緑嶋英三
緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - 没年不明[1])は、北海道石狩郡石狩町(現在の北海道石狩市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は今井 英三(いまい えいぞう)。現役時代の体格は176cm、88kg。自己最高位は東前頭4枚目(1947年11月場所)。得意手は左四つ、押し[2]。
来歴・人物
編集16歳の時に上京して角界入りし、1940年1月場所にて初土俵を踏んだ[2]。
当初の四股名は、故郷の北海道石狩郡に因んだ「石狩岩」(その後、当時の立浪部屋の師匠である元小結・緑嶋友之助の現役名をそのまま貰って、「緑嶋」と改名している)[2]。
以来、順調に出世し、負け越しなしで1944年1月場所で十両に昇進。
その後、1945年6月場所で入幕を果たし、以降は主に幕内中位で活躍した。細身ながら筋肉質でバネがあり足腰が柔らかく、押し、左四つからの投げ、切り返しなどを見せる技能派力士だった[2]。
主な戦績
編集- 通算成績:103勝74敗15休 勝率.582
- 幕内成績:43勝43敗15休 勝率.500
- 現役在位:20場所
- 幕内在位:9場所
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | 東序ノ口22枚目 5–3 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
西序二段61枚目 5–3 |
西三段目65枚目 7–1 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
東三段目13枚目 7–1 | 西幕下22枚目 6–2 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
東幕下7枚目 5–3 |
西幕下筆頭 5–3 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
西十両11枚目 6–9 |
東十両13枚目 7–3 |
東十両4枚目 7–3 |
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1945年 (昭和20年) |
x | 西前頭15枚目 5–2 |
西前頭13枚目 7–3 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 西前頭4枚目 3–10 |
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1947年 (昭和22年) |
x | 東前頭9枚目 8–2 |
東前頭4枚目 4–7 |
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1948年 (昭和23年) |
x | 西前頭9枚目 5–6 |
東前頭12枚目 6–5 |
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1949年 (昭和24年) |
西前頭10枚目 5–8 |
西前頭12枚目 引退 0–0–15 |
x | |||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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明瀬川 | 1 | 1 | 東冨士 | 0 | 1 | 五ツ海 | 1 | 3 | 因州山 | 1 | 0 | |||
大熊 | 0 | 3 | 大起(穂波山) | 3 | 1 | 大ノ海 | 1 | 1 | 大ノ森 | 2 | 1 | |||
大蛇潟 | 1 | 0 | 鹿嶋洋 | 0 | 1 | 柏戸 | 3 | 0 | 清美川 | 1 | 1 | |||
九ヶ錦 | 1 | 0 | 国登 | 1 | 0 | 琴錦 | 0 | 1 | 相模川 | 3 | 0 | |||
櫻錦 | 0 | 4 | 汐ノ海 | 0 | 1 | 信州山 | 0 | 1 | 神東山 | 2 | 0 | |||
駿河海 | 2 | 0 | 千代ノ山 | 0 | 2 | 照國 | 0 | 1 | 出羽錦 | 0 | 1 | |||
十勝岩 | 0 | 2 | 栃錦 | 2 | 1 | 羽嶋山(岐阜錦) | 1 | 1 | 肥州山 | 1 | 0 | |||
備州山 | 2 | 1 | 広瀬川 | 4 | 2 | 藤田山 | 2 | 1 | 二瀬山 | 0 | 2 | |||
前田山 | 0 | 1 | 前ノ山(醍醐山) | 1 | 0 | 増位山 | 0 | 1 | 陸奥ノ里 | 3 | 1 | |||
八方山 | 2 | 2 | 若潮 | 1 | 2 | 若瀬川 | 1 | 1 | 若湊 | 0 | 1 |
改名歴
編集- 石狩岩 英三(いしかりいわ えいぞう、1940年5月場所-1943年5月場所)
- 緑嶋 英三(みどりしま - 、1944年1月場所-1949年5月場所)