2018年6月14日 (木)
2016年8月18日 (木)
キャパシティ・ビルディング
JENは、世界中の人びとが自立できること、すなわち自分たちの抱える問題を自力で見極め、対処し、解決する力を持つことができるようになることを目指しています。
事業の実施はその1つの方法ですが、同時に、携わる現地スタッフの能力向上(キャパシティ・ビルティング)を通して、彼らが自分たち自身で自分の国の状況を改善できるリーダーとなれるよう願っています。
JENがクルド人自治区に事務所を開いてから1年8か月の間、私たちは現地スタッフのよい変化と成長を見てきました。
その1つは、地域の人びとに対する現地スタッフの姿勢です。
JENが衛生キットを国内避難民キャンプ内で配布した際、ある現地スタッフが特定の家庭に対し1つ多めに衛生キットを渡すことができるかどうか聞いてきました。彼らの状況が可哀想だと感じたことが理由でした。
しかしながら、そういった同情による支援は家族の尊厳を奪うだけでなく、JENの支援の公平性・平等性を失うことにもなります。
国際スタッフは、なぜそういったことをすべきでないのか説明し、その現地スタッフとともに考える時間を持ちました。
今では、そのスタッフもJENの活動の本質(同情心から人々を「救う」のではなく、尊厳のある人々を「支える」こと)を理解しており、国際スタッフの助言なくしても感情で行動することなく、プロとして行動できるようになりました。
これは、現地スタッフの成長にまつわるほんの一例です。このような小さな変化の積み重ねが、大きな変化を生む力となり、「JENのいない世界」につながるのです。
松本円花
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2015年7月 9日 (木)
クルド人自治区のラマダン
今年の7月は、イスラム圏のクルド人自治区にとってはラマダンの期間にあたります。ラマダンはイスラム教徒にとって1か月の神聖な断食の月とされており、多くの人が日の出から日没まで飲食を絶ちます。夏の間では、この期間が15時間を超える事もあり、摂氏40度を超えるクルド人自治区の夏のラマダンはとても厳しいものとなっています。
暑さを避けるために、多くの人が日中は休み、夜に活動をしているようで、国内避難民キャンプの普段は人通りの多い大通りもガランとしています。
【人気のない国内避難民キャンプの大通り】
しかしラマダン中でも水衛生支援は続きます。気温の上昇とともに水の使用量も増えている国内避難民キャンプでは、JENスタッフが毎日各家庭に水が届いているかの確認をしています。また、技術者は、断食をしながらも、毎日5件ほどの水衛生補修を行うほか、下水道パイプの交換などの大掛かりな工事も手掛けています。
炎天下の中、長時間汗だくになりながら、水も飲まないで避難民の方々のために支援活動を行うスタッフを見て、一人一人の献身的な努力が、避難民の人びとを支えることにつながっていくのだと実感しました。
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2015年1月29日 (木)
日常と非日常
今年に入り、非人道的な事件が多発しています。
では、現地の様子はどうなのでしょうか。
国内避難民支援を行っているチームでは、スタッフの一人は、事業地からの帰り道、母親から頼まれた玉ねぎを毎回買っています(母親によるとそこの玉ねぎはおいしいらしいです)。別のスタッフの親戚は、最近、戦闘で負傷しました。家族がまだモスルにいるため心配だと言うスタッフがいます。親から「早く結婚しろ」、と言われることに辟易しているスタッフもいます。
2003年から継続して行っている教育支援を担当するバグダッドのスタッフは、不安ながらも支援の手を止めることなく、一生懸命に慎重に活動を続けています。そして、イラクの活動を支えている隣国ヨルダンの女性スタッフは、夜間の外出を控えています。
今、ここ中東で暮らすということは、日本での暮らしのような日常を過ごしながら、想像をはるかに超える危険と隣あわせで暮らすということです。
昨年末からJENはイラクの国内避難民(IDP)を対象とした緊急支援活動を開始しています。活動は、IDPの人びとが、避難先でも暖をとり、なんとか厳しい冬を体調を壊さずに越えるための越冬支援です。たとえば、石油ストーブや石油、カーペットなど冬支度に必要な物資を手に入れる準備を進めています。次のレポートでは、よりくわしく、活動の様子をお伝えできればと願っています。
