ここで生きる意味 「ゼロ・グラビティ」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:9/10
一言感想:まさしく革新的な宇宙×3D映画!
あらすじ
そこは、地球から600キロ離れた宇宙空間ー
ライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)、マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)、シャリフの3人の宇宙飛行士は、スペースシャトル「エクスプローラー」の船外活動をしていた。
ミッションの遂行途中、突如ヒューストンの管理センターから中止を告げられる。
ロシアの人工衛星が大破したときにできた破片がさらなる破片を生み、ライアンたちに襲いかかろうとしていたのだ。
シャリフは破片に衝突され死亡、ライアンも宇宙空間に投げ出されてしまう。
果たして、マットとライアンは生還できるのかー
超おすすめです!
本作のジャンルは「脱出サスペンス」です。
それだけなら、いままでもいくつもの作品が世に出ていますが、このゼロ・グラビティはひと味もふた味も違います。
何せ、主人公たちが「閉じ込められる」のは密室ではなく、広大な宇宙空間なのですから。
宇宙という場所そのものをサバイバルの舞台としたことだけでも、優れたアイディアでしょう。
この映画は観るものを圧倒する映像により、宇宙という舞台の魅力(その恐ろしさも)を教えてくれます。
予告編で観ることのできる、破片がぶつかり、人工衛星が粉々にくだける画だけでもすさまじいのですが、映像の素晴らしさはそこだけにとどまりません。
宇宙船の内部の描写もさることながら、宇宙空間から見える大きな地球の美しさも感服もの、そして終盤では・・・(ネタバレになるのでこれ以上は書きません)
圧巻なのは、カット割りが異常なまでに少ないことです。
つまり「画面の切り替わりがないまま、『長回し』でひとつのシーンを見せる」のです。
それは人工衛星が大破するシーンだけではなく、宇宙船の内部のシーンだけでもなく、役者の演技でも同様です。
オープニングでは、なんと12分にわたる長回しを見せてくれました。
アルフォンソ・キュアロン監督は傑作SF「トゥモロー・ワールド」でも長回しの映像を見せて観客の度肝を抜きましたが、本作ではその長回しの映像ばかりが惜しげもなく映し出されるのです。
あくまで描くのは主人公の周りの出来事のみであり、ほぼ実際の時間どおりに(数分カットされていることもありますが)展開することもよかったです。
このため、主人公の「気持ち」から離れることがないのです。
それは映画「フォーン・ブース」を思わせるものでした。
カメラ(=観客)はずっと主人公に寄り添うため、まるで一緒に宇宙遊泳をしているような錯覚さえ得ます。
登場人物との一体感があり、宇宙空間を漂うという疑似体験ができるのが、本作の最大の魅力でしょう。
そして、本作は3Dでこそ真価を発揮する映画です。
むやみに前面に飛び出すことはなく、ただひたすらに「空間(奥行き)」を感じさせる映像は、3Dでしか観ることのできないものです。
本国での3Dでの鑑賞率は「アバター」を超えているそうですし、ぜひ3D版をおすすめします。
音楽がこれまた素晴らしかったです。
Steven Price 900円 powered by yasuikamo |
本作は宇宙空間を舞台としているので、効果音は「どこかにぶつかる音」「呼吸音」「通信音」くらいしかありません。
その代わりに、重低音が響く音楽で盛り上げてくれます。
宇宙船内で鳴る「音」と、宇宙空間での「無音」の対比も見事でした。
映画というよりも「体験」といったほうがふさわしい映像作品なので、なるべく優れた環境で観るべきです。
できれば音響設備のよい劇場で、IMAXで鑑賞できればなおよいでしょう。
この映画は、そのぶんの出費が無駄にならないまでの満足感を与えてくれます。
映像だけでなく、脚本と役者の演技も抜群に優れています。
本作に出てくる登場人物はほぼ2人だけなのですが、これ以上なくドラマチックに仕上がっています。
主人公の医療技術者ライアン・ストーンを演じたサンドラ・ブロックは、本作でアカデミー賞の受賞が濃厚と噂されていますが、それに全く異論がありません。
