博陵郡
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博陵郡(はくりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢から唐代にかけて、現在の河北省衡水市一帯に設置された。
概要
[編集]158年(延熹元年)、後漢により中山郡が分割されて博陵郡が立てられた[1]。博陵郡は冀州に属し、郡治は博陵県に置かれた。213年(建安18年)、劉珪が博陵王に封じられ、博陵郡は博陵国と改称された[2]。
三国時代になると、再び博陵郡とされた。
晋のとき、博陵郡は安平・饒陽・南深沢・安国の4県を管轄した[3]。
397年(皇始2年)、北魏により定州が立てられると、博陵郡は定州に属した。博陵郡は饒陽・安平・深沢・安国の4県を管轄した[4]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、博陵郡は廃止され、定州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、定州が博陵郡と改称された。博陵郡は鮮虞・北平・唐・恒陽・新楽・隋昌・毋極・義豊・深沢・安平の10県を管轄した[5]。613年(大業9年)、博陵郡が高陽郡と改められた[6]。
621年(武徳4年)、唐が竇建徳を平定すると、高陽郡は定州と改められた。742年(天宝元年)、定州は博陵郡と改称された。758年(乾元元年)、博陵郡は定州と改称され、博陵郡の呼称は姿を消した[7]。