JENでは、イラク国内で発生している国内避難民を対象にした緊急支援を開始しました。この緊急支援に対し、皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
ご寄付は、こちらから受け付けております。
2014年8月28日 (木)
JENバグダッド事務所でJEN20周年のお祝い
(※この記事及び写真は2014年前半に作成・撮影したものです。)
JENバグダッド事務所にてJEN設立20周年を記念し、盛大なお祝いをしました。
お祝いには、JENスタッフだけでなく、事業のカウンターパートでもあるイラク教育省の職員の方々や、JENの事業で学校建設や衛生施設の修繕に携わっている建設会社の代表の方々などもかけてつけてくれました。
20周年記念としてJEN本部で作成した「ありがとうポスター」に加えて、JENのスローガン、日本外務省支援のロゴも合わせて掲示しました。
JENのロゴが入った大きなケーキも用意し、イラク教育局の職員の方々とともにケーキに入刀。出席した人々全員で、これまでのJENの今後の発展と活躍ならびに、イラクの人々や世界の人々の幸せと平和を願いました。
その後、JENより2003年から実施してきたこれまでの活動について、みなさんにスピーチしました。それを受けて、出席されたカウンターパートのみなさんから、これまで実施してきたJENの活動がいかによい成果をあげてきたかについて、賞賛する声があがりました。特に、学校で安全に安心して生徒が勉強できるようにと、学校環境の改善のため、教師や生徒に対する衛生教育を行い、それを通じて生徒の家族にも衛生に対する認識の向上を図ることができたこと。また、JENのスタッフが教育省と協働で事業を実施し、事業後もきちんとフォローアップしてくれてきたことへの感謝の声が聞かれました。
最後に、カウンターパートの皆さんから、JEN本部の皆さんへのお祝いと、イラクの人々、また災害や紛争で苦しむ世界各地の人々のためにJENがこれからも活動を続けることができるように、そしてJENの活躍と成功をお祈りする言葉を頂きました。
【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。ご寄付は、こちらから受け付けております】
【JEN設立20周年記念の取り組みについてはこちら】
2014年6月16日 (月)
スタッフの無事を確認
支援者の皆様へ、
2014年5月22日 (木)
JENヨルダン事務所への訪問
イラクの首都にあるJENバグダッド事務所に勤務する私たち3名の職員が、4月にヨルダンの首都アンマンにあるJENヨルダン事務所を数日間訪問しました。
今回の事務所訪問では、現在イラクで進行中のプロジェクトならびに次に開始するプロジェクトの方向性について議論し意見交換を行ったり、私たちイラク事務所の現地職員のカウンターパートとなっているヨルダン事務所の現地職員との間で、互いの業務上で得た経験を共有するという機会も得ました(ヨルダン事務所は、イラク事業の拠点としても機能しています)。
また、ヨルダン事務所のアレンジにより、私たちはザータリ難民キャンプに丸1日滞在してきました。
キャンプにおけるJENや他団体の活動を視察し、キャンプ内に設置された学校を訪問しました。キャンプ内にある複数の学校の校長先生と、衛生環境や水衛生施設の補修に関して現地で抱えている問題について議論しました。
またキャンプ内では、JENの現地スタッフが衛生意識を向上させ水因性疾患を予防するために衛生教育を実施していますが、実際にトレーニングを受けている家族の皆さんに会うことができました。キャンプ内の貯水タンク施設を視察した際には、タンクの水を利用する家族の姿も見ることができました。
今回のヨルダン訪問は非常に有意義で、滞在中に得た経験は今後私たちが仕事を推進する上で大変貴重なものとなりました。
(バグダッド事務所職員 バシム・ユシフ)
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2014年5月 8日 (木)
ニーズ調査の重要性
私たちジェンが支援活動を行う際には、プロジェクトをはじめるための最初の一歩として、ニーズ調査を行うことを重要視しています。
ニーズ調査は、現地の状況を知るための最も基本的なツールであるだけでなく、学校や病院などの大きなコミュニティにおいて、それぞれの場所の弱点や問題点を見つけるためにも使われます。