本作のサンドラは、極限状態にいる心情だけでなく、脱出するまでの算段をたてる「勇気」でさえも完璧に表現しきっています。
自分がこの映画でもっとも感動したのは、宇宙の映像ではなく、サンドラ・ブロックの表情だったとさえ思いました。
彼女を支えるのは、もうひとりの主人公であるマット・コワルスキーです。
ジョージ・クルーニーが演じるマットは、大ベテランの宇宙飛行士であり、茶目っ気もある、ライアンにとっては頼れる上司です。
この2人がどのような人間ドラマを見せてくれるのかー
そこには、「生きる」ことへのメッセージも内包されています。
映像だけでなく、そのことにもぜひ注目してほしいと思います。
デートには大推薦できますし、「今までにない映像体験」を期待する人は女房を質に入れてでも観るべきです。
ただし、子どもには少しショッキング(グロテスク)なシーンがあるのでご注意ください。
幼いころ、宇宙に行きたい、宇宙飛行士になりたい、と思った方はきっと多いことでしょう。
この作品は、無重力の宇宙での冒険を体験させてくれます。
そんな「夢」を叶えるものが、映画という媒体で提供されたことが、嬉しくて仕方がありません。
予備知識がなくても問題ありませんが、登場人物の名前と、以下の用語を把握しておくとより楽しめるかもしれません。
・ISS:国際宇宙ステーション
・スペース・デブリ:字幕では「破片」と表示される
・テザー推進:テザー(紐)を使って軌道を修正する方法
・ソユーズ:数人乗りの宇宙船
・ケープカナベラル:アメリカのロケット打ち上げ基地
・ソロフィエフ:ロシアの宇宙飛行士で、宇宙遊泳の記録保持者
・マルディグラ:謝肉祭の最終日
スペース・デブリのことを知るためには、デブリの回収作業員を描いた漫画「プラネテス(アニメ版もあり)」に触れてみるのがいいでしょう。
それ以外では、「3Dで、大画面で観ろ!」とだけ頭に置いておけばそれでじゅうぶんです。
アトラクション的な要素にとどまらず、映画としての完成度も高い傑作です。
91分という短い上映時間ですが、瞬きすることも惜しいと思える素晴らしい映像ばかりでした。
ぜひ、劇場で堪能してください。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜はじめの「前提」〜
はじめのテロップでは、こう表示されます。
「地表から600キロ
気温は−125〜100℃に変動する
音はない。気圧はない。酸素はない。
宇宙では生命は存続できない」
宇宙で人間(生き物)が生きていけないというのは当然に思えることでしょう。
実は、このことは映画のテーマに密接に関わっています。
〜船外作業、そして激突〜
マットは音楽を聞きながら船外作業をしており、「42日間宇宙でミッションを遂行していたら、女房が弁護士と逃げた」「ソロフィエフの遊泳記録が破れないなあ」と、けっこうおしゃべりでした。
ライアンはマットの音楽を止めるように頼みましたが、彼女も自分の状況を「乾燥機の中のチワワみたい」などと言っており、決して固くない雰囲気でした。
マットがどこかに飛びそうになったネジをつかむのは、「無重力」を感じさせてくれる効果的なシーンでした。
後にマットがライアンをつかむシーンの伏線にもなっています。
<おっと
ほかにも、実は本作には「つかむ」シーンがとても多いのですよね。
ライアンはしょっちゅう何かをつかんで生きようとしていましたし、ラストでは・・・・
彼らに、人工衛星の爆発が二次的に生んだスペース・デブリが迫っていることが知らされます。
それは、ロシアが「不要なものを処分」したためにできたものでした。
ベテランのマットは冷静に移動をしていましたが、宇宙空間にはじめて訪れていたライアンは少し出遅れました。
そのことも、運命を分けたのかもしれません。
ライアンはアームとともにくるくると回り、宇宙空間に投げ出されてしまったのですから。
<アームとともに・・・
<周りに誰も・・・
ここから、ライアンとマットの決死のサバイバルが幕を開けます。
〜たった2人〜
カメラはくるくる回るライアンをずっと映していましたが、しだいにライアンに近づいていき・・・なんとライアンのヘルメットの中に入りました。
<カメラはヘルメットの中へ
そのヘルメットには「酸素の残量」も表示されます。
