1946年の相撲
1946年の相撲(1946ねんのすもう)は、1946年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
編集アマチュア
編集大相撲
編集- 3月、年寄二所ノ関(元関脇・玉ノ海梅吉)が戦犯容疑で連合軍に呼ばれるが、4月に無罪釈放。元横綱・男女ノ川が衆議院議員選挙に立候補し、落選。
- 4月、京都準場所、晴天10日間。横綱羽黒山優勝。
- 5月、8代三保ヶ関の急死により三保ヶ関部屋が閉鎖。(1950年再興)
- 6月、国技館の修理工事遅延のため、本場所は戦後初の開催中止。
- 同月、大阪準場所、晴天11日間、前頭2枚目琴錦優勝。
- 9月、両国国技館は進駐軍により「メモリアル・ホール」と改称。
- 11月、メモリアル・ホールで秋場所開催。力道山が新入幕。相撲協会は大蔵省、勧銀と協力し、相撲くじを発売(この場所限り)。場所の11日目に皇太子(現・明仁上皇)が観戦。場所後のメモリアル・ホール土俵で、露払い・照國、太刀持ち羽黒山を従え、双葉山の引退時津風襲名披露大相撲。場所後の番付編成会議で汐ノ海の大関昇進決定。横綱・安藝ノ海引退、年寄不知火襲名。
本場所
編集誕生
編集- 1月2日 - 乾龍初太郎(最高位:十両5枚目、所属:二所ノ関部屋→押尾川部屋)
- 1月12日 - 大鷲平(最高位:前頭3枚目、所属:若松部屋)[2]
- 1月21日 - 大竜川一男(最高位:前頭筆頭、所属:三保ヶ関部屋)[3]
- 2月23日 - 坤龍文一郎(最高位:十両12枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 5月4日 - 玄武満(最高位:十両7枚目、所属:立浪部屋)
- 5月7日 - 栃葉山暁輝(最高位:十両9枚目、所属:春日野部屋、+ 1992年【平成4年】)
- 6月8日 - 栃富士勝健(最高位:前頭3枚目、所属:春日野部屋、+ 2003年【平成15年】)[3]
- 6月30日 - 羽黒岩智一(最高位:小結、所属:立浪部屋、+ 2016年【平成28年】)[4]
- 7月2日 - 和錦克年(最高位:前頭13枚目、所属:春日野部屋、+ 2008年【平成20年】)[5]
- 8月7日 - 常の山日出男(最高位:十両12枚目、所属:出羽海部屋)
- 9月26日 - 藤ノ川武雄(最高位:関脇、所属:伊勢ノ海部屋)[6]
- 10月29日 - 35代木村庄之助(元・立行司、所属:立浪部屋)[7]
- 11月7日 - 若葉山強(最高位:十両5枚目、所属:時津風部屋)
- 11月14日 - 丸山孝彦(最高位:前頭13枚目、所属:時津風部屋)[8]
死去
編集- 1月24日 - 常陸嶌朝次郎(最高位:前頭5枚目、所属:出羽海部屋、* 1897年【明治30年】)[9]
- 4月20日 - 小柳芦太郎(最高位:前頭2枚目、所属:高砂部屋、* 1878年【明治11年】)[10]
- 4月28日 - 紫雲竜吉之助(最高位:前頭筆頭、所属:高砂部屋→阿武松部屋、年寄:阿武松、* 1882年【明治15年】)[11]
- 5月 - 8代三保ヶ関(元十両滝ノ海、生年不詳)
- 8月13日 - 柏戸宗五郎(最高位:小結、所属:伊勢ノ海部屋、年寄:伊勢ノ海、* 1881年【明治14年】)[12]
- 8月25日 - 朝明重男(最高位:十両3枚目(現役没)、所属:高砂部屋、* 1914年【大正3年】)
- 9月15日 - 小嶌川庄吉(最高位:前頭5枚目、所属:立浪部屋、年寄:八角 * 1914年【大正3年】)[13]
出典
編集- ^ 第1回大会JSPO
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 184頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 174頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 171頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 192頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 170頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 363頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 187頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 50頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 10頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 14頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 20頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 90頁
参考文献
編集- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p37