例えば、ジェンが学校や病院を改修するプロジェクトを行ううえでは、まず現場視察を行い、ジェンが衛生促進活動を行うすべての地域を対象に、医療状況について調査し、データベースを作成します。
調査を通じて、学校や病院などの施設および住民一人ひとりの衛生状態を良くするための知識を伝えることで、現地の人々が身の回りを清潔に保ち、感染症などを防ぐことにつながります。
大変な状況に置かれているイラクの小学生を例にとってみましょう。ニーズ調査を通して、問題に直面しているのは特に低学年の生徒たちで、混み合った教室でぎゅうぎゅう詰めになって勉強していること、そしてその原因は十分な医療・教育支援が届いていないことだということが分かりました。
このように、ニーズ調査は、問題の原因を明らかにするだけでなく、現地の人々、つまりこの例では小学生たちと一緒に、必ず成果が出る方法でその問題を解決する方法を見つける手掛かりになります。
また、ジェンが行う調査には2種類あります。
一つは、前述のニーズ調査です。この調査は、改修前に現地の人々と一緒に広く調査を行います。これは、現地の状況を正確に知るために、地元の人々の話を聞き、現地の衛生状況を調べるものです。
二つ目は、モニタリング調査で、学校などの建物が改修された後に行うものです。モニタリング調査を行うチームは適切なトレーニングを受け、プロジェクトの成果がきちんと測れるようにします。
ジェンでは、現地ニーズに沿い、効果的なプロジェクトの推進のために、このような調査を活用しているのです。
アスマー・アメール(ジェン現地スタッフ:衛生促進トレーナー)
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2014年1月16日 (木)
アンバール県の情勢悪化に伴い
前回の支援速報でご紹介しました通り、JENは昨年末より新プロジェクトを開始しました。ところが年始早々、3県ある事業地の1つであるアンバール県の治安状況が急激に悪化しています。
各メディアで報道されている通り、12月30日、イラク治安当局が政府に対する大規模な抗議デモの鎮圧を試みました。その後、国際テロ組織アルカイーダ系の武装組織が、アンバール県の中心都市であるラマディ市と近隣都市であるファッルージャ市の一部を掌握するなど、混乱が生じています。
この状況の急劇な悪化に伴いスタッフの安全確保を第一に考え、アンバール県内での活動を一時停止し、スタッフの移動を制限することにしました。
このアンバール県というのは、バグダッドの西にある最も面積の広い県で、住民の大多数がスンニ派です。シリアやサウジアラビアとの国境があり、国境の向こう側に同じ部族の出身者や親せきが住んでいることは珍しくありません。また、アンバール県民はフセイン政権の支持者が多いとして、2003年には米軍の爆撃を多く受けました。現在は、他県と比べ、公共サービスへのアクセスが悪く、失業率も高いです。常日頃から住民の政府への不満は多々あり、長きにわたってデモ集会が実施されてきました。現在起きている同県内での抗争により死者数は増加しており、多数の避難民が発生しています。
このような事態は、2006-2008年の間におけるイラク中部および南部の状況に似ています。当時もJENはバグダッドに事務所を構えておりましたが、事業地へ移動する際に近くで爆弾が落ちる音を聞き、また幹線道路でのチェックポイントでイラク治安当局に車を止められることも少なくありませんでした。
JENが活動をする地域全てが常に安全というわけではありません。しかし、そのような場所にこそ支援を必要とする子ども達がたくさんいるのです。だからこそ、活動を継続的に実施するためにも、常日頃からセキュリティ情報の取得を心掛け、安全面で少しでも懸念がある場合は携帯電話を使用し、テキストメッセージや電話連絡で全スタッフに情報共有することを徹底しています。また、スタッフ同士でも連絡をこまかくとり、デモ集会や市場など人で混雑している場所は避けるようにしています。今後も、安全確保を第一に考え、活動を継続していきます。
JENイラクスタッフ一同、アンバール県の情勢が安定し、再び同県の学校に通う生徒たちへの教育支援を再開できる日が早く来ることを祈っています。
バグダッド事務所長
ファイーズ
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2012年9月20日 (木)
2012年9月 6日 (木)
東日本大震災のドキュメンタリー映画がヨルダンで上映されました!
