[10-5]-[10-10]
Science For All Americans 勝手に翻訳プロジェクト Chapter 10: HISTORICAL PERSPECTIVES
[10-5]
DISPLACING THE EARTH FROM THE CENTER OF THE UNIVERSETo observers on the earth, it appears that the earth stands still and everything else moves around it. Thus, in trying to imagine how the universe works, it made good sense to people in ancient times to start with those apparent truths. The ancient Greek thinkers, particularly Aristotle, set a pattern that was to last for about 2,000 years: a large, stationary earth at the center of the universe, and―positioned around the earth―the sun, the moon, and tiny stars arrayed in a perfect sphere, with all these bodies orbiting along perfect circles at constant speeds. Shortly after the beginning of the Christian era, that basic concept was transformed into a powerful mathematical model by an Egyptian astronomer, Ptolemy. His model of perfect circular motions served well for predicting the positions of the sun, moon, and stars. It even accounted for some motions in the heavens that appeared distinctly irregular. A few "wandering stars"―the planets―appeared not to circle perfectly around the earth but rather to change speed and sometimes even go into reverse, following odd loop-the-loop paths. This behavior was accounted for in Ptolemy's model by adding more circles, which spun on the main circles.
宇宙[1]の中心でなくなる地球
地球上の観察者にとって、大地は、つまり地球は[2]じっと動かずにそこに在り、他の全ての物がその周りを動いているように見える。であるから、宇宙がどのように動いているかを想像する際に、このような明らかなあたりまえの現実から出発することは、古代の人々にとっては理に適っていることであった。古代ギリシアの思索者達、特にアリストテレスは、およそ2000年に渡って保たれることになるモデルを提示した。それは、巨大で静止した地球が宇宙の中心にあり、太陽も月も他の小さな星々も、地球の周りで一定の速度で真円を描いて動いているというものであった。西暦に入って少し後、この初歩的な考え方はエジプトの天文学者、プトレマイオスによって、強力な数学的モデルへと変換された。真円運動に基づく彼のモデルは、太陽や月や星々の位置を予想するのに大きく貢献した。彼のモデルは、明らかに不規則な運動を示すいくつかの天体の運動についても考慮していた。少数の「さまよえる星々」――つまりは惑星のことだが――は、地球の周りで真円を描かないばかりか、動く速さを変えたり、時として奇妙に輪と輪が繋った経路をたどるように逆行することさえあった。このふるまいはプトレマイオスのモデルにおいては、主となる円に繋げる形でいくつもの円を加えることによって説明されていた。
[1] universe と言った場合には単なる宇宙というだけでなくこの世界そのものの全体を指す言葉になるかと思うのですが、日本語での適当な単語が思い浮かばないので、ここでは単に「宇宙」としてあります。
[2] 観察者の視点、ということで earth を「地球」と「大地」と言い換えてみましたが、かえって悠長かな? 単に「地球は」でもいいかと思います。[10-6]
Over the following centuries, as astronomical data accumulated and became more accurate, this model was refined and complicated by many astronomers, including Arabs and Europeans. As clever as the refinements of perfect-circles models were, they did not involve any physical explanations of why heavenly bodies should so move. The principles of motion in the heavens were considered to be quite different from those of motion on earth.
その後何世紀にも渡って、天体に関するデータが蓄積されより正確なものになるにつれて、このモデルは多くの天文学者によって改良されまた複雑なものへとなっていった。これらはアラビア人の天文学者によってもヨーロッパ人の天文学者によっても行なわれた。真円モデルの改良は巧妙であった一方で、天体がそのように動くことの物理的な説明については全く伴っていなかった[1]。天上での運動の原理は、地球上の運動の原理とは全く異なっていると考えられていた。
[1] clever のニュアンスについてはやや測りかねています。(3/22 : 完全に訳し間違っていました。訳文は修正しておきました)
[10-7]
Shortly after the discovery of the Americas, a Polish astronomer named Nicolaus Copernicus, a contemporary of Martin Luther and Leonardo da Vinci, proposed a different model of the universe. Discarding the premise of a stationary earth, he showed that if the earth and planets all circled around the sun, the apparent erratic motion of the planets could be accounted for just as well, and in a more intellectually pleasing way. But Copernicus' model still used perfect circular motions and was nearly as complicated as the old earth-centered model. Moreover, his model violated the prevailing common-sense notions about the world, in that it required the apparently immobile earth to spin completely around on its axis once a day, the universe to be far larger than had been imagined, and―worst of all―the earth to become commonplace by losing its position at the center of the universe. Further, an orbiting and spinning earth was thought to be inconsistent with some biblical passages. Most scholars perceived too little advantage in a sun-centered model―and too high a cost in giving up the many other ideas associated with the traditional earth-centered model.
