7日から始まるCOP15(国連気候変動枠組条約会議)を前にして、Economist誌が地球環境についての経済学的な分析を特集している。よくも悪くもバランスのとれた常識的なまとめだが、IPCCのデータ偽造疑惑についても記者クラブで談合して報道管制を敷く日本では、常識的なことが理解されていないので、簡単に紹介しておく。
IPCCのデータの信憑性には疑問があるが、その第4次報告書の2100年に1.1~6.4℃(最尤値2.8℃)の気温上昇という推定が正しいものとして政策を考える。まず問題なのは、そもそも温暖化は防止する必要があるのかということだ。政府が依拠しているスターン報告では「温暖化によって100年後に世界のGDPが最大20%失われる」と推定し、その便益(GDPの損失)をほとんど割り引かないで、温暖化対策の費用(1兆ドル)よりはるかに大きいとしているが、この報告書には経済学者から批判が多い。
Beckerの試算によれば、普通の費用便益分析で使われる割引率3%を使い、京都議定書の完全実施によって100年後に被害が防止される効果を1兆ドルと想定すると、その割引現在価値は約500億ドルと、対策のコスト1兆ドルを大きく下回る。通常の割引率を使うことに反対する経済学者もいるが、IPCCの予測のバイアスや誤差を考えると、3%は小さいぐらいだろう。つまり地球温暖化対策は社会的な損失をもたらすというのが、多くの経済学者の意見である。
それでも政治的な理由で温暖化対策を実施する場合の最大の問題は、環境税か排出権取引かという政策の選択である(*)。これについてもMankiwやNordhausなど多くの経済学者が、排出権取引より課税による解決が望ましいとしている。もちろん完全情報の世界を仮定して理想的な制度設計がコストなしで可能だとすれば、コースの定理によってどちらの方法でも最適の結果が得られるが、問題はさまざまな不完全性や政治的なゆがみである。
課税というのはありふれた政策手段で、財政的にも望ましいが、排出権取引のためには大規模な制度設計が必要で、初期の割当に政治的なrent-seekingが入り込む余地が大きい。理論的には割当をオークションで決めることも可能だが、すべての排出者がオークションを行なうことは不可能であり、そういう政策を実施する国もない。特に国際的な排出権取引には検証の手段も罰則もないので、中国やロシアなどが詐欺的な取引を行なうおそれが強い。
最悪なのは、政府が行なっている「エコポイント」や太陽光発電の支援のようなアドホックな補助金である。このような介入は市場で維持可能なレベル以上に代替エネルギーのコストを引き下げて「環境バブル」を引き起こし、補助金が打ち切られるとバブルが崩壊して混乱が起こる。米ブッシュ政権の行なったバイオエタノールの補助は、その見本である。
どういう政策をとるにしても重要なのは、温暖化防止のコストを各国が平等に負担することだ。京都議定書のように各国の負担がバラバラで、最大の汚染源である米中や途上国が除外されるようでは、こうした「温暖化ヘイブン」に工場が移転するなどのゆがみが起こる。今の議定書には拘束力がないので、こういう弊害はそれほど大きくないが、実効ある温暖化対策をとると、日本の産業空洞化はさらに深刻になろう。
経済学者のこうした意見は、温暖化防止にコミットしてしまった政治家やメディアには無視されているが、いずれ実施段階に入れば、こうした現実に直面せざるをえない。民主党の環境政策は課税と排出権取引を併記するなど混乱しているが、環境税から入ることは正解だ。COP15をきっかけにして、これまでの排出権取引についての根拠なき熱狂が冷めたら、各国が徐々に課税しながら温暖化対策の費用と便益を冷静に議論したほうがいいだろう。
(*)政府は「排出権」という言葉のネガティブな印象をきらって「排出量取引」という言葉を使うが、これは誤りである。実際に取引されるのは排出される温室効果ガスではなく、それを排出する権利(を書いた許可書)である。
IPCCのデータの信憑性には疑問があるが、その第4次報告書の2100年に1.1~6.4℃(最尤値2.8℃)の気温上昇という推定が正しいものとして政策を考える。まず問題なのは、そもそも温暖化は防止する必要があるのかということだ。政府が依拠しているスターン報告では「温暖化によって100年後に世界のGDPが最大20%失われる」と推定し、その便益(GDPの損失)をほとんど割り引かないで、温暖化対策の費用(1兆ドル)よりはるかに大きいとしているが、この報告書には経済学者から批判が多い。
Beckerの試算によれば、普通の費用便益分析で使われる割引率3%を使い、京都議定書の完全実施によって100年後に被害が防止される効果を1兆ドルと想定すると、その割引現在価値は約500億ドルと、対策のコスト1兆ドルを大きく下回る。通常の割引率を使うことに反対する経済学者もいるが、IPCCの予測のバイアスや誤差を考えると、3%は小さいぐらいだろう。つまり地球温暖化対策は社会的な損失をもたらすというのが、多くの経済学者の意見である。
それでも政治的な理由で温暖化対策を実施する場合の最大の問題は、環境税か排出権取引かという政策の選択である(*)。これについてもMankiwやNordhausなど多くの経済学者が、排出権取引より課税による解決が望ましいとしている。もちろん完全情報の世界を仮定して理想的な制度設計がコストなしで可能だとすれば、コースの定理によってどちらの方法でも最適の結果が得られるが、問題はさまざまな不完全性や政治的なゆがみである。
課税というのはありふれた政策手段で、財政的にも望ましいが、排出権取引のためには大規模な制度設計が必要で、初期の割当に政治的なrent-seekingが入り込む余地が大きい。理論的には割当をオークションで決めることも可能だが、すべての排出者がオークションを行なうことは不可能であり、そういう政策を実施する国もない。特に国際的な排出権取引には検証の手段も罰則もないので、中国やロシアなどが詐欺的な取引を行なうおそれが強い。
最悪なのは、政府が行なっている「エコポイント」や太陽光発電の支援のようなアドホックな補助金である。このような介入は市場で維持可能なレベル以上に代替エネルギーのコストを引き下げて「環境バブル」を引き起こし、補助金が打ち切られるとバブルが崩壊して混乱が起こる。米ブッシュ政権の行なったバイオエタノールの補助は、その見本である。
どういう政策をとるにしても重要なのは、温暖化防止のコストを各国が平等に負担することだ。京都議定書のように各国の負担がバラバラで、最大の汚染源である米中や途上国が除外されるようでは、こうした「温暖化ヘイブン」に工場が移転するなどのゆがみが起こる。今の議定書には拘束力がないので、こういう弊害はそれほど大きくないが、実効ある温暖化対策をとると、日本の産業空洞化はさらに深刻になろう。
経済学者のこうした意見は、温暖化防止にコミットしてしまった政治家やメディアには無視されているが、いずれ実施段階に入れば、こうした現実に直面せざるをえない。民主党の環境政策は課税と排出権取引を併記するなど混乱しているが、環境税から入ることは正解だ。COP15をきっかけにして、これまでの排出権取引についての根拠なき熱狂が冷めたら、各国が徐々に課税しながら温暖化対策の費用と便益を冷静に議論したほうがいいだろう。
(*)政府は「排出権」という言葉のネガティブな印象をきらって「排出量取引」という言葉を使うが、これは誤りである。実際に取引されるのは排出される温室効果ガスではなく、それを排出する権利(を書いた許可書)である。