8月29日、ヨルダン国アンマンのロイヤル・フィルムコミッションで、311の東日本大震災における津波の脅威の中での日本の名もなきヒーローたちの活躍を収めた『Pray for Japan』が、ヨルダン国女王リーム・アリと在ヨルダン日本大使館の後援で、中東で初めて上映されました。上映会には、監督のスチュウ・リービー氏もやってきてくれました。
【 監督とJENスタッフ】
上映会は、在ヨルダン日本大使による、2011年3月11日に日本で何が起こったかについてのスピーチから開幕しました。そして、日本人の団結を取り囲む形で国際社会がどのように協力したのかについても紹介されました。
続いて映画監督のスチュウ・リービー氏が、東京で大地震を体験した時のことや、津波が発生した後に宮城県の石巻市にボランティアに行った経験を話してくれました。
映画は、どれだけの被害がもたらされたかという現場の荒廃を映し出しており、直視するのさえ難しいものでした。筆者も物語の中で、少年が津波でお母さん、弟、そしておじいちゃんとおばあちゃんを亡くしてしまった場面で涙があふれてきました。
【映画のワンシーン】
上映会後の質疑応答で、上映会に来ていたほとんどの人が、被災地のあまりにもひどい被害の大きさを感じ、それに対して日本人の逆境に立ち向かう負けない精神を映し出した映画を称賛したことを分かち合って上映会は幕を閉じました。
2012年6月28日 (木)
イラク事務所長ファイーズの日本滞在記
JENのスーパーバイザーのための研修が6月11日から13日までの3日間行われ、私もイラクの事務所長として参加ました。
気持ちの良い会場で、各国の事務所から東京に集まった同僚と思いやアイディアを交わすのは、とても楽しいものでした。私たちは、過去の経験や現在の状況をありのままに、しかしプロとして話し合い、分かち合いました。
研修内容が深刻になり緊迫した雰囲気になったときには、ユーモアのセンスにあふれた仲間が小さなジョークを言ってその場の空気を変えてくれたりしました。
この研修に参加して、私が一番印象的だったのは、日本の人たちの時間厳守の姿勢です。
また、日本の仲間たちがほかの国の文化に興味を持って私たち参加者に話しかけてくれたこともとても印象的でした。私のためにムスリム料理を用意してくれたことに、非常に感謝しています。また、お米がとてもおいしく、数日の滞在中にお箸を使って食べるのがとても上手になりました。
私は、東京は私が今までに訪れた都市の中で一番きれいな街だと思います。また、人々はとても礼儀正しく、お店に行くとみんな笑顔を見せてくれます。私が日本語を話せないとわかると、店員さんは一生懸命手伝ってくれるのでした。また、東京の地下鉄システムは素晴らしく、なんと2分刻みのスケジュールまで立てることができました。
2012年2月 2日 (木)
2012年1月19日 (木)
いよいよ出発
来週から東京で行われる研修に、バクダッド事務所のスタッフ(1名)も参加する予定です。
日本にはヨルダンを経由して行くことになっていて、今週初めに研修参加者であるバシムさん(プログラム・オフィサー)がここアンマンに到着しました。
日本に行くことはもちろん、飛行機を乗りついでの長旅は初めてだというバシムさん。空港での過ごし方や、飛行機の乗換の仕方について入念にチェックしていました。
また、中東以外の国は初めてとのことなので、イラク人であるバシムさんに目に日本がどのように映るのか、感想を聞くのが楽しみです。
普段バグダッドとアンマンとで離れて仕事をしていて、なかなか会える機会が少ないバグダッド事務所のスタッフ。せっかくなので記念写真を撮りました。
2012年1月 5日 (木)
イラク戦争は終わったの?
イラクに駐留していたアメリカ軍が2011年12月18日を持って、治安訓練部隊を残して、撤退したという報道がされました。そして、アメリカのオバマ大統領は「9年に及ぶイラク戦争が終わった」と終結宣言を行いました。
でも、本当にイラクで戦争は終わったのでしょうか・・・?
イラク人のスタッフに「オバマ大統領のイラク戦争の終結宣言、どう思った?」と、聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「オバマ大統領はどこの国の大統領だと思う?アメリカだよ。
終結宣言はアメリカ国民に向けて言ったことで、イラク国民に向けてじゃない。今、イラクでは新しい戦争が起きている。いろんな宗派の対立、政治的な対立、いつ終わるか分からない戦いがずっと続いているんだよ」
ここ数年少しずつ治安が改善してきていると言われているイラク。
けれども毎日のようにテロのニュースが流れ、イラク住む人々は今でもテロの恐怖と闘っています。
イラクの人々が本当に安心して平和に暮らせる日が来るまで、ジェンは支援を続けていきます。
2011年12月15日 (木)
バグダッド事務所のスタッフ紹介
今日は、バクダッド事務所の様子を紹介します。
現在JENのバグダッド事務所では6名のスタッフが働いています。
イラク国内の治安は、まだまだ不安定な状況が続いており、日本人スタッフの滞在は難しいですが、イラク人スタッフの協力のもとJENはイラクで活動を続けています。
衛生事業アシスタント:アスマ(左)
プログラム・オフィサー:バシム(右)
話合いの様子
===== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
詳しくは、こちらへ
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2011年9月 8日 (木)
9.11から10年:イラクからの視点
2001年9月11日に米同時多発テロが起きた当時、イラクの人々は何を思い、そして今何を感じているのか、バグダッド事務所長に話を聞きました。
「2001年9月11日、ニュースから流れる映像を見て衝撃を受けました。世界で最も強い国であるアメリカの、最も重要な建物の一つである世界貿易センターが攻撃されていたからです。
私たちイラクの市民は、この同時多発テロが、のちに自分たちの国で起こるイラク戦争につながるとは、夢にも思っていませんでした。イラクの人々は、同時多発テロはアメリカとテロリストの間で起きたことで、イラクとは無関係であると考えていました。