アメリカの発見の少し後[1]、マルチン・ルターやレオナルド・ダ・ヴィンチと同時代の人、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが宇宙についての別のモデルを提案した。彼は、静止した地球という前提を捨て、もし地球も他も惑星も皆が太陽の周りに円を描いていれば、観察されている惑星の不規則な運動は皆同様に、しかも理論的にすっきりした形で説明できることを示した[2]。しかしコペルニクスのモデルはまだ真円運動を用いており、また、それまでの地球を中心としたモデルとほとんど同じくらい複雑であった。さらに彼のモデルは、当時支配的だった、世界についての常識的な考え方に背いていた。コペルニクスのモデルでは、見た目では明らかに静止しているはずの地球は一日ごとにその軸を中心に完全に一回転し、宇宙は想像が及ばない程に遠く大きくなり、またなによりも、地球は宇宙の中心であったその位置付けを失ってごく普通のありふれた場所になる必要があった[3]。さらには、軌道を描いて運動しまた自転もする地球の姿は、聖書の中のいくつかの記述にも合致しないと考えられた。ほとんどの学者は、太陽中心モデルにはそれほど長所がなく、また、伝統的な地球中心モデルに関連した他のいくつもの考えや観念[4]を捨て去ることはあまりにも大きな代償であると認識していた。
[1] 正確には「コロンブスのアメリカ到達の少し後」でしょうけれど、原文に沿って訳してあります。
[2] intellectually pleasing way については良い訳し方を思い付いていません。要するに「理論的にすっきり」ということだと思うのですが。
[3] commonplace を「ごく普通のありふれた場所」と訳してありますが、宇宙の中での位置付けの話なので、「場所」よりは「存在」などの方が良いかもしれません。
[4] ここでの idea は「考えや観念」という言葉で置き換えてみました。適当な訳語があればいいのですが。後続の段落でも何度か idea は出てきますが、広い意味だったり特定の意味だったり、それぞれ微妙に意味合いが違うような気がするので、いちいち(idea)と付けた上でそれぞれ多少言葉を使い分けています。[10-8]
As astronomical measurements continued to become more precise, it became clear that neither the sun-centered nor the earth-centered system quite worked as long as all bodies had to have uniform circular motion. A German astronomer, Johannes Kepler, who lived at the same time as Galileo, developed a mathematical model of planetary motion that discarded both venerable premises―a stationary earth and circular motion. He postulated three laws, the most revolutionary of which was that planets naturally move in elliptical orbits at predictable but varying speeds. Although this law turned out to be correct, the calculations for ellipses were difficult with the mathematics known at the time, and Kepler offered no explanation for why the planets would move that way.
さらなる正確さを目指して天文観測が続くにつれ、全ての天体がそれぞれ一定の円運動を行なわなければならないとすると、実のところ太陽中心システムも地球中心システムもどちらもがうまく機能しないということが明らかになった。ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、ガリレオと同時期の人物だが、惑星の運動についての数学的モデルを開発した。彼のモデルでは昔から尊重されてきた前提、静止した地球と円運動、のどちらをも捨てていた。彼は三つの基本的な法則を主張した。中でも最も革命的なのは、惑星がごく自然と、楕円軌道上を、予測可能ではあるが一定ではない速さで動くとしたことである。この法則は正しいものとなるのだが、当時の数学では楕円についての計算は困難であり、ケプラーはなぜ惑星がそのように動くのかという説明については示すことができなかった。
[10-9]
The many contributions of Italian scientist Galileo, who lived at the same time as Shakespeare and Rubens, were of great significance in the development of physics and astronomy. As an astronomer, he built and used the newly invented telescope to study the sun, moon, planets, and stars, and he made a host of discoveries that supported Copernicus' basic idea of planetary movement. Perhaps the most telling of these was his discovery of four moons that orbited around the planet Jupiter, demonstrating that the earth was not the only center of heavenly motion. With the telescope, he also discovered the inexplicable phenomena of craters and mountains on the moon, spots on the sun, moonlike phases of Venus, and vast numbers of stars not visible to the unaided eye.