ここで、映像は「ライアンから見た」ものとなるのです。これも登場人物との一体感を得るための演出でしょう。
管理センターからの通信は完全に途絶えましたが、かわりにマットから通信が入ります。
マットはライトをつけるように指示し、個人用のジェット装置でライアンのもとへとたどり着きます。
このときのマットは「捕まえた、ハンサムで驚いたか」とまだユーモアを忘れていませんでした。
マットは時計を「90分後」にセットします。
それは、80万キロで移動しているデブリが(地球を一周して)再び襲ってくる時間でした。
2人は、もうひとりのクルーであったシャリフの死体を回収します。
シャリフの顔面には、大きな穴が開いていました。
宇宙空間(真空)はあっという間に蒸発してしまうので、一滴も血はこぼれていません。
その傍らには、彼の妻と、息子の写真もありました。
<彼にも家族がいた
2人はエクスプローラー号にたどり着きます。
おもちゃが船外に出た後、彼らの眼前に現れたのはクルーの死体でした。
ライアンとマットは、エクスプロラー号のたった2人の生存者となり、ISSに向かおうと試みます。
〜さようなら、マット〜
2人が移動しているさなか、後方で「夜明け」が見えます。
<美しい夜明け
マットはライアンの故郷であるイリノイ州が現在午後8時であることを言い、ライアンは自分の身の上話をします。
ライアンには4歳になる娘がいましたが、鬼ごっこしていたときの事故で死んでしまいました。
ライアンはそのことを「馬鹿な死に方」と嘆いていました。
マットは良い知らせとして5分でISSに着くこと、悪い知らせとして最長遊泳記録まであと10分足りないことを告げます。
その後に2人は(ブレーキがないために)ISSにぶつかってしまいます。
なんとかしがみつこうとする2人でしたが、テザーが切れ、宇宙船のはじまでどんどん移動していってしまいます。
ライアンの片足が、なんとかパラシュートの片方にひっかりました。
そこにマットもやってきて、ライアンの手をつかもうとします。
<つかめ!
ライアンはマットと手をつなぐことができました。
しかし、まだ慣性が働いていたようで、2人はずるずると「外に」移動してっていきます。
マットは「手を離せ」と命令しますが、ライアンは「いやよ!絶対に離さない」と退けます。
マットは「絶対に帰還しろ」と告げ、宇宙空間に身を投げ出しました。
<必ず帰るんだ
ただし、マットとの通信は途絶えていません。
マットは「これで新記録だな!」「ガンジス川を照らす太陽が素晴らしい」と、陽気なままでした。
〜胎児〜
再びライアンの「1人称視点」となり、彼女は宇宙船内に帰還します。
彼女は宇宙服を脱ぎ、まるで胎児のように丸まりました。
<ゆっくりと丸まって・・・
そこにあったチューブは、まるでへその緒のように見えます。
子宮内は羊水で満たされているため、重力がないとも見なされます。
これは彼女が母体に戻ったような「安らぎ」を示すシーンでしょう。
〜諦めること〜
マットからの通信も届かなくなります。
ライアンは宇宙船の中から、マットのいる方向を見ながらつぶやきます。
「マット、どこにいるの?
ケープ・カナベラルからしゃべり続けてきたじゃない。
マルティグラの毛深い男の話はどうなったの?」
マットの姿は、ほとんど見えなくなってしまいます。
<目視ではほぼ確認できず・・・
ライアンは意を決して、ヒューストンへ「一方通信」をします。
「私、ライアンのみが生存者です」と・・・
マットは、この前にISSを利用して地球に戻ることについて「諦めることも学べ」と言っていました。
ライアンはマットに頼り切っていましたが、ここでマットの生存を諦め、生きる道を探す覚悟をしたのでしょう。
〜火災、そして再びデブリの来襲〜
コードが外れて電流が漏れていたために、宇宙船内に火災が発生してしまいます。
ライアンは手動でソユーズを切り離し、中国の宇宙船「天宮」を目指そうとします。
しかし、パラシュートのロープがひっかかってしまい、出発することはできませんでした。
しかも・・・「晴れ時々デブリ雲」の予報通り、デブリ来襲の時間になります。
(その直前に、背景ですさまじいスピードでデブリが飛んでいました)
ISSもエクスプローラーと同様に、大破することになりました。
<再びの大破!