当時のアメリカの主張を、私たちは理解できませんでした。なぜなら、イラクの政府はテロ組織を嫌っていたからです。
2003年からイラク戦争が始まり、イラクはアメリカ軍とテロリストたちとの戦いの場となりました。多くの一般市民が自分の国が破壊されていくのを目のあたりにし、特にバグダッドは壊滅状態となりました。
私たちはこう言います。『壊された2つのタワーは1年で回復できるかもしれない。でもイラクは国全体が破壊されてしまった。破壊されてしまった国の復興には何十年もかかるだろう』と。
今、イラクでは宗教間、民族間で多くの争いが生まれています。破壊と貧困がもたらしたこの状態が長く続けば、国がバラバラになってしまうでしょう」
====== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
詳しくは、こちらへ
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2011年7月14日 (木)
2011年3月31日 (木)
スタッフの自己紹介
初めまして
ジェン・イラクチームに新しく加わったメイスと言います。
1982年に外交官の父と法律家の母のもとバグダッドに生まれました。父の仕事の都合上あちこちを転々とし、異なる文化に親しんで育ちました。
2005年にバグダッド大学薬学部を卒業後、薬剤輸出の仕事に就き、病院だけでなくイラク保健省ともかかわってきました。
更に人々の役に立ちたいという思いを抱き、今日ジェンで新たなスタートを切りました。初日ですので、これからよりジェンについて理解を深める段階ですが、今私に言えることは、フレンドリーな同僚と共に楽しく仕事を進めていけそうだということです。これからどうぞよろしくお願いします。
2010年10月14日 (木)
アンバール県担当エンジニアより
ユーフラテス川の流れるここアンバール県は、首都バグダッドの西に位置し、シリア・ヨルダン・サウジアラビアと国境を接しています。部族制が続いており、主要なものだけでも50は存在します。本当は皆さんに現在の写真付きでアンバールの紹介をしたかったのですが、ランドマークとなるものはたいてい壊れてしまっています。
そのアンバール県担当のエンジニアとして昨年の12月からJENで働いています。以前は湾岸諸国の人道支援団体に所属し、東南アジアの貧しい人々の為に学校や井戸の建設・修復プログラムに携わっていました。自分の専門性を生かし他の人の役に立てる人道支援の仕事を嬉しく思っています。
最後になりますが、私達イラク人から見た日本人像はご存知ですか?勤勉で穏やかでいつも笑顔というものです。10人に聞けば10人全員同じ答えですよ。(もちろん私もその一人!)
2010年4月 1日 (木)
イラクでの緊急支援とは
今日はバグダッド事務所長から、彼の仕事についてご紹介します。
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未だ緊急支援の段階にあるイラクでは、毎日決まりきった日課はありません。
朝は、「悪いニュースがありませんように。」と願いつつ、スタッフに電話をかけることから始まります。治安問題もさることながら、行政、業者さんとの間でも、予期せぬ小さな問題が発生します。何もなければ、修復作業や資材購入、スタッフ指導など、業務を始めます。
現在、JENの活動をより効果的に行うために、GISシステム導入を進めています。GISシステムとは、地図上に色々な情報、例えば支援の分布状況、人口密度、治安情報などを取り込んだものです。
千里の道も一歩から。
今はまだ知識不足なところもありますが、頑張っていきたいです。
(バグダット事務所長)
備考;日本政府は、イラクは緊急人道支援段階から復興支援段階の途上とみなしています
2009年12月17日 (木)
「着任のご挨拶」
はじめまして。この度イラク事業の総務経理担当としてアンマン(ヨルダン)に駐在することになりました渡邊千紗(わたなべちさ)と申します。これまでは東京本部にてイラク事業の担当をしておりましたが、これからはより現場に近いアンマンでプロジェクトに携わっていきます。
「アンマン駐在のイラク担当」と聞くと「その地域や文化に詳しい人間なのかな?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?実はヨルダンだけではなく、中東自体初めての経験です。この支援速報では、ジェンの活動をご紹介・ご報告する以外に、アンマンでの新しい発見を皆さんと共有できたらと思います。
さて、今朝カーラジオをつけた瞬間、「みなさま」という音声が流れてきました。日本語放送があるなんて!と感動したのも束の間、その後に続いたのはアラビア語でした。同じ発音をするアラビア語がやっぱりあるのですね。
そうした訳で今日のアラビア語です:ミナサマ(意味:空から)
2009年12月 3日 (木)
離任にあたり
この度、私アンマン事務所総務会計担当の田中富美子はアンマンを離任することになりました。これまでJENの活動を応援してくださいました支援者の皆さま方には、深く御礼申し上げます。
つたない文章ではありましたが、支援速報を通じて、皆さまにアラブ・イスラム世界を少しでも身近に感じていただくことができたなら大変うれしく思います。
日々の出会いを通して、紛争下で苦しい生活を余儀なくされている「イラクの人々」は、今や私にとって顔をもち、名前のある、温かみを持った人々となりました。これから現場こそ離れますが、遠く日本から支援を続けていきたいと考えています。
イラクの人々が、家族や友人とともに安全に暮らし、生活の中でちいさな「幸せ」をかみしめられる日々がいち早く訪れることを祈っています。
2009年11月19日 (木)
メッカへの祈り
イスラム教徒は1日に5回の礼拝「サラー」が義務付けられています。
時間に余裕のある人は毎回近くのモスクへと出向いて祈りますが、多くは自宅や勤務先に礼拝用マットを持参し、静かな場所で祈りを捧げます。世界中のどこにいても、祈る方向はサウジアラビアのメッカにある、カーバ神殿です。
ジェンのローカルスタッフも、祈りを呼びかける声がモスクから、そしてアラームがセットされた彼らの携帯から聞こえ始めると、手足と顔を清め始めます。
では移動の多い人びとは、いったいどのようにしてカーバ神殿の方向を知るのでしょうか?
