篠原有司男
しのはら うしお 篠原 有司男 | |
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生誕 |
しのはら うしお 篠原 牛男 1932年1月17日(92歳) 日本・東京府東京市麹町区 |
出身校 |
東京芸術大学美術学部油絵科 中退 麻布中学校 卒業 |
運動・動向 | ネオ・ダダ |
配偶者 | 篠原乃り子 |
活動期間 | 1958年 - |
篠原 有司男(しのはら うしお、1932年1月17日 - )は、日本の現代美術家。本名は篠原 牛男(読みは同じ)。愛称「ギューチャン」。2021年時点米国在住[1]。
来歴
[編集]東京麹町生まれ。両親は福岡県出身で[2]、父親は詩人、母親は日本画家だった。
千代田区立番町小学校を経て、日本大学第二工業学校に入学。疎開先から東京に戻ると、麻布中学校に入学。在学中は画家の荻太郎に師事する[3]。
1952年、東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事。1957年、同校を中退。1958年、村松画廊で初個展を開催[4]。1960年、「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を新宿ホワイトハウスにて結成。短い活動期間に多くの伝説を残す。日本で初めて頭を「モヒカン刈り」にして、週刊誌のグラビアで紹介された。
その後も「イミテーション・アート」や「花魁シリーズ」(1965年)などの「悪趣味」で「スキャンダラス」な作品を次々と発表。ボクシンググローブに絵の具をつけてキャンバスを殴りつけながら絵を描く「ボクシング・ペインティング」は有司男の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつもりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。
1969年、ロックフェラー三世基金の奨学金を得て、妻と子供と共に渡米[5]。以後ニューヨーク在住。1972年、段ボールを使ったオートバイの彫刻「モーターサイクル・ブルックリン」などを作り始める[4]。1973年3月、現夫人で、現代美術家である乃り子(旧姓・島)と出会う[6]。ただ、当時の米国ではマイノリティの芸術家はモダンアートの市場からは締め出される構造があり、制作の拠点をニューヨークに置きつつ、発表は日本で行っていた[7]。米国で本格的な再評価がなされるのは90年代以降である。
2008年、ドキュメンタリーDVD『モヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠』(監督・青木兼治)が作られる[8]。
2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で、初の回顧展が開催された[9]。
2013年1月、篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)がサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞[10]。12月21日、同ドキュメンタリーが日本で公開される。29都道府県で順次公開予定[11][12]。
2019年12月、文化庁長官表彰[13]。
親族
[編集]前妻との間に2子がいる[14]。前妻と別居中に当時19歳(21歳年下)の篠原乃り子(en:Noriko Shinohara)と知り合い、同棲、出産を経て、前妻との離婚が成立した1979年に再婚した[14]。
乃り子(旧姓・島)は1953年に富山県高岡市でパチンコ店経営者の末娘として生まれ、富山県立高岡高等学校卒業後、浪人を経て1972年9月に渡米、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークなどで絵を学ぶ中、1973年3月に宮本美智子姉妹を通して有司男と知り合い、1974年に長男アレクサンダー・空海を出産[14]。1981年にグループ展「Whitney Counterweight(en:Whitney Biennialに入れなかった画家のための展覧会)」に参加したのを皮切りに多数のグループ展に出品、1986年にディスコのCat Clubで初個展「ゴジラ・イミグレイツ・トゥー・アメリカ」、1991年には有司男と二人展 (Jain Marunouchi Gallery) を開いた[14]。
主な展覧会
[編集]- 「篠原有司男個展」(Japan Society Gallery, ニューヨーク、1982年)
- 「アクション〜行為がアートになる時1949-1979」(ロサンゼルス現代美術館・東京都現代美術館ほか、1998年-1999年)[15]
- 「篠原有司男 ボクシングペインティングとオートバイ彫刻展」(神奈川県立近代美術館、2005年)[16]
- 「ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠」(豊田市美術館、2007年)[17]
- 「篠原有司男・篠原乃り子二人展 Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo 愛の雄叫び東京篇」(パルコミュージアム、2013年12月13日 - 2014年1月13日)[18]
