さて、そのエントリーの中で、苦手なことを克服するためには、それを得意とする人のことを真似ることが近道だと書きました。あと、結局、それが日本伝統の茶道や武道の習得にも用いられた守破離にもつながる考え方だと。守破離は千利休が最初に茶道の中に取り入れたとも言われています。
でも、単に真似るといっても、それはそれでむずかしいところもあるだろうなと思ったので、真似るための条件みたいなものについてもまとめておきたいと思います。
- 1.よく観察すること
- 僕は昔(たぶん5~6年前)、突然、自分のデザイン力が落ちているなと思って、それを回復しようと、自分に一日一枚のデッサンを義務付けていた時期がありました。絵がうまくなりたいと思ったわけでも、何か描きたいものがあったわけではなかったので、とにかくそこら中の雑誌や写真などに写っている人を描き写してみることにしました。
2~3ヶ月は続けたので、最終的には結構な枚数になりました。でも、最初はなかなか似せて描くことができなかったんです。で、あるとき、対象を普段よりよく観察しないと似せて描くことはできないんだということに気づいたんです。
普段のものを見る視点って、結構、ぼーっと全体の雰囲気を見るような見方をすくなからずしてしまっているんだと思います。でも、それだけじゃ、似せた絵は描けない。いや、デフォルメした似顔絵ならむしろそのほうが描けるのかもしれません。ですが、僕はできるだけリアルにデッサンしようとしていたし、対象となっていたのは誰かもわからない雑誌や写真に写った人だったので似顔絵のような個性を表現する意味もなかったので、雰囲気をつかむという方法はとりませんでした。代わりにディテールやそれがほかのディテールと関わるバランスなどをできる限り細かく観察することで、次第に元の写真に似せて描くことができるようになったんです。
何かを真似るというときには、そうした普段とは違うものの見方で、よく観察する方法を見出すことが必要になるのだと思います。
- 2.我を忘れること
- 観察したものをアウトプットしようとすると、人はどうしてもそこに自分の付け足しみたいなものを加えたがります。いや、アウトプットする前の観察する時点でさえ、それを行なっているでしょう。でも、考えればわかると思いますが、何かを付け足せば足すほど、元のものには似ません。当初の目的である真似るという活動がそれでむずかしくなってしまうのです。
何より真似ることを困難にするのは、真似ようとする対象への疑念ではないでしょうか? 人は受け入れることより批判するほうがラクなので、ついそちらに身をゆだねがちです。でも、それだとさっきも書いたように何かが不用意に付け足されてしまい、真似るという活動を邪魔します。
真似るためにはひとまず自分の価値観は忘れて、対象に身をゆだねる覚悟がないとなかなかうまくいかないものです。そして、身をゆだねて受け入れるのが、反発することよりむずかしいのは、人が臆病だからです。真似ることはそもそも苦手克服のための努力だったわけですから、臆病であるという我を忘れる覚悟も必要なんでしょうね。
- 3.繰り返すこと
- 真似るためには、真似るための努力を繰り返すことが重要です。一回真似できたからといって終わりにしてはダメです。大事なのはアウトプットではなく、そのアウトプットを普通に出せるようになるプロセスそのものを身に着けることですから。
とにかく、繰り返し練習することが大事です。これは昨日も書きましたね。繰り返しが大事なので繰り返してみました。
この3つに気をつけていれば、たいていのことは学ぶことができると僕は思っていま。
そうそう。昨日の「苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」のコメントに< 「学ぶ」の語源は「真似ぶ」から>というのがありました。へぇ~、そうだったんだって感心しましたことも最後にご報告。
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