ライアンの「宇宙なんか大嫌い!」という台詞には同調してしまいます。
〜ラジオの声〜
ライアンはソユーズに戻りますが、燃料がなく、全く進むことができないことに気づきます。
船内が凍りはじめ、絶望的な状況で・・・ライアンはラジオから「アニンガ」という男性の声を聞きます。
アニンガは犬を連れており、ライアンは「もっと犬の声を聞かせて」と頼みました(アニンガが話しているのはイヌイット語なので、伝わらないのですが)。
犬が出てきたのは、ライカ犬のことがあったからなのかもしれません。
*アニンガの姿と、何を話していたか(英語ですが)は以下の短編映画で知ることができます
ライアンはこう言います。
「死を知るって奇妙ね。今の私は、誰も悲しまないし、誰も祈ってくれないわ。
人生で、祈ったことは一度もなかった。誰にも習わなかったもの・・・」
ラジオからは赤ちゃんの泣き声と、アニンガの歌う子守唄が聞こえてきます。
ライアンの涙は球体となり、画面の前に飛んできます。
「私も娘に歌ったわ。もうじき会えるのね」
ライアンは酸素のメーターを下げ、アニンガの子守唄を聞きながら、眠りにつこうとします。
しかし・・・ライアンはノックの音を聞きます。
ソユーズの窓の外にいたのは、宇宙空間に投げ出されたはずのマットでした。
〜生きる理由〜
マットがソユーズに入った瞬間、そこは宇宙空間と同じく「無音」となりました。
マットは隠してあったウォッカを飲み、(宇宙記録を破った)ソロフィエフに乾杯!と嬉しそうに言いました。
マットは、生きる気力を失っていたライアンにこう言います。
「ここは居心地がいい。傷つけるものは周りにいない。静かで孤独な空間だ。
だが、ここで生きる理由がどこにある?
君は娘を失った。これ以上の悲しみはない。大切なのは、今をどうするかだ。
大地を踏みしめ、生きろ」
宇宙という空間は、単に物理的な面で生きにくいだけではありません。孤独なのです。
人は孤独では生きていけません。たとえ、傷つけるものがあったとしても、人には地球という場所が必要なのです。
冒頭のテロップである「宇宙で生命は存続できない」は、そのことも示していたのではないでしょうか。
ライアンが、再びマットが座っていた座席を見ると、そこには誰もいませんでした。
低酸素状態になると、幻覚を見たり、臨死体験をすることがあるそうです。
生存したマットは幻のものでしたが、ライアンの生きる希望となりました。
〜天宮へ〜
マットは「着陸の際の逆噴射」を利用することを教えてくれました。
ライアンは、すでにいなくなったマットにお願いをします。
「私の娘の名前はサラよ。ブラッシングをいやがっていたわ。
ママが赤い靴を探していたけど、ベッドの下にあったって伝えて。
サラはママの天使よ。ママは諦めないと伝えて。
心から愛している。とても愛している。
伝えてくれるわね。行くわよ」
逆噴射は成功し、ソユーズは中国の宇宙船「天宮」にたどり着きます。
ライアンがそのときの移動に使ったのは、火災の消火に使っていた消火器でした。
消火器の噴射により、自身の軌道を変えるのです。
<噴射!
ライアンが宇宙船の中に入ると、そこには卓球のラケットがありました。
卓球は、確かに中国らしいですよね(しかも2回出てくる)
〜帰還〜
ライアンは中国のソユーズである「神船」に乗り込みますが、ボタンに書いている中国語がわかりません。
彼女がとった手段は、なんと「どれにしようかな」でした。
「エクスプローラーのソユーズではこのボタンだった」ということはありましたが、宇宙遊泳以上にヒヤヒヤしたシーンでした。
神船は大気圏に突入し、周りの宇宙船の破片も燃え上がります。
<まるで隕石のように・・・
ライアンは、一方通信で話しかけます。
「このミッションは嫌な予感がしていた・・・・いや、話なんてどうでもいい!結果は2つしかないわ。
無事に生還して奇想天外な話を聞かせられるか、焼け死ぬかのどちらかよ!
