1941年の相撲
できごと
編集本場所
編集誕生
編集- 1月9日 - 龍虎勢朋(最高位:小結、所属:花籠部屋、+ 2014年【平成26年】)[2]
- 2月10日 - 34代式守伊之助(元・立行司、所属:花籠部屋→放駒部屋→二子山部屋→貴乃花部屋、+ 2022年【令和4年】)[3][4]
- 2月13日 - 31代木村庄之助(元・立行司、所属:出羽海部屋)[3]
- 2月15日 - 三山貞次(最高位:十両5枚目、所属:立浪部屋)
- 3月1日 - 若浪順(最高位:小結、所属:立浪部屋、+ 2007年【平成19年】)[5]
- 3月3日 - 木村一童(元・三役格行司、所属:春日野部屋→北の湖部屋)[6]
- 5月5日 - 若乃洲敏弥(最高位:前頭5枚目、所属:花籠部屋、+ 1984年【昭和59年】)[7]
- 6月18日 - 沢光幸夫(最高位:小結、所属:時津風部屋)[8]
- 6月20日 - 朝岡勲(最高位:前頭10枚目、所属:高砂部屋、+ 2006年【平成18年】)[9]
- 6月23日 - 朝風新一郎(最高位:十両2枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)
- 8月1日 - 玉嵐孝平(最高位:前頭4枚目、所属:二所ノ関部屋→片男波部屋、+ 1993年【平成5年】)[10]
- 8月1日 - 昭光徳昭(最高位:十両3枚目、所属:出羽海部屋)
- 8月13日 - 牧本英輔(最高位:前頭12枚目、所属:時津風部屋)[11]
- 8月13日 - 青ノ海勇三(最高位:十両6枚目、所属:高嶋部屋→友綱部屋、+ 1994年【平成6年】)
- 9月4日 - 江戸響博昭(最高位:十両筆頭、所属:立浪部屋)
- 9月24日 - 花筏健(最高位:十両17枚目、所属:立浪部屋)
- 10月26日 - 照の花謙二(最高位:十両6枚目、所属:荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋)
- 11月16日 - 魁罡功(最高位:前頭5枚目、所属:花籠部屋→二子山部屋)[12]
- 11月18日 - 天地山人(最高位:十両12枚目、所属:立浪部屋)
- 11月20日 - 清國勝雄(最高位:大関、所属:荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋)[8]
- 12月3日 - 上潮智也(最高位:十両2枚目、所属:高砂部屋)
死去
編集- 4月3日 - 太刀山峯右エ門(第22代横綱、所属:友綱部屋、* 1877年【明治10年】)[13]
- 4月20日 - 鏡川正光(最高位:前頭2枚目、所属:友綱部屋、* 1879年【明治12年】)[14]
- 5月13日 - 大錦卯一郎(第26代横綱、所属:出羽海部屋、* 1891年【明治24年】)[15]
- 9月13日 - 玉手山七郎(最高位:関脇、所属:大嶽部屋→雷部屋、* 1887年【明治20年】)[16]
- 11月12日 - 若湊義正(最高位:小結、所属:高砂部屋、* 1888年【明治21年】)[17]
- 11月24日 - 光風貞太郎(最高位:小結、所属:待乳山部屋→出羽海部屋、* 1894年【明治27年】)[18]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 314頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 173頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 362頁
- ^ 「34代式守伊之助の棚田好男氏が死去 80歳」『日刊スポーツ』2022年1月13日。2022年1月13日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 162頁
- ^ 北の湖部屋 - goo大相撲 - ウェイバックマシン(2006年1月12日アーカイブ分)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 167頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 164頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 169頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 159頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 184頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 175頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 8頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 15頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 35頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 25頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 31頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 50頁