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浦河沖地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦河沖地震
浦河町福祉センターの天井の落下
浦河沖地震の位置(北海道内)
浦河沖地震
浦河沖地震の位置(日本内)
浦河沖地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1982年(昭和57年)3月21日
発生時刻 午前11時32分05.7秒(JST
震央 日本の旗 日本 北海道 浦河沖 (浦河町南西沖)
座標 北緯42度04.0分 東経142度36.0分 / 北緯42.0667度 東経142.6000度 / 42.0667; 142.6000座標: 北緯42度04.0分 東経142度36.0分 / 北緯42.0667度 東経142.6000度 / 42.0667; 142.6000
震源の深さ 40 km
規模    M7.1
最大震度    震度6:浦河町
津波 80cm:浦河町 浦河港
地震の種類 大陸プレート内地震逆断層型)
余震
最大余震 同日 19時22分
M5.6 最大震度4:浦河町
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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浦河沖地震(うらかわおきじしん)は、1982年(昭和57年)3月21日11時32分06秒に北海道日高支庁浦河郡浦河町南西沖20km(北緯42度4分、東経142度36分、深さ40km)を震源として発生した地震。地震の規模はM7.1(Mw6.9)。

概要

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震源に最も近い浦河町では、震度6(烈震)を記録した。札幌市帯広市小樽市岩見沢市苫小牧市倶知安町広尾町・青森県むつ市で震度4を観測するなど、北海道全域と東北地方北部を中心に強い揺れを感じた。「震度6」を北海道で観測したのは1952年以来のことあった。北海道・東北地方のほぼ全域と、関東から中部地方の一部まで揺れを感じた。また、震源域から100kmも離れた札幌市でも、局所的に震度5に相当する揺れを感じた。

震源断層のパラメータは以下の通り[1][2]

  1. 走向:N 30°W
  2. 傾斜角:50°SW
  3. 長さ:20km
  4. 幅:30km
  5. 断層面上端:深さ22km
  6. 断層型:若干の右横ずれ成分を含む逆断層
  7. スリップ角:110°
  8. スリップ量:平均86cm
  9. Mo=2.4×1019N·m
  10. Mw=6.85
  11. 剛性率:4.6×1010N·m2
  12. 破壊伝播速度:2.8km/s

被害

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被害は浦河町とその周辺に集中した。浦河町ではブロック塀自動販売機が倒れ、電柱や煙突も傾いた。窓ガラスもほとんどが割れ、地面に散乱した。地震観測の最前線となった浦河測候所では3台ある地震計のうち2台が落下し破損。そのうちの1台は、地震を感知するセンサーのバネが折れた。大通りの商店街は軒並み損壊し、モルタルの壁が剥がれた店もあった。

浦河町に隣接する静内町三石町(現・新ひだか町)でも被害が発生した。静内町では静内川にかかる橋が倒壊し、隆起沈降の影響で通行不能となった。

総被害は負傷者167名、全壊13棟、半壊28棟、一部損壊675棟、その他22棟、船舶転覆等6隻であった。浦河港および室蘭港の港湾施設への被害総額は約3.5億円[3]

津波

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津波は浦河港で80cm、青森県八戸で28cmが観測されたが、大きな被害はなかった。

余震

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最大の余震は、本震から約8時間後の19時22分34秒に発生したM5.8であった。浦河町で震度4を記録したが、大きな被害はなかった。

出典

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  • 昭和57年(1982年)浦河沖地震(気象庁) (PDF) 地震予知連絡会会報 第28巻
  • 災害史は語るNo.144 1982年浦河沖地震 防災情報新聞社
  • 羽鳥徳太郎、「羽鳥徳太郎:1982年浦河沖地震による津波」 『東京大学地震研究所彙報』 第57冊第3号, 1983.1.17, pp.525-535, hdl:2261/12856
  • 伯野元彦, 大谷圭一、「1982年浦河沖地震による被害」 『東京大学地震研究所彙報』 第57冊第3号, 1983.1.17, pp.581-608, hdl:2261/12859

脚注

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  1. ^ 新井健司(1984)、「1982年3月21日浦河沖地震に伴う地殻変動」 『地理学評論Ser. A』 1984年 57巻 12号 p.821-830, doi:10.4157/grj1984a.57.12_821
  2. ^ 武尾ほか(1983)
  3. ^ 1982年浦河沖地震港湾被害報告 港湾空港技術研究所 資料 0472 1983年12月

関連項目

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外部リンク

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