どっちだろうと、誰のせいでもないわ!
結果はどうあれ、これは最高の旅よ!」
ライアンが「これは誰のせいでもない」と達観したのも、「生きる」という強い覚悟のためにあらわれたものでしょう。
神船は、無事に川に着水しました。
ライアンが神船の扉を開けると、水がとどめなく入ってきます。
神船は川の底に沈みました。
ライアンは「重力」に逆らい、水面を目指します。
そこには、ライアンよりもはるかに身軽に泳いでいるカエルもいました。
ライアンは川辺にたどり着き、土をつかみ、握りしめます。
彼女は「ありがとう」と口にします。
無重力空間で弱った体を、ライアンはゆっくりと持ち上げます。
彼女は二本足で、大地を踏みしめます。
そして、空を見上げ、ゆっくりと歩き出したところで、映画は幕を閉じました。
〜話のオチは?〜
・・・ところで、マットがしゃべっていた「マルディグラの毛むくじゃらの男の話」のオチはどうなったんでしょうね。
「女の子と手をつないでいた」「よく見ると人間じゃなかった」の続きがわかんないじゃないか!
ライアンが大気圏に突入する前に「話なんてどうでもいい!」と言っていたのは、このことを示していたのかもしれませんね。
ライアンはマットが宇宙空間に消えていくとき「話の続きはどうしたの?」と質問しましたが、彼女は最後にその疑問とも関係のないほどの「生きる覚悟」をした、ということなのでしょう。
この話はマクガフィンであり、なんでもいいものなのだと思います。
〜邪魔される?助けられる?〜
ライアンはパラシュートの紐に足が絡まったおかげで、宇宙空間に放り出されずにすみました。
しかし、天宮に向かう前ではソユーズがパラシュートの紐にひっかかってしまい、脱出できなくなりました。
中盤で宇宙船内に火災が発生したとき、ハッチに消火器がひっかかったためにライアンはあわや火に巻き込まれそうになりました。
しかし、天宮へ移動するときに、消火器は推進方向を変えるジェットとして利用することができました。
助けてくれるものと、邪魔をするものは表裏一体で、それは使い方次第で変わるのかもしれません。
〜聖人の肩に〜
ソユーズには、聖人クリストフォロスのカードが飾ってありました。
*肩に乗っている男の子はキリストです
クリストフォロスの意味は「キリストを背負うもの」で、旅行者の守護聖人ともされています。
その伝説とは、「ローマ人の男が、男の子を肩に乗せて川を渡ろうとすると男の子が異様に重くなり、その正体がキリストであるとわかる」というものです。
この絵のキリストはライアンを示し、クリストフォロスはソユーズを示していたのかもしれません。
キリストが重くなる=最後にライアンが「重力」を体感することも示しているのでしょう。
神舟には、手を合わせた弥勒佛像が置かれていました。
中国では宗教の規制が厳しいのですが、その中でもポピュラーな信仰の対象となっているのがこの像だそうです。
中国の船員は、ライアンがしていなかった祈り=信仰を捧げていたのでしょう。
〜重力〜
本作の邦題は「ゼロ・グラビティ」となっていますが、原題は「GRAVITY」だけです。
この原題が示すものが、この結末だったのでしょう。
ライアンは地球の重力落下により帰還し、水面に向かって泳ぐことで「重力にあらがい」、最後に立ち上がることによって「重力に打ち勝ち」、そして「生」を体感するのですから。
また、カエルは水の中を悠々と泳いでいました。
これも「宇宙では生命は存続できない」というはじめのテロップと対比することです。
生命は、(重力のある)地球でこそ生きることができるのです。
〜空を見上げる〜
ライアンはISSに向かっていたときに、「誰かが空を見上げて、想ってくれるかしら」と疑問に想っていました。
最後に空を見上げていたのは、ライアン自身でした。
ライアンは「いままで祈ったことがない」ことを嘆いていましたが、ここでは祈ることができたのでしょう。
それは困難に打ち勝った自分へ向けたものであり、宇宙へと消えたマットにささげたものでもあるのかもしれません。
〜歩き出す〜
最後にライアンは、マットが言った「大地を踏みしめろ」のとおりに、土を踏み、歩き出しました。
ライアンは娘が死んだときに「ただ(車に乗って)走っていた」ことを嘆いていました。
しかし、彼女が最後に踏み出した一歩は、その後悔の気持ちとは離れた、希望に溢れるものだったでしょう。
これも、ライアンの「大切なのは今だ」に当てはまることです。
〜ありがとう〜
ライアンは、なぜ最後に感謝を告げたのでしょうか。