- 「有司男+乃り子:篠原展」 (東京画廊+BTAP、2014年2月22日-3月29日)[19]
- 「キューティー&ボクサー 篠原有司男・乃り子2人展」(阪急うめだギャラリー、2014年5月14日-5月19日)[20]
著書
[編集]- 『前衛の道』(美術出版社、2006年、ISBN 978-4568221282)(1968年初版の復刻)
- 『ニューヨークの次郎長』(講談社、1985年、ISBN 978-4062019910)
- 『篠原有司男対談集 早く、美しく、そしてリズミカルであれ』(美術出版社、2006年 ISBN 978-4568221275)
- 『篠原有司男ドローイング集 毒ガエルの復讐』(ギュウチャンエクスプロージョン!プロジェクト実行委員会、2006年 ISBN 978-4568221299)
- 『ギュウとチュウ—篠原有司男と榎忠』(榎忠との共著)(赤々舎、2007年、ISBN 978-4903545202)
CM出演
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “キャンバスに〝一撃〟 前衛芸術「ボクシング・ペインティング」”. 産経ニュース (2021年12月4日). 2021年12月4日閲覧。
- ^ “「今日のミルク代がない、それでもやめられなかった」。生存を賭けた、アーティスト夫婦の人生”. HEAPS (2015年1月14日). 2022年10月25日閲覧。
- ^ 篠原有司男オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2008年9月17日日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
- ^ a b 『日本美術家事典 2003年度版』(構成執筆・藤森耕英、日本美術家事典社、2003年3月発行)
- ^ 篠原有司男オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2009年2月20日日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
- ^ 篠原乃り子オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2010年3月23日日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
- ^ 池上裕子「戦後美術を作った人々 (4) 篠原有司男と妻、乃り子」日本経済新聞(2016年3月23日)2016年12月26日閲覧
- ^ モヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠 ウーファー・アート・ドキュメンタリー
- ^ “世界的アーティスト篠原有司男・乃り子夫妻がネット生配信番組に登場”. マイナビニュース. (2013年12月11日) 2013年12月23日閲覧。
- ^ キューティー&ボクサー公式サイト
- ^ “渋谷・シネマライズで現代美術家・篠原有司男さん夫婦の実録映画”. シブヤ経済新聞. (2013年12月19日) 2013年12月20日閲覧。
- ^ “アーティスト夫婦の格闘、映画に 篠原有司男・乃り子”. 朝日新聞. (2013年12月26日) 2013年12月26日閲覧。
- ^ 令和元年度文化庁長官表彰名簿
- ^ a b c d 篠原乃り子インタヴュー日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 2010年3月23日
- ^ “アクション 行為がアートになるとき 1949-1979 | 展覧会”. 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO. 2020年5月1日閲覧。
- ^ “神奈川県立近代美術館:開催中の展覧会>篠原有司男 ボクシング・ペインティングとオートバイ彫刻”. www.moma.pref.kanagawa.jp. 2020年5月1日閲覧。
- ^ Office, Internet Museum. “[id=44856 「篠原有司男と榎忠展」 | 豊田市美術館]”. インターネットミュージアム. 2020年5月1日閲覧。
- ^ 篠原有司男・篠原乃り子二人展 Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo 愛の雄叫び東京篇パルコアート
- ^ 有司男+乃り子:篠原展 | Exhibitions inTokyo | 東京画廊+BTAP TOKYO GALLERY + BEIJING TOKYO ART PROJECTS
- ^ ニューヨークフェア2014 キューティー&ボクサー 篠原有司男・乃り子2人展 ボクシング・ペインティング開催のお知らせ! | 阪急うめだ本店・スタッフブログ
- ^ “篠原有司男のCM出演情報”. ORICON NEWS. 2020年5月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- pocari『ボクシング篇』 福山雅治 - YouTube
- DVD『Gモヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男 と 榎忠』予告 - YouTube
- 映画『キューティー&ボクサー』予告 - YouTube