私的インフォメーション・アーキテクチャ考:2.構造と要素間の関係性:その概要

前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:1.要素としての情報の種類」では、インフォメーション・アーキテクチャという器が受け入れる、要素としての情報の種類を抽出してみました。

情報の内容は要素に還元できない

しかし、

大好きな玩具をばらばらにしてしまった子供をみたことはあるだろうか? 元通りにできないとわかって、その子供は泣き出したのではないだろうか? ここで読者に、決して新聞記事にならない秘密の話を教えてあげよう。それは、われわれは宇宙をばらばらにしてしまい、どうやって元に戻せばいいのかわからないでいることだ。前世紀、われわれは何兆ドルもの研究資金を注ぎ込んで自然をばらばらに分解したが、今はこの先どうすればいいのか手がかりのない状況なのである-何か手がかりがあるとすれば、さらに分解していくことぐらいだ。
アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』

という還元主義の限界について書かれた、このアルバート=ラズロ・バラバシの言葉は、インフォメーション・アーキテクチャについて考える上でもとても示唆的で、つまり、要素はただ無闇に配置されたのでは、情報をきちんと伝えることができないはずだと考えます。

また、以前「成長には、素材よりも順番が大事?」というエントリーで紹介した、マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』の中の、ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』に出てくる単語のリストは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる単語のリストとほとんど同じであるという話をみても、それはわかるでしょう。

この2冊の本に出てくる単語は、90パーセント以上は一致しているはずだ。それなのに2冊はまったく違う本なのである。差異は、使っている単語にあるのではなく、同じ単語群を違ったパターンや順序で使っているところにあるのだ。これと同じで、チンパンジーとヒトの差異の原因も、遺伝子の違いにあるのではなく、同じ3万個の遺伝子が違ったパターンや順序で使われている点にある。
マット・リドレー『やわらかな遺伝子』

もうすこしビジネス寄りの話をするなら、データベースを設計する際、商品テーブルの中に「料金」が含まれるのと、注文テーブルに「料金」が含まれるのとでは意味が違うことを考えてみてください。
前者の場合、その商品が定価で売られていることを意味し、後者は時価(注文に応じて料金が違う)で売られていることを意味します。

このような意味で、要素を抽出しただけでは、それは機能しません。
それが機能するには、パターンや順序を生み出す構造や要素間の関係性が規定されなくてはならないはずです。
それらが情報のコンテクストを生成し、情報を人間が理解できるものにするのだと思います。

さて、それでは、インフォメーション・アーキテクチャにおける、構造と要素間の関係性について考えてみることにしましょう。

構造と要素間の関係性

以下のようなものが情報の要素を受け入れる容器の構造として、要素間の関係性を明示しコンテキストを生成するものとして必要ではないかと考えています。

  • 分類・カテゴライズ
  • 並び順・導線
  • モジュール化とモジュール間の関係性
  • 量と頻度
  • 外部参照性と反発性
  • 文脈の生成

上記にあげたものは、網羅性という面では十分とはいえないと思います。しかし、すべてを網羅するのは、僕には荷が重過ぎますので、上にあげたリストについて順を追って説明していくことで、インフォメーション・アーキテクチャにおける情報の構造化、要素間の関係性の定義がどのような働きをするのかを考察できればと思っています。

ドゥルーズの構造

個別の説明は、次回以降にゆずることにして、ここでは「差異と反復、ドゥルーズ、そして、ニーチェ、あるいはマルチチュードとか」で書いたように、「ブランドのアーキテクチャだとか、昨夜からはじめたIA論的なことを考えるにあたって」、なぜジル・ドゥルーズの『ニーチェ』だとか『差異と反復』などを読みたくなったかをちょっと説明しておこうと思います。

ドゥルーズで僕がすぐに思い浮かぶのは、それまで(そして、いまもある意味では)支配的だったツリー構造に対して、批評的な意味でリゾームを対置したことです。
1から出発して分岐してゆくツリー(樹木)状のモデルに対して、ドゥルーズが(そして相棒のガタリが)示したのは、特定の中心をもたず、異質なものが異質なものと接合されながら、始まりも終わりもなく、多方向にまた重層的に錯綜しながら延びてゆくリゾーム(根茎)状のモデルでした。以前に「情報デザインおよび組織デザインにおけるツリー構造とリンク構造」というエントリーを書いたりもしていますが、ツリーという一元的な構造によって作られたコンテクストにはどうも昔から違和感をもっていて、それが殺してしまうように見える多様な解釈に見方をしたくなることがあり、それゆえにドゥルーズのリゾームというモデルには以前から惹かれるものがありました。

また、このリゾームによるツリー構造の批判は、ある意味では「祖先の物語 ドーキンスの生命史 上/リチャード・ドーキンス」で紹介したドーキンスが批判する「不連続精神」、そして、そもそも進化を何か目的に向かっての前進と捉えることに対するドーキンスの断固たる批判とも類似するものだとも思います。

ニーチェの「永劫回帰」、そして、『差異と反復』

このあたりは情報の構造というものを考える上では非常に重要な点だなと感じます。
だから、あらためて、ドゥルーズの書いたものを読み直そうと思ったわけですが、そこで『ニーチェ』と『差異と反復』の2冊を選んだのは、そもそもニーチェという哲学者が、哲学にアフォリズムと詩という表現を持ち込むことで、真のものを発見・認識するという目的性を有した既存の哲学に対し、多様な解釈が成り立つことを示そうとした人だからというのが1つ。そして、複数の多様な解釈が反復する「永劫回帰」というモデルの影響があるであろう『差異と反復』が、より多様化、複雑化する現在の情報化社会におけるインフォメーション・アーキテクチャの在り方を考える上でのヒントがつまっていそうに思えたからです。

というわけで、次回からは構造と要素間の関係性について、先にあげたリストを1つ1つ考えていこうと思っていますが、当然、ここまで見てきたように構造に対してはすこしひねくれた見方をもっている僕による考察なので、構造について考えつつも構造化に対して距離をおこうとするおかしな考察になるだろうなと、現時点では予想しています。

そんな考察でもよろしければ、また次回以降をお楽しみに。



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