その答えは、この礼拝用マット。マットに数字の書き込まれた円盤がついており、中心の磁針が国ごとに決められた数字(ヨルダンの場合は225)を指すようにマットを回転させればOKです。
同じ時間に世界中の信者が地球のある一点に向かって祈りを捧げるというそのスケールの大きさに、驚かされています。
2009年7月16日 (木)
ハッジ(巡礼)
JENのイラク人スタッフの一人が、イスラム教五行の一つであるハッジ(巡礼)を行うべく、サウジアラビアのメッカへ旅をしてきました。
この巡礼は人生の一大イベントともいえるもので、巡礼を終えているイスラム教徒は「ハッジ(男性)」「ハッジア(女性)」と呼ばれ尊敬されます。
現在のところ、イラク人巡礼者は空路でしかサウジアラビアに入国することができず、経済的にも大変な負担があるそうです。
旅の方法はそれぞれの懐に合ったものが多数用意されていて、富裕層にはファーストクラスでメッカ入りし、5つ星ホテルのスイートに泊まり、サウジアラビア巡礼用のVISAや国内交通など全て代理店が手配するというパッケージツアーもあります。
一方で、遠くパキスタンやアフガニスタンから、国際バスを乗り継ぎ、そのバス乗り場で荷物を広げ、露天のお店で物を売りつつ、お金を貯めてメッカにたどり着く人たちもいます。
しかし、どのような方法でたどり着こうとも、メッカのカーバ神殿で礼拝を行うときには、みんな同じエハラームという2枚の白布を身にまとい、決まった形のサンダルを身につけます。帽子や宝石を身につけることもできません。
すなわち、イスラム教徒が信仰する来世を決める最後の審判のときと同じように、「何を持っているか」ではなく「どれだけイスラム教について理解し、信仰規範に基づいた生活を送っているか」がその人の判断基準とされるようです。
(写真:メッカのカーバ神殿)
(写真:カーバ神殿を埋め尽くす巡礼者たち)
彼と奥さんにとっては、訪れた土地の宗教的な尊さ、そしてそこに集まるイスラム教徒の意識の高さなどに感銘を受け、大変意義深く楽しい旅になったようです。
しかし、子どもたちはというと、「ショッピングモールに行きたい」と呟いていたとか。
2009年4月23日 (木)
バグダッド事務所の新スタッフ
はじめまして。
私はバグダッド事務所のプログラム・オフィサーです。1956年生まれのイラク人で、1980年より教育分野の仕事をしています。
私の夢は、イラクに平和が訪れ、様々な分野の復興にイラクの皆で力を合わせて取り組めるようになることです。ご存知のとおり、私の国は1980年から2003年にわたり3つの戦争を経験をしました。1991年からは経済制裁が続き、2003年以降においても様々な問題に苦しんできました。戦争は、教育・健康・環境・経済など生活の全分野の発展を妨げます。日本の皆さんも、戦争がどんなに悪い影響を与えるかについて、よくご存じのことと思います。
この状況において、私は人々の相互理解を進めることが重要だと思っています。そのために、個々人が権利と責務を理解し、国の復興に向けて、故郷への愛情を持つこと。そして、憎しみや暴力、仕返しなどでなく、公共の利益、愛、平和、忍耐をもって何事も選択されることが大切だと思います。
このような平和教育には時間がかかります。そして、今こそ始めるべきだと思っています。それも、新しい考え方に対して寛容であり、家族や地域社会の未来を担う子どもたち(幼稚園や学校)から始めるべきだと思っています。
では、どうやって実現していけばいいのでしょうか。国の役割は何でしょうか。また、NGOはどのような貢献ができるでしょう。イラクは、他国の、特に日本の経験から学ぶことができると思います。
2008年8月21日 (木)
事務所長の一日
今回は、JENで働き始めてから5年目のバグダッド事務所長(イラク国籍)にインタビューをしてみたいと思います。
―お仕事で難しいと感じていることは何ですか?
