アイデアの私有と共有

アイデアは誰のものなのか? この〈SHARE〉の時代にそれを問う意味とは何なのか、僕らはそのことを問い直さなくてはいけない段階に入ってきています。 僕らはいまなお「アイデアには所有者がいる」と考えることを当たり前のように思ってしまっています。 例えば、以前に比べて、僕らが日常的に行うようになったワークショップやブレインストーミングなどのグループワークによるアイデア出しの場などでも、いまだに「誰が出したアイデアが採用されたか」とか、「結局、声の大きな人のアイデアが採用されてしまう」とか、といった「アイデアの所有者は誰か?」にこだわる思考からなかなか離れられない人がすくなくありません。 けれど、そうしたグループワークによる共創の場において、アイデアの所有者探しをするのは賢明ではなく、むしろ、グループでより素晴らしい発想を生もうとする際の妨げにもなりえます。 なぜならグループワークでの共創の作業は、基本的に他者とのインタラクションのなかで次々に発想を生み、展開していく方法なのですから、あるアイデアが明確に誰が生み出したものと言えるような状況はありえません。 たとえば、ブレインストーミングは他人のアイデアにのっかりながら発想を膨らませていくことで、グループ全体でより良いアイデアを生み出していきましょうという方法です。 他人のアイデアを膨らませることが前提となっている時点で「アイデアの所有者が誰なのか?」という考え方とは根本的に無縁なはずです。 また、そもそも、こ…

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バズ・ワールドを肯定的に生きる

バズワードという言葉が意味をなさなくなるくらい、あらゆる言葉の意味が流動化して、日々どんどん意味を変えていくのがいまという時代なのかなと感じます。 そして、その不安定さは単に言葉の問題だけじゃありません。 モノや人や組織などの価値=意味も、バズワードのようにあるとき価値をもったものが次の瞬間には意味を失うという非常に不安定なうつろいがごく普通に起こっています。 その様は、もはやバズワードというよりバズ・ワールドと呼んだ方がよいでしょう。

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「途中」を開放することをサービスとして捉える

昨日ふと、「作らない」デザインどころではないのだな、と気づきました。 むしろ、僕らには「作れない」んだと思いました。 作らないデザインといったことをよく耳にするようになっていますが、むしろ、作れないと認識したほうが常識的な誤解から抜け出しやすいんじゃないかと、そんな風に思ったんです。 僕らがこれまで当たり前のように感じ享受していたはずの、完成品としての製品を作るということが社会的にもかつてほどは輝きを失いつつあるなかで、僕らは、たとえば「街づくり」といったような作れないものを作り続けるという場に立ちあうことが求められていることを各自がはっきりと自覚しなくてはいけないんだ、と。

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「完成品」より「未完成」であることが大事

僕自身も最近つくづく実感として感じますが、いまって、何か新しいものごとを創造する知的創造分野の仕事って、業界の違いや規模の違いが意味をなさず、あらゆる形のプレイヤーが競合するようになってきていますよね。 ほかにもそう感じている人はいないでしょうか? 大企業とベンチャーが競合するだけでなく、個人だって容易に企業組織に競合できるようになっていますし、大学のような教育機関や自治体やNPOだって競合する機会も増えてきているのを僕なんかは肌感として感じずにはいられません。 そうなる理由はカンタンに理解できます。 基本的な方法論やノウハウの取得なら短期間・低コストで可能になってきているのが1つ。 それから、創造作業の大事な部分を担うプロトタイピングや開発のコストも昔とは比べられないほど安くなったというのもあるでしょう。 とにかく新たにプレイヤーとしてゲームに参加する際のコストがきわめて低くなり、ほとんど参入障壁らしいものがなくなっているのですから、こういう状況になるのは当然です。 しかも、イノベーションを求める需要のほうも確実に高まっているわけですから。

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完成形ではなくソースデータが提供/入手される市場環境

製品や作品といった制作物の完成形を提供するのではなく、結果としてそれらを生み出すことができるソースを提供する。 ソフトウェアの分野でのオープンソースがそうであるように、提供するものを完成形の制作物だけに限定せずに、それを実現するためのソーフコードも配布することを、ソフトウェア以外の分野でも行えるようにすることで、完成形のバリエーションを生み出すことが可能になり、画一的なものになりがちな分野や経済の形に多様性が取り戻せるのではないか。 最近はそんなことを考えています。

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はじまりもおわりもない創造の連鎖に参加する

ちょうど1ヶ月くらい前のある出来事をきっかけに、普段は別々のコミュニティに属して生活している人たちが、何かの拍子に一堂に会して、同じ素材のアーカイブやら、たがいに話す機会やらを提供されて、いっしょに何かをするんだけど、ただし1つの目的やゴールを共有せずに、それぞれの考えに従って別々の目標に向かって活動を行う、そんなプロジェクトのあり方について考えています。 “オープン・イノベーション”の意義について考えていると、そんな形が理想だなと感じるからです。

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スタートアップのスキルはより一般的なビジネススキルになる

