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今は昔、懐かしい昭和の風物

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今は昔、懐かしい昭和の風物

 「今は昔、懐かしい昭和の風物」は清水氏が、島の新聞28号から68号まで連載していた随筆です。連載の最後では番外編として、清水薫写真集発売の案内が載せられていました。
 28:今は昔、懐かしい 昭和の風物1 駄賃負い 
 29:今は昔、懐かしい 昭和の風物2 段丘を耕す-秘境 真更川の棚田-清水薫
 30:今は昔、懐かしい 昭和の風物3 扇岩 外海府のシンボル 海に消えて44年
 31:今は昔、懐かしい 昭和の風物4 春駒 縁起ものの門付け芸 
 32:今は昔、懐かしい 昭和の風物5 二ツ亀 夜空を焦がし華やかに炎の饗宴
 33:今は昔、懐かしい 昭和の風物6 集団就職 波止場での別れ 五色のテープ
 34:今は昔、懐かしい 昭和の風物7 佐渡和牛 貨物船で海を渡った
 35:今は昔、懐かしい 昭和の風物8
    母親がハンスト 学校統廃合紛糾 両津東中・南中 清水薫
 36:今は昔、懐かしい 昭和の風物9 女子ボート準優勝 昭和39年、第39回ニイガタ国体
 37:今は昔、懐かしい 昭和の風物10 イカ干し 両津の空き地はイカの絣模様
 38:今は昔、懐かしい昭和の風物11 新潟地震 佐渡は震度5 津波だぞー
 39:今は昔、懐かしい 昭和の風物12 牛と馬と人が共生 県営キャンプ場=ドンデン山放牧場
 40:今は昔、懐かしい 昭和の風物13 りきもち(力持ち) 産米の出荷 三俵かつぐ男 
 41:今は昔、懐かしい 昭和の風物14 佐渡空港の宿命 すったもんだ、紆余曲折
 42:今は昔、懐かしい 昭和の風物15 三八豪雪 路面の除雪は婦人スコップ隊
 43:今は昔、懐かしい 昭和の風物16 寒ブリ大漁 寒村を潤した定置網の黄金時代
 44:今は昔、懐かしい 昭和の風物17 寒ブリ漁の現場 漁場の民主化求め漁民一揆
 45:今は昔、懐かしい 昭和の風物18
    尖閣湾の吊り橋「君の名は」の真知子橋で観光客倍増 清水薫 ※北見佐吉
 46:今は昔、懐かしい 昭和の風物19 佐渡島開き
 47:今は昔、懐かしい 昭和の風物19
    バンジョウの手づかみ漁 日本海を北上する梅雨時のサンマ漁
 48:今は昔、懐かしい 昭和の風物20 板アラメ 春祭りのご馳走はアラメ巻
 49:今は昔、懐かしい 昭和の風物21 両津高校の女生徒 商業科のタイプ・珠算・簿記
 50:今は昔、懐かしい 昭和の風物22
    アユの石焼き 羽茂の夏の味覚、川原の野趣料理 ※葛西嘉資
 51:今は昔、懐かしい 昭和の風物23 ブリ網の準備 ガラス玉の浮子、オモリは石俵
 52:今は昔、懐かしい 昭和の風物24
    「悪戦苦闘」のバス 民家すれすれ、バスは行く/難所七曲りでバス転倒
 53:今は昔、懐かしい 昭和の風物25 海府の石置き屋根 風雪に耐える暮らしの知恵
 54:今は昔、懐かしい 昭和の風物26 加茂湖のカキ養殖 戦中戦後は筏1台で水田1反分の収入
 55:今は昔、懐かしい 昭和の風物27 ねまりばた 生活用品は自前で 衣類は丈夫な織物
 56:今は昔、懐かしい 昭和の風物28 ナゴケ負い 嫁泣かせの肥運び、段丘の農家の宿命
 57:今は昔、懐かしい 昭和の風物29 嫁が来た垣をせえ 嫁取り行列をとおせんぼ
 58:今は昔、懐かしい 昭和の風物30 チューリップ畑 島内唯一の産地 八幡の砂丘地
 59:今は昔、懐かしい 昭和の風物31
    炎天下の茶刈り 特産 吉井のおけさ茶 朝の茶粥の風習も
 60:今は昔、懐かしい 昭和の風物32 古典芸能の文弥人形 寒村では極楽の王座
 61:今は昔、懐かしい 昭和の風物33 両津湾随一の海水浴場 住吉海岸は水泳の訓練場
 62:今は昔、懐かしい 昭和の風物34 小木埠頭のコンクリート桟橋 たらい舟が送迎
 63:今は昔、懐かしい 昭和の風物35 小浦の黒森・タブノキ 北小浦-鷲崎の道路開発
 64:今は昔、懐かしい 昭和の風物36
    巨大渋柿の軒下吊るし 真光寺ダラリ1つ剥いたら夜が明けた
 65:今は昔、懐かしい 昭和の風物37 主婦のすげ笠づくり 雨避け・日除けに農漁業者の必需品
 66:今は昔、懐かしい 昭和の風物38 高千海岸 ダコタが不時着した浜 狭くなりロケできず
 68:今は昔、懐かしい 昭和の風物 番外編
    清水薫写真集発売 昭和の佐渡を切り撮る184枚 長野雅子
 