1点目は、関係団体との調整作業です。
これまで修復した学校のなかには、国連機関との連携の下で事業を進めたものがあります。
そのような場合、各学校を管理している教育局だけでなく、これらの機関との同意・連携も必要になります。
関係団体にはそれぞれの思惑があり、それを貫き通したいがために他者の意見を受け入れようとしないこともあります。
特に、イラク人の場合、複数人が柔軟性を持ってお互いを理解するのはとても難しいです(!)
2点目は、スタッフの安全確保です。
バグダッド市内の治安状況は改善してきてはいますが、これを1番の優先事項としています。
そのため、よく現場をモニタリングするスタッフには、「映画のヒーローみたいな無理なことはするんじゃないぞ!」「知らない地域に赴く時は必ず前もって安全を確認すること。
何か通常と違うことがあれば、退避するように。ランボーではないんだから!」とアドバイスします。
2008年6月12日 (木)
新しい街で想うこと
アンマン事務所アドミニ・ファイナンス・オフィサー(AFO)として赴任しました、田中富美子(たなかふみこ)です。これまでイラクでのJENの活動を応援してくださっている皆様には、深く感謝いたしております。引き続きご支援くださいますよう、よろしくお願いいたします。
さて、こちらに来てから早くも2週間が経ちました。アンマンは、昼夜の寒暖の差が激しく、昼間は焼けつくような日差しにまいってしまいますが、夜には空気もひんやりして過ごしやすくなります。
初夏の過ごしやすい季節の中、仕事に、趣味のダンスにと忙しい毎日を過ごしています。赴任2日目にまいたバジル、青じそ、薬味ネギの芽が順に出てきました。これからの成長が楽しみです。ハーブと共に、私も日々成長していければと思います。
ヨルダンに来るのは、今回が3回目。学生時代に一人旅で訪れた場所なので、とても印象深い国です。ヨルダンでの発見、バグダッドから届く事業進捗やニュースなど、旬の話題を皆様にお伝えしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
2008年5月28日 (水)
さようなら、住み慣れた街
アンマン事務所アドミニ・ファイナンス・オフィサーの上杉奈美です。この度、2年間の勤務を経て、離任することになりました。
JENおよびイラクに関心を寄せ、支援速報をお読みいただいているみなさまに感謝を申し上げます。
支援速報には、JENのイラク事業とは直接に関係しないことを取り上げたこともありました。地理的、心理的に遠い印象のあるイラクやヨルダンを身近に感じていただくような話題を心がけましたが、いかがでしたでしょうか。
2年前のアンマン赴任~ それは、私自身がはじめて中東へ足を踏み入れた瞬間でした。アラブ文化やイスラム教への知識は乏しく、心もとなく思いながらの出発でした。しかし、現地スタッフや地元の友人との触れあいのなかで感じたのは、人種・信条・文化の相違点ではなく、多くの共通点でした。
私たちと同様に、家族や友人を大切にしながら懸命に生きている人びと。その人たちが困難に直面しているのなら駆けつけよう・・・。
みなさまとともに支援事業に携わり続けていきたいと考えながら、住み慣れたアンマンを去ります。
2007年7月26日 (木)
インド数字
アンマン事務所に赴任したファイナンスオフィサーが仕事を進めるため、まず覚えなければならないものは何でしょう。
答えは、写真の時計に使われている、アラビア語で「インド数字」と呼ばれる数字です。
算用数字(アラビア数字)も使われてはいるものの、アラブの人びとの日常生活ではインド数字の方がより馴染み深いもののようです。
レジスターから出てくる印刷されたレシートには算用数字が書かれているのですが、小さな商店などで領収書を発行してもらうとほとんどが手書きのインド数字です。
算用数字とほとんど同じ1や9、反対にまったく姿の異なる4や8は問題ないのですが、集中していないと、インド数字の5は算用数字の0に、6は7に見えてきてしまいます。
また、インド数字の0は小さな点でしかないので見過ごしてしまう恐れがありますし、2には別の書き方もあり、慣れるまではレシートの処理に苦労します。
2007年4月19日 (木)
ともに事業を支える現地スタッフ
ヨルダン人スタッフ、バドワンがJENアンマン事務所で勤務し始めてから3年が過ぎました。JENのスタッフとなる前は高級ホテルでコンシェルジュをしていたことから、気配りと人づきあいに長けており、常に力になってくれます。また、情にもろく、過去にアンマン事務所でともに働いていた国際スタッフの思い出話をすると涙目になったりする一面もあります。
