1962年の暮、全世界は驚きと感動で、この小説に目をみはった。当時作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実をも深く認識させるものであったからである。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに、しかも時には温もりをこめて描き、酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた芸術作品。(Amazon)
この小説は,
イワン・デニーソヴィチのソ連での強制収容所での
1日の生活を描いたものである。
そこには,「大脱走」のような手に汗握る脱走劇も,
「ショーシャンクの空に」のような自由を掴み取る囚人などのような
劇的な物語など存在しない。
この物語は締めに,
「こんな1日が彼の刑期が始まり終わるまで,
3653日あった。またうるう年のため3日におまけがついた。」
というカタチで綴られている。
そう彼は,10年近く収容所で生活をし,刑期を終えたのだ。
この小説は強制収容所での1日に他ならない。
しかし,そこに物語がある。
その物語は,終始暗く寂しい物語などではない,
むしろこのような最低な収容所生活において,
主人公・イワン・デニーソヴィチが活き活きと生活している様が伺える。
彼は生きている,生きることを諦めていないのだ。
どんな最低な生活にでも,幸せというものは転がっているのだ。
「夜と霧」のヴィクトールもそうであるが,
理不尽な理由で収監された彼らが,
収容所でいかに正当性主張しようが,
それは愚かな行為にしかならない。
看守の目に止まれば,袋叩きにあい,
息も絶え絶えの中で独房へという
目に遭いかねない。
ここで肝心なのは,アウシュビッツのような収容所と違い,
囚人は生かされ続けているということだ。
もしかしたら10人にひとりは,極寒の独房で死ぬかもしれない。
しかし多くの囚人は,生きている,そして極寒の大地で労働に駆り出される。
氷点下27度という,体温との温度差50度近い世界で。
生き残りたければ,この極限の生活を嘆くより,受け入れ,
その生活の中で小さな幸せを見つけていくしか無いのだ。
具が殆ど入ってない野菜スープが暖かったことに幸せを感じたり,
うまく囚人をいなして自分に火の粉降りかから無いようにホッとしたり,
割り当てられた仕事を班のメンバーでうまくこなしたり,
配給品の質の良さをありがたがったり,
外からの差し入れなどに一喜一憂したり,
そんな小さな事柄に,幸せを感じる。
これは日常生活においても,実は大切だ。
大きな目標も大切だろうが,小さな幸せ,
目覚ましのなる前に起きられた,朝食のみそ汁の味付けが美味しい,
玄関を出てマンションの住人に自分から挨拶ができた。
そんな小さな+を積み重ねていけば,人は幸せでいられるのだ。
すべては心のありよう次第といえるのかもしれない。
どんな地獄でも生きていけば,そこは天国になるかもしれない。
イワン・デニーソヴィチは,それを教えてくれるのだ。
☆☆☆☆
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- 2013/01/17(木) 05:54:13|
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「すべては心のありよう次第といえるのかもしれない。
どんな地獄でも生きていけば,そこは天国になるかもしれない。
イワン・デニーソヴィチは,それを教えてくれるのだ。」
なるほど~!! いいお話ですね♪
勇気づけられます。
幸せは自分の心次第なんですね!
- 2013/01/17(木) 07:43:37 |
- URL |
- happy #3sa2k1Q2
- [ 編集 ]
> 「すべては心のありよう次第といえるのかもしれない。
> どんな地獄でも生きていけば,そこは天国になるかもしれない。
> イワン・デニーソヴィチは,それを教えてくれるのだ。」
>
> なるほど~!! いいお話ですね♪
> 勇気づけられます。
> 幸せは自分の心次第なんですね!
happyさん コメありがとうございます
何も起こらない日常ってのも得てして貴重なんですよね。
- 2013/01/20(日) 16:43:02 |
- URL |
- ヒメキリン #-
- [ 編集 ]
アキさん コメありがとうございます
愚者は経験から学び,賢者は歴史から学ぶ
しかしアメリカは建国して間もなく歴史というものがない。
それがかつてアメリカの人々には不安だった,そこにソローが現れたのは必然だったのかも。
日本は,歴史はありますからね。
いざという時は,「古事記」を読めばOK!
神話には力がある。
- 2013/01/20(日) 17:07:12 |
- URL |
- ヒメキリン #-
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