今は昔、懐かしい昭和の風物.pdf ※クリックで閲覧

昭和30年代の両津①

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両津のバス会社

 だいぶ前から両津のバス会社の写真を探していたのですが、ようやく見つかりました。なんと清水薫さんの写真が入っているダンボールの中に紛れ込んでいたのです。清水薫さんとは島の新聞の編集を手伝っていた時に(手伝っていたといっても私は雑用係でした)一度だけお会いしたことがありますが、まさか清水さんの遺品(遺品と言っても書きかけの原稿とか清水さんが生前集められた新聞の切抜き、それと膨大な写真とネガ!)を預かることになるとは思ってもみませんでした。

 しかもそれまで清水さんの遺品を管理されていた親戚の方から「ブログに載せたりするのは自由にしてください」という条件付でしたが、どこから手をつけたらよいのか判らなかったこともあり時間ばかりが経過するという日が続いたのですが、それでもようやくどこに何があるか分かるようになったので私なりに分類を始めた、ということです。

 ここでは昭和30年代佐渡の記録の中から両津地区の写真を選んで紹介します。清水さんは昭和26年から昭和41年まで佐渡新報などでフォトジャーナリストとして活躍されていましたから、昭和30年代の佐渡を隈なく取材していた筈ですし、これだけ膨大な写真やネガが残っているのは当然のことだと思います。

 ということで、まず見ていただきたいのが冒頭で紹介した両津のバス会社の写真です。この建物は私が中学校に通っていた頃によく利用していましたが、当時はコンクリートが剥き出しで待合室に置いてあるソファーも廃車になったバスのシートをそのまま並べただけの殺伐としたイメージしかなかったのですね。

 そのバス会社も私が社会人となって佐渡を離れている間にいつの間にか取り壊され、断片的な思い出しか残っていないという状況になると、あの殺伐としたバス会社も古き良き時代のひとコマと思えるようになってきたのです。こうなるとモノクロ写真でもいいからもう一度バス会社を見てみたくなり、同年代の友達に「両津のバス会社の写真って持ってないよね?」と訊いてはみたものの、返って来る答は「なんせ半世紀も前の建物だからなあ・・・」とか「あんな小便臭い建物の写真なんか誰も撮ってないと思うよ」などと、つれないものばかりでした。

 それでも清水薫さんは、ちゃんと撮ってくれてたんですね。この写真はひとつ下の若宮通り(湊)の除雪の写真と同じ38豪雪の年に、当時はまだ除雪車が無かったので両津の幹線を婦人のスコップ隊が人海戦術で除雪していたというニュースで使われた写真です。

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若宮通り(湊)の除雪

 次の写真は両津のメインストリートの写真ですが、画面右側のヤマカク呉服店ももうありません。そしてそのメインストリートで盛大に行われていた民謡流しも今はもう過去の語り草になってしまいました。  

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両津のメインストリート

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両津のメインストリートで民謡流し

 このアルバムにはこの他にも東洋の魔女として一世を風靡したニチボー貝塚や地方興行で来島した力道山などの写真もありますので両津の方はもちろんのこと、そうでない方も華やかかりし頃の佐渡を懐かしみながらご覧いただけることと思います。

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力道山が来島

 それから最後に外海府の名勝、というより佐渡観光のシンボルとして親しまれていた扇岩の写真ですね。この扇岩は外海府の賽の河原の辺りにあったのですが、昭和39年秋の台風で高波を受けた頭の部分が崩落し海中に消えてしまい今は写真でしか見ることが出来なくなってしまいました。

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当時はこの扇岩が佐渡観光のシンボルでした

昭和30年代の両津①.pdf ※クリックで閲覧

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