十三錦市松
十三錦 市松(とみにしき いちまつ、1911年12月8日 - 1983年6月10日 )は、三重県南牟婁郡紀宝町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は寺尾 市松(てらお いちまつ)。最高位は東前頭7枚目。身長173cm、体重97kg。得意技は左四つ、寄り、押し。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 寺尾 市枩 → 十三錦 市松 | |||
本名 | 寺尾 市松 | |||
生年月日 | 1911年12月8日 | |||
没年月日 | 1983年6月10日(71歳没) | |||
出身 | 三重県南牟婁郡紀宝町 | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 97kg | |||
BMI | 32.41 | |||
所属部屋 | 出羽海部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭7枚目 | |||
生涯戦歴 | 111勝96敗12休(22場所) | |||
幕内戦歴 | 36勝42敗12休(6場所) | |||
優勝 | 序ノ口優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1929年9月場所 | |||
入幕 | 1940年5月場所 | |||
引退 | 1943年5月場所 | |||
備考 | ||||
2019年8月4日現在 |
経歴
編集出羽海部屋に入門して1929年9月場所で初土俵を踏む。当初は順調に番付を上げ、将来を嘱望された。初めて幕下に上がった1932年1月に春秋園事件が勃発。順延となった2月場所は3日目まで出場して翌日から休場。翌3月場所は全休。場所後天竜率いる新興力士団に加わった。関西角力協会時代は弓取りをつとめた。1938年1月場所に三段目筆頭格で復帰。その後は新十両の場所(1939年1月場所)を負け越しただけで1940年5月場所に新入幕を果たした。以降幕内中堅で活躍した。一気に押しまくる取り口だった。1943年1月場所3日目から休場。翌5月場所十両に落ちて3勝12敗と大きく負け越して廃業した。1983年6月10日死去。
主な成績
編集- 通算成績:111勝96敗12休 勝率.536
- 幕内成績:36勝42敗12休 勝率.462
- 現役在位:22場所
- 幕内在位:6場所
- 各段優勝
- 序ノ口優勝:1回(1930年3月場所)
場所別成績
編集春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1929年 (昭和4年) |
x | x | x | (前相撲) | ||
1930年 (昭和5年) |
東序ノ口12枚目 4–2 |
東序ノ口12枚目 優勝 5–1 |
東序二段13枚目 5–1 |
東序二段13枚目 4–2 |
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1931年 (昭和6年) |
西三段目17枚目 2–4 |
西三段目17枚目 3–3 |
西三段目24枚目 4–2 |
西三段目24枚目 5–1 |
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1932年 (昭和7年) |
西幕下15枚目 1–2–4 |
x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
x | x | x | x | ||
1934年 (昭和9年) |
x | x | x | x | ||
1935年 (昭和10年) |
x | x | x | x | ||
1936年 (昭和11年) |
x | x | x | x | ||
1937年 (昭和12年) |
x | x | x | x | ||
1938年 (昭和13年) |
三段目付出筆頭 10–3 |
x | 西幕下8枚目 6–1 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
西十両5枚目 4–9 |
x | 東十両13枚目 8–7 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
西十両3枚目 11–4 |
x | 西前頭15枚目 8–7 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
東前頭13枚目 9–6 |
x | 東前頭7枚目 6–9 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西前頭7枚目 4–11 |
x | 西前頭13枚目 8–7 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
東前頭15枚目 1–2–12[1] |
x | 西十両6枚目 引退 3–12–0 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青葉山 | 2 | 2 | 旭川 | 1 | 0 | 大熊 | 0 | 1 | 大ノ森 | 1 | 1 |
小戸ヶ岩 | 1 | 1 | 柏戸 | 0 | 2 | 桂川 | 2 | 1 | 金湊 | 1 | 1 |
清美川 | 2 | 1 | 九ヶ錦 | 1 | 3 | 小嶋川 | 1 | 0 | 小松山 | 0 | 2 |
佐賀ノ花 | 1 | 2 | 佐渡ヶ嶋 | 1 | 1 | 鯱ノ里 | 3(1) | 1 | 楯甲 | 2 | 0 |
玉ノ海 | 1 | 2 | 鶴ヶ嶺 | 1 | 0 | 照國 | 0 | 2 | 輝昇 | 0 | 1 |
冨ノ山 | 1 | 0 | 巴潟 | 0 | 1 | 名寄岩 | 2 | 0 | 錦谷 | 1 | 0 |
羽黒山 | 0 | 2 | 盤石 | 1 | 2(1) | 備州山 | 3 | 0 | 二瀬川 | 1 | 2 |
双葉山 | 0 | 2 | 双見山 | 1 | 0 | 松浦潟 | 0 | 4 | 若潮 | 1 | 1 |
若浪 | 1 | 0 | 若港 | 2 | 1 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
参考文献
編集- 『大相撲人物大事典』(ベースボール・マガジン社刊)
脚注
編集- ^ 左足首関節捻挫により3日目から途中休場