1942年の相撲
できごと
編集本場所
編集誕生
編集- 2月20日 - 若二瀬唯之(最高位:小結、所属:大鳴戸部屋→朝日山部屋、+ 1997年【平成9年】)[2]
- 3月28日 - 北の富士勝昭(第52代横綱、所属:出羽海部屋→九重部屋、+ 2024年【令和6年】)[3][4]
- 3月29日 - 33代木村庄之助(元・立行司、所属:高砂部屋)[5]
- 4月11日 - 安芸の國一典(最高位:十両9枚目、所属:時津風部屋)
- 5月4日 - 淺瀬川健次(最高位:前頭筆頭、所属:荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 2017年【平成29年】)[6]
- 6月7日 - 逆鉾與治郎(最高位:前頭6枚目、所属:井筒部屋、+ 2000年【平成12年】)[7]
- 6月20日 - 大麒麟將能(最高位:大関、所属:二所ノ関部屋、+ 2010年【平成22年】)[8]
- 7月19日 - 高鐵山孝之進(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、+ 1996年【平成8年】)[8]
- 8月9日 - 和晃敏郎(最高位:前頭筆頭、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 2018年【平成30年】)[9]
- 8月17日 - 9代式守勘太夫(元・三役格行司、所属:伊勢ヶ濱部屋→桐山部屋、+ 2023年【令和5年】)[10]
- 10月20日 - 隆昌山勝茂(最高位:十両7枚目、所属:小野川部屋→出羽海部屋)
- 10月26日 - 八竜鉄右エ門(最高位:十両15枚目、所属:錦島部屋→時津風部屋)
- 12月10日 - 柏梁勝雄(最高位:十両3枚目、所属:伊勢ノ海部屋、+ 2019年【平成31年】)[11]
死去
編集- 4月28日 - 橋詰正次(最高位:三段目)※現役力士唯一の戦死
- 5月5日 - 豊國福馬(最高位:大関、所属:井筒部屋、* 1893年【明治26年】)[12]
- 5月22日 - 神嵜重太郎(最高位:前頭13枚目、所属:高砂部屋、* 1882年【明治15年】)[13]
- 6月2日 - 磐城徳枩(最高位:十両2枚目、所属:二十山部屋、* 1912年【明治45年】)
- 6月27日 - 氷見ヶ濱弥太郎(最高位:前頭13枚目、所属:稲川部屋、* 1882年【明治15年】)[14]
- 7月12日 - 大鳴門灘右エ門(最高位:関脇、所属:八角部屋、年寄:八角、* 1887年【明治20年】)[15]
- 9月21日 - 阿蘇ヶ嶽寅吉(最高位:小結、所属:八角部屋、* 1890年【明治23年】)[16]
- 11月23日 - 源武山源右エ門(最高位:十両2枚目、所属:伊勢ノ海部屋→朝日山部屋、* 1887年【明治20年】)
- 11月某日 - 木村良雄(十両格行司)※被雷による沈没で死亡
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 314頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 169頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 164頁
- ^ 「元横綱 北の富士勝昭さん 死去 82歳 大相撲中継の解説で人気」『NHK』2024年11月20日。2024年11月20日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 362頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 165頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 162頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 163頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 177頁
- ^ 「角界ニュース」『相撲』2023年12月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 「角界ニュース」『相撲』2019年4月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 49頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 16頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 17頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 39頁