それは重力のある「生きていける環境」へ言ったものかもしれないし、
自分を生存へと導いてくれたマットに告げたものかもしれません。
自分は、ライアンが「生きる喜び」を知ったためだと思いました。
ライアンは自分が死ぬことで「娘に再び会う」ことを望んでいましたが、幻のマットと会話をしたあとには、生きることを諦めませんでした。
生還し、重力を体感したライアンは、これから「生きる」ことを大切にするのでしょう。
大変めずらしい否定的な意見↓
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ばったすいみんぐすくーる 『ゼロ・グラビティ』レビュー
『ゼロ・グラビティ』わたしの肩の上の天使 | k.onoderaの映画批評
ゼロ・グラビティ - みんなのシネマレビュー
2ちゃんねる映画ブログ ゼロ・グラビティ
初IMAXがこの作品で本当に良かった!一生記憶に残る映画体験でした!
> 毛むくじゃらの男の話
おや、これの意味がお判りにならないとは映画通のヒナタカさんらしくない。
マクガフィンですよ、マクガフィン。日本で言えば三谷幸喜氏の“赤い洗面器の男”。
この映画、“胎児”や“ライカ犬”に留まらず、随所に上記のような隠喩や象徴、ジョークが散りばめられています。
キーボードが漢字である中国機が登場したのも「言葉が判らない=意味不明、ちんぷんかんぷん」のシンボル。
もしギリシャが宇宙ステーションを打ち上げていれば、ここで登場したのはギリシャ機だったでしょう。(英語の慣用句で「それは私にとってギリシャ語だ」は「あんたの言っているのはちんぷんかんぷんだ」の意で、これはしばしば映画でも使われるものです。『モンスターズ・インク』にはブーを送り返すのに「木馬を使う? まるでギリシャだ」というトロイに引っ掛けたネタが出てきます)
本作で中国なのは単に中国が宇宙開発先進国であり「神舟」といったネーミングの機があるのみならず、内容が科学や哲学に及ぶために“中国語の部屋”と呼ばれる有名な思考実験に由来しているものと思われます。
>
> > 毛むくじゃらの男の話
>
> おや、これの意味がお判りにならないとは映画通のヒナタカさんらしくない。
> マクガフィンですよ、マクガフィン。日本で言えば三谷幸喜氏の“赤い洗面器の男”。
一応それはわかった上で書いてます。だって気になるんですもんw
これも「知りたいから生きたいと願った」というのだけで、なんでもいいのですものね。
おっしゃるとおりですので追記しておきます。
> この映画、“胎児”や“ライカ犬”に留まらず、随所に上記のような隠喩や象徴、ジョークが散りばめられています。
> キーボードが漢字である中国機が登場したのも「言葉が判らない=意味不明、ちんぷんかんぷん」のシンボル。
> もしギリシャが宇宙ステーションを打ち上げていれば、ここで登場したのはギリシャ機だったでしょう。(英語の慣用句で「それは私にとってギリシャ語だ」は「あんたの言っているのはちんぷんかんぷんだ」の意で、これはしばしば映画でも使われるものです。『モンスターズ・インク』にはブーを送り返すのに「木馬を使う? まるでギリシャだ」というトロイに引っ掛けたネタが出てきます)
> 本作で中国なのは単に中国が宇宙開発先進国であり「神舟」といったネーミングの機があるのみならず、内容が科学や哲学に及ぶために“中国語の部屋”と呼ばれる有名な思考実験に由来しているものと思われます。
「意味がわからないもの」のシンボル、というのは面白いですね。
何かの伏線であったり、何か重要なことを暗示していたりとか、このブログを見せていただいて、なるほど~そういうことか~と納得している私ですからね。(いつもありがとうございます・・・)
そして、私は長崎在住ですが、わざわざ博多のキャナルシティまで遠征してIMAXで鑑賞した甲斐がありました。
とにかく、宇宙って怖い・・・。
無重力状態では自分の体のコントロールさえままならず、全てのものが逃げていくのに、、決して動かず自分を抱きしめてくれる大地、つまり重力に土を握りしめてお礼を言ったライアンに涙が出ました。
おっしゃる通り重力=生きるということだったんですね。
[Mission To Mars]って言う映画のエピソードを拡大したような感じがしましたが、映像の方の自然さは、数段上でした。
湖【この湖は、彼らが話していた???湖だったら、出来すぎだと思ってみてましたが】に落ちたカプセルは、あんなことしなければ、沈まないのに、どうして焦ってハッチを開けてしまったのかしら?
