細川頼久
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文明4年(1472年)? |
別名 |
官途名:兵部大輔 受領名:阿波守 |
戒名 | 流源院 |
幕府 | 室町幕府 和泉半国守護 |
主君 | 足利義勝→足利義政 |
氏族 | 細川和泉下守護家 |
父母 | 父:細川基之 |
兄弟 | 頼久、教久 |
子 | 持久 |
細川 頼久(ほそかわ よりひさ)は、室町時代中期の守護大名。和泉半国守護。官途名は兵部大輔、受領名は阿波守。細川和泉下守護家2代当主。
略歴
[編集]細川基之(細川満之の子)の子として誕生。『尊卑分脈』によれば、弟に教久(九郎、民部少輔)がいる。
父・基之没後の文安5年(1448年)10月から応仁3年(1469年)頃まで和泉半国守護を務めた。頼久は応仁3年には在国しており、子・持久が在京したという。文明4年(1472年)に没したと推測されている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岡田謙一「統源院殿春薹常繁小考-和泉下守護細川氏の法名を手がかりに-」『ヒストリア』167(1999年)