陸奥ノ里敏男

出羽海部屋に所属した元力士

陸奥ノ里 敏男(むつのさと としお、1916年9月25日 - 没年不明[1])は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は山口 敏男。173cm、92kg。最高位は西前頭6枚目。

陸奥ノ里 敏男
基礎情報
四股名 陸奥ノ里 敏男
本名 山口 敏男
生年月日 (1916-09-25) 1916年9月25日
出身 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町
身長 173cm
体重 92kg
所属部屋 出羽海部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭6枚目
生涯戦歴 116勝98敗26休(16場所)
幕内戦歴 72勝70敗26休(13場所)
データ
初土俵 1938年5月場所
入幕 1941年1月場所
引退 1948年10月場所
備考

経歴

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天竜一派の関西協会に入門、解散後1938年5月幕下付出で初土俵、1939年5月十両昇進。1941年に新入幕。1944年に応召。復帰後の1948年10月廃業。 1942年1月場所11日目には新大関の照国を巻き落としで破る殊勲の星をあげている。

主な成績

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  • 通算成績:116勝98敗26休 勝率.542
  • 幕内成績:72勝70敗26休 勝率.507
  • 通算在位:19場所
  • 幕内在位:13場所

場所別成績

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陸奥ノ里敏男
春場所 夏場所 秋場所
1938年
(昭和13年)
x 幕下付出
4–3 
x
1939年
(昭和14年)
西幕下19枚目
6–1 
西十両15枚目
9–6 
x
1940年
(昭和15年)
東十両2枚目
8–7 
東十両2枚目
9–6 
x
1941年
(昭和16年)
東前頭17枚目
8–7 
東前頭17枚目
8–7 
x
1942年
(昭和17年)
西前頭13枚目
5–10 
西前頭16枚目
10–5 
x
1943年
(昭和18年)
東前頭12枚目
9–6 
西前頭6枚目
休場
0–0–15
x
1944年
(昭和19年)
東前頭17枚目
6–9 
西前頭19枚目
6–4 
x
1945年
(昭和20年)
x x 東前頭15枚目
3–7
帰還
 
1946年
(昭和21年)
x x 西十両筆頭
8–5 
1947年
(昭和22年)
x 西前頭17枚目
5–5 
西前頭10枚目
6–5 
1948年
(昭和23年)
x 東前頭9枚目
6–5 
西前頭6枚目
引退
0–0–11
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 1 1 青葉山 2 0 旭川 0 1 有明 2 0
岩平 0 1 大岩山 1 0 大熊 1 1 大ノ海 1 1
大ノ森 2 0 小戸ヶ岩 1 2 大蛇潟 0 1 鏡里 3 0
柏戸 0 6 桂川 0 2 金湊 1 0 神風 1 1
清美川 3 0 九ヶ錦 1 4 九州錦 0 1 高津山 0 2
小嶋川 1 0 琴錦 0 1 小松山 2 1 佐賀ノ花 0 1
佐渡ヶ嶋 1 0 清水川 0 2 鯱ノ里 1 2 斜里錦 1 0
立田野 1 0 楯甲 2 0 玉ノ海 2 1 鶴ヶ嶺 2 1
照國 1 0 輝昇 1 1 十勝岩 1 2 冨ノ山 1 0
名寄岩 0 1 羽黒山 0 1 盤石 0 2 備州山 2 0
常陸海 1 1 広瀬川 2 0 双子岩 0 1 二瀬川(二タ瀬川) 3 2
双葉山 0 1 双見山 1 2 不動岩 0 1 前田山 0 1
前ノ山(醍醐山) 0 1 松浦潟 2 2 緑國 3 1 緑嶋 1 3
吉葉山 0 1 力道山 0 1 若潮 7 2 若瀬川 1 1
若港 3 3

改名歴

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  • 陸奥ノ里 敏男(むつのさと としお)1938年5月場所 - 1948年10月場所

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 99頁