料理が趣味の妻と6人の子どもに恵まれ、プライベートも充実していますが、いつか故郷のパレスチナの地に戻りたいという願いを叶えるには道のりが遠く、パレスチナの話をする時は表情が寂しそうです。
JENの一員として、弱い立場に置かれた人びとを支援する事業の一端を担っていることを嬉しく思うと語るバドワン。小さな所帯のアンマン事務所ですが、彼ら現地スタッフとの協力のもと、イラクの教育環境向上に貢献できるよう努めていきたいと考えています。
4月 19, 2007 事務所、スタッフ | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年10月 5日 (木)
バグダッドからのE-mail
バグダッド事務所の現地スタッフから、E-mailが届きました。
『私の近所のある女性は数日間の間に愛する夫と兄を相次いで亡くしました。
人びとは次々に起こる爆破や誘拐などにより疲れ果てていますが、さらにテロリストたちは市民の日常生活を壊すことも目論んでいます。まずは医師、教師、エンジニア等専門職に就く人々が脅迫を受けましたが、医師の多くはすでに海外に逃亡、大きな手術が必要な場合はヨルダンまで高い費用を払って行くしかありません。
閉店するよう脅された商店街では、店のほとんどがシャッターを下ろしているか開店時間を短縮しています。人びとは他の商店街で買い物をすることはできますが、食卓に欠かせないパンを売る店はどこでも標的となっているのです。最近では、道路掃除やごみ収集に携わる人たちまで狙われて、治安の悪い地域には彼らが危険を恐れて足を踏み入れないためごみが散乱したままです』
イラクは、現在もこのように厳しい状況ですが、人々は生活し、そして子どもたちは勉強をするために通学をしています。JENはこれからも、イラクの未来を担う子どもたちのために学校建設事業を中心に支援活動を続けていきます。
2006年9月14日 (木)
現地スタッフに支えられて
5月にヨルダン・アンマン事務所に赴任した上杉奈美からヨルダン便りが届きました。
「自分とは異なる背景をもつ人々との出会いは喜びではありますが、アンマン事務所への赴任前、初めて深く関わることとなるイスラム世界での勤務に全く不安がなかったとはいえません。その不安を取り除いてくれたのは、イラクそしてヨルダンでともに働く現地スタッフの心遣いです。
その1人、バグダッド事務所のプログラム・アシスタントは、多くの男性がつい振り返ってしまうであろう、美しくて魅力的な女性です。イラクでは外国の組織で働い
ているという理由により標的となってしまうので写真を掲載できないことを残念に思います。
休日に仕事のための外出を申し訳なく思いながらも頼んだことがあるのですが『お休みの日で空いた街に出かけるのは気もちが良いのではないかしら』と彼女は答えてくれました。イラクというと戦争、テロ・・・別世界のように考えられるかもしれませんが、どこの世界にも共通する-仕事への情熱、同僚に対する温かい思いやり-があるのです。」
2005年10月13日 (木)
アンマン駐在スタッフ交代
村崎由紀子の後任として9月にアンマンに赴任した川勝健司です。念願のフィールド勤務を嬉しく思うと同時に、イラク事業に携わることへの責任の重大さに身の引き締まる思いで仕事をしています。
現在、イラクでは、10月15日の新憲法をめぐる国民投票を目前に控え、多くの地域で爆破事件等が頻発しています。また、10月1日より1週間にわたって米軍によって実施された、イラク西部における武装勢力掃討作戦の結果、数千人規模のイラク国民が避難を余儀なくされています。
このような中、バグダッド事務所のイラク人スタッフは懸命に事業を実施しています。ユニセフとの協力のもと、8月より開始しているバグダッド市内の小学校3校の修復事業では、約8割程度の修復作業が完了しています。また、10月中旬からは教師を対象とする衛生教育ワークショップの実施等の「ソフト面」に焦点を当てた事業の準備を開始します。
子どもたちがより安全で衛生的な環境の中で勉強できるよう、イラク人スタッフは今日もバグダッド市内を駆け回っています。そして、私はバグダッドにいる同僚をアンマンから全力でサポートするとともに、イラク事業について皆様にもっと知っていただけるよう、様々な形でお伝えしていきます。今後ともよろしくお願いいたします。