シェークスピアやルーベンスと同時代の人物、イタリアの科学者ガリレオの多大な貢献は、物理学と天文学の発展において極めて重要であった。天文学者としては、彼は、太陽や月や惑星、そして他の星々について調べるために新しく発明した望遠鏡を制作して用い、惑星の運動についてコペルニクスの基本的な考え(idea)を補強する数々の発見を為した。恐らく最も重大なのは、木星を周る軌道を持つ四つの月の発見であった。というのも、この発見は地球が天上での運動における唯一の中心ではないことを明らかにするものだからである。この望遠鏡によって、彼はまた、地球上で生活する人々にとっては明示的でない物をいくつも発見している。月のクレーターや山々、太陽の黒点、金星の満ち欠け、そして裸眼では見ることのできない膨大な数の星々である。
[10-10]
Galileo's other great contribution to the cosmological revolution was in taking it to the public. He presented the new view in a form and language (Italian) that made it accessible to all educated people in his time. He also rebutted many popular arguments against an orbiting and spinning earth and showed inconsistencies in the Aristotelian account of motion. Criticism from clergy who still believed in Ptolemy's model―and Galileo's subsequent trial by the Inquisition for his allegedly heretical beliefs―only heightened the attention paid to the issues and thereby accelerated the process of changing generally accepted ideas on what constituted common sense. It also revealed some of the inevitable tensions that are bound to occur whenever scientists come up with radically new ideas.
宇宙の理論の転換に対してのガリレオの別の偉大な貢献は、自らの成果を公表したことである。彼は彼による新たな描像を、当時の教養人達が皆読むことのできる形式と言語(イタリア語)で発表した[1]。また、アリストテレス的な天体運行の考え方に反することになる公転し自転する地球という描像に対しては多くの有名な論争が発生したが、彼はこれに反論を加えもした。プトレマイオスのモデルを未だに信じていた聖職者達からの批判は、そしてその後に続いた異端信仰者として申し立てられた彼に対する宗教裁判での公判は、この問題への注目をより強めただけであり、それによって、常識を形成している、一般に受け入れられる考え(idea)が変わっていく過程を速めることとなった。またこのことは、科学者が新しい考えや概念(idea)を急進的に持ち出す際にはいつでも起きるに違いない、ある種の不可避な緊張を顕に示した。
[1] in a form and language なのですが、これは原文が in a form of language の間違いではないかと思います。(3/22 : これも完全に勘違いでした。訳文は修正しておきました)
とりあえずここまで。
| 固定リンク
「SSFA日本語化」カテゴリの記事
- [3-34],[3-35](2008.04.11)
- [3-31]-[3-33](2008.04.08)
- [3-26]-[3-30](2008.04.05)
- [10-54]-[10-61](2008.03.29)
- [10-36]-[10-41](2008.03.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
[10-5]
thinkerは普通「思想家」ではないでしょうか。
[10-6]
"As clever as ..."は[10-16]のはじめの"As elaborate and successful as it was ..."と同じで逆接ではないでしょうか。
[10-10]
"in a form and language"は、『対話という形式』と『(ラテン語でなく)イタリア語という言語』で一般の人に読みやすくしたということではないでしょうか。
投稿: hoyt | 2008年3月22日 (土) 09時24分
> hoyt さん
いろいろコメントありがとうございます。
[10-5] thinker
個人的な感覚かもしれませんが、思想家と言うと自然観よりも社会思想や生き方についての思想を唱えている人々のように感じられてしまうのです。孔子とか老子とか、古代ギリシアならソクラテスとか。思索者でも不適当ではないと思うのですが。
[10-6] As clever as ...
あ、ここは完全に勘違いしてる……they did not involve ... のところを完全に勘違いしてました。
[10-10] in a form and language that ...
ああ! 「当時の教養人達が皆読むことのできる形式と言語で」ですね。お恥ずかしい、大ボケでした……すいません。
投稿: Yamanaka | 2008年3月22日 (土) 13時43分
thinkerについてはわかりました。ぼくはアリストテレスにも古代ギリシャにもまったく詳しくないので、Yamanakaさんが思索者のほうが適当だとお考えならそのほうがよいと思います。
投稿: hoyt | 2008年3月22日 (土) 17時04分