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細川頼久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川頼久
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 文明4年(1472年)?
別名 官途名:兵部大輔
受領名:阿波守
戒名 流源院
幕府 室町幕府 和泉半国守護
主君 足利義勝足利義政
氏族 細川和泉下守護家
父母 父:細川基之
兄弟 頼久、教久
持久
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細川 頼久(ほそかわ よりひさ)は、室町時代中期の守護大名和泉半国守護。官途名は兵部大輔、受領名は阿波守細川和泉下守護家2代当主。

略歴

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細川基之細川満之の子)の子として誕生。『尊卑分脈』によれば、弟に教久(九郎、民部少輔)がいる。

父・基之没後の文安5年(1448年)10月から応仁3年(1469年)頃まで和泉半国守護を務めた。頼久は応仁3年には在国しており、子・持久が在京したという。文明4年(1472年)に没したと推測されている。

脚注

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参考文献

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  • 岡田謙一「統源院殿春薹常繁小考-和泉下守護細川氏の法名を手がかりに-」『ヒストリア』167(1999年)