【火災が発生していた?】
最初と、最後がまさにGRAVITYを、思い出させる良いシーンでした。
邦題の”ゼロ”は余計です。
的確過ぎる一言ですね!スターウォーズ以来の何度目かの映像の進化を目撃してまいりました。いずれ公開されるであろうメイキング映像も楽しみです。
>ジョージ・クルーニーが演じるマット
自分の生存の望みが断たれた直後だというのに、まだ生存の糸が繋がっているライアンへユーモアを交えて助言や励ましを贈り、その後も幻影となって彼女を支え続ける彼に涙が出ました。死を前にしてもこんなにカッコイイ事が出来る人になりたいです。
>子どもには少しショッキング
これを差し引いても「仮面ライダーフォーゼ」や「宇宙兄弟」ヒナタカさんもお奨めの「プラネテス」と並ぶ程子供たちにみて欲しいと思いました。
それでもこの美しく無慈悲な世界の開拓者を夢見る強さと純粋さを願って。
>マルディグラの毛むくじゃらの男の話
お祭りに来ていたサーカスのチンパンジーかゴリラ?と思いました。
クルー二ーは好きでなくしぶっていました
英語版では「…傷つけるものは誰もいないし、安全だ。子供だって死んだし、地球へ戻る理由なんか何もない。それでも、今何をするかが大事だ。行くと決めたら、行くしかないんだ。大地を踏みしめろ…」
みたいなかんじだったんで、「宇宙では生きる理由がない」とは翻訳者かカゲヒナタさんの解釈でしょうか?
どちらにせよ素晴らしいですね!
感動感動涙
見てよかった
最後のシーンで水深が深かったら
夜で真冬だったらと考えてしまった
素晴らしい感動できる映画
重くもなく今の自分に素直に感謝できる
なぜなら宇宙に投げ出されていないから笑
あれは怖いと思うし気がふれてしまうかもしれない
最後がハッピーな映画はすっきりする
ここで内容を知って観に行ったのでリラックス安心して見られた
最初で損傷した方の傷はなぜ血がないのか、ヘルメットがあったのになぜ中だけが損傷しているかが謎
年末はあの恐竜の新作を見に行きたい
ゼロは人生を生きるぞという思いに包まれ元気のない自分が回復し復活しました。ビデオも必ず買い苦しいときに観たいです!
あれは恐らく燃料が無くなり船内の温度が低下したため凍り初めていたからではないでしょうか?
方向の定まらない無重力空間と立つことの出来る重力のある地球が、最初はパニック状態になった主人公が生きるという目標を決めたことと重なっているように感じました。重力があるから方向があり、その方向に進むことで未来に向かうことが出来る。そう考えると邦題の「ゼロ」は本当にいらないと思いました。
> あれは恐らく燃料が無くなり船内の温度が低下したため凍り初めていたからではないでしょうか?
そう言われてみれば、ひびが入るという状況にはならないですよね。
ご指摘感謝です、訂正します。
> 方向の定まらない無重力空間と立つことの出来る重力のある地球が、最初はパニック状態になった主人公が生きるという目標を決めたことと重なっているように感じました。重力があるから方向があり、その方向に進むことで未来に向かうことが出来る。そう考えると邦題の「ゼロ」は本当にいらないと思いました。
海外ではむしろ「ゼロ」をつけるべきだと言う声も多いそうですが、そういう観点でも確かに原題のままのほうがいいですね。