には部屋の前に水を準備しておかないと、兵士の霊が水を求めて中へ入ってくるとのことである。海自隊員や海保職員で幽霊に悩まされノイローゼになり帰還させられる人もいるらしい。硫黄島が一般の民間人に解放されないのには、それなりの訳があるのだ。
このブログの中でも紹介したが、こういった事情を考慮せず、自分達の政治的アピールの為に硫黄島へ安易に足を踏み入れた売国政治家もいる。民主党の菅直人と小沢一郎の二人である。案の定、小沢は硫黄島から帰ってきたとたんに体調を崩し検査入院。この時期、このタイミング、それ見たことかと多くの人が思ったはずである。真摯な慰霊の気持ちを持たずに、安易に英霊の眠る場所に足を踏み入れた罰が当たったのではないか?そう思わせる小沢の入院劇であった。
最後に2ちゃんねるで見つけた怖い書込みを一つ
そういえば、2~3日前から半分ボケてるウチの婆さんがテレビ見ながら「小沢さんはなんで兵隊さんを背負ってるの?」って言ってたな… いよいよ完全にボケたかと思ってたんだけど…
売国奴 in 硫黄島
売国奴 in 硫黄島
アハハ、待てよ小沢~(笑顔の菅直人)と
カメラの前でポーズを取る小沢
民主党の小沢一郎代表と菅直人代表代行は20日、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島(東京都小笠原村)を視察した。戦争の悲惨さを示す象徴的な場所を訪ねることで、安倍晋三自民党総裁の歴史認識との対比をアピールする狙いがあるという。自衛隊機で到着し、まず戦没者の碑に花束をささげ黙とう。旧日本軍の拠点だった気温60度の壕(ごう)の中を、懐中電灯を手にヘルメットと軍手姿で歩き、山頂の「第一御楯特別攻撃隊の碑」も訪れた。小沢氏は太平洋戦争について「日本の戦争指導者は国民に対する責任がある」というのが持論。視察後、「戦争に対する認識、我々の主張が間違っていない一つの裏付けになった」と語り、安倍氏との対決に向けて自信を深めた様子だった。 (毎日新聞) - 9月21日
硫黄島での猛烈な米軍の火炎放射攻撃
多くの日本兵がこの炎に焼き殺された
硫黄島の洞窟は日本軍将兵が国のために篭り、40度を超える暑さの中、文字通り泥水をすすって抗戦し、まさに身を削って斃れた場所。 そして事実、幾千の将兵が散華した場所でもあり英霊の血、肉片、骨がどこにあるか判別できない場所である。以前、高松宮殿下が硫黄島に慰霊に訪れた時、洞窟に入るに際して、靴を脱ぎ裸足で入った程の場所なのだ。とても生半可な気持ちで入れる場所ではないのだが、反日の在日外国人の参政権取得を推進し、人権擁護法案でネットの言論を封殺を目論み、日本を滅ぼそうとする中国、韓国、北朝鮮に媚びへつらう売国政党の2人はこのことを果たして理解しているのであろうか。
小沢は表面上、神妙な顔つきだが、菅は終始リラックスし、笑顔まで浮かべている。とんだ勘違い野郎と言っても良いだろう。硫黄島は不発弾が多い為、遺骨の収集がほとんど進んでいない。洞窟でなくとも少し掘れば人骨がすぐに出てくると言われている場所なのだ。いわば英霊達の遺骨の上を遺骨収集や供養をする為ではなく、安っぽい政治的なアピールのために作業服を着て、皇族ですら靴を脱いで入った場所を土足で踏み荒らしているのである。戦死者を悼む気持ちがあれば、こういうことは絶対に出来ない。所詮は売国政党のトップ2であり、人間的にも信用出来ない連中であると思う。
の菅