昨日からスティーブン・G・ブランクの『スタートアップ・マニュアル』に目を通してながらあらためて、今後ここで書かれているようなスタートアップに関するスキルはより一般的なビジネススキルになってくるだろうなという印象を強くしています。 そう。全員とはいわないまでも、スタートアップに関するスキルは起業家に限定されることなく、既存の企業で働く多くのビジネスマンももつ時代がそう遠くない未来に訪れるのだろう、と。社内起業家も含めたらアントレプレナー的なミッションをもった人の割はかなり多くなるのだと思います。 そして、そうなった時こそ、これまでのビジネスのやり方が本当に大きく変わるんだろうなと感じます。

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不確実な時代に「未知」を「既知」へ変える方法としてのオープンさ

結果的にはあとで間違えてることが明らかになったとしても、最初に自分でそう感じたのなら、そう思ったことは決定的に正しいと思います。 ▲TRANS ARTS TOKYO展より だから、最初から間違えてるんじゃないかと怯える必要はまったくありません。どんどん自分が思ったことをいろんな人にぶつけてみればいいと思います。 けれど、それと同時に大事なのは、あとで自分が思ったことが間違いだと気づかされたら、すぐにその間違いを認めること。そういう謙虚さがあれば、間違えることを過剰に気にせず、自分のアイデアや感じたことを他人と共有することができるようになると思うんです。

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コモディティ化された製品を販売するような企業で構成される経済では、社会は繁栄せず、国民の利益や繁栄を台無しにする

『オープン・サービス・イノベーション』を読み始めています。 「オープン・イノベーション」ということをもう少し自分の頭のなかで整理しようと思って。 その本のなかで著者のヘンリー・チェスブロウがこんな風に書いている箇所に目がとまりました。 中国やインドが世界経済を牽引し、世界各地でアウトソーシングが増大し、コモディティ化がつづいている現状で、私たちの子孫は高収入を得られるような職に就くことができるのだろうか? コモディティ化された製品を販売するような企業で構成される経済では、社会は繁栄せず、国民の利益や繁栄を台無しにすることになるのではないか。 ヘンリー・チェスブロウ『オープン・サービス・イノベーション』 これって凄い指摘だし、的確な指摘だなと読んでいて思いました。 ここでは「コモディティ化された製品を販売するような企業」の個々のビジネスだけが問題視されているわけではなくて、社会の繁栄や国民の利益という観点から「コモディティ化する製品」が問題視されています。 こういう視点の大きさをもって、自分たちのビジネスの現状を見つめ直す姿勢をもっと多くの人がもてるようになるといいのになと思います。 だって、そもそも自分たちの仕事が社会のためになるものを生み出す仕事だと捉えているなら、それがうまくいかない現状があれば逆に社会に不利益をもたらしている可能性もあることも想定するのが理屈というものだと思うので。 そのあたりも含めて自分たち自身がポジティブに生きられる方向性を探…

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問題定義とは結局「どんな夢を見るか?」ということ

前回も書きましたが、今月はやたらと慌ただしくいろんなところに顔を出したり、ワークショップやセミナーをさせていただいたりしています。 昨日も会社の主催で夜に「未来をつくるワークショップ」と題したデザイン思考の発想法を体験するワークショップをやらせていただきましたし、今日は大阪に日帰り出張してきました。 この1ヶ月のあいだに物理的にも場所を移動したり(今日の大阪だけでなく熊本や青森に行きました)、普段触れない領域に足を踏み込んだり(廃業したホテルや大学という場所や、アーティストの方々や温泉地の経営者の方々などとの交流)、いろんな方々とセミナーやワークショップで出会ったりしていましたが、そんな風にいろんな領域に顔を出して、実際に触れてみると、やはり自然と視野は広がるわけで、普段とは違ったことを考えられたりもして、それだけでも良い経験になります。 その意味でこの11月はとても有意義な時間を過ごさせてもらったなと感じているわけです。

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オープンになって外の世界と対話する

イノベーションへの近道は、オープンになって、自分が普段過ごしている世界とは別の、外の世界と対話を積極的に心がけることだと感じます。 内と外の境目をあいまいにしたところで、既視のものとはまったく別のイメージが見えてくる。それには既存の境界を越えて、オープンな気持ちで自分にとっての非日常的な世界と交わることが大事なのではないかと思います。 ▲ TRANS ARTS TOKYO展より クリス・アンダーソンも『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』のなかでこんな風に書いています。 たとえイノベーションを起こそうと思わなくても、「パブリックな空間でもの作りを行う」だけで、イノベーションのきっかけになるかもしれない。それがアイデアの特性だ。アイデアは、シェアされると拡散する。 クリス・アンダーソン『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』 そうなんですよね、新しいことを生み出すこと、イノベーションを生み出すことって、本来、新しさやイノベーション自体を求めて生み出すものというより、パブリックな空間で活動を行う結果、自然と生まれてくることなんだと思います。 アイデアはシェアされ拡散されることで、個人がバラバラに考えていたときには予想もしなかった創発を呼びます。その創発が繰り返されることで、イノベーションが生み出される。そんな確率が劇的に高まるのがインターネットを介したオープンイノベーションの最大の特性でしょう。

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