問題発見を行い、企画を立ち上げ、ユーザ調査・プロトタイプ設計・ユーザビリティ評価を行って、それに基づいたサービスが商用になっても、上流だけに関わっていた人は会社からは評価されないようです。
ここで書かれた「上流」が何をさすのか判然としませんし、それ以上に上記の感想を書かれた事情も知らずに申し上げるので、的外れな見解かもしれませんが、すくなくとも上流だけで会社が儲かることもなければ、実際の利用者に何のメリットもないと思うので、それだけで評価しないという会社の姿勢は健全だと思うのです。
会社が評価しないのではなく、自分たちが間違って評価してしまっている
『デザイン思考の仕事術』で書いたとおり、「あらゆる仕事はデザインの仕事」です。そうであれば、なぜ上流のみにとどまろうとするのか?ということです。なにも上流などという狭い範囲にとじこもって、その方法論を専門化することはないでしょう。
という意味で僕は「企業でHCDプロセスが根付かない理由」は会社がそれを評価しないからではなく、それを実際に行っている人たちがその方法論を上流などという狭い範囲に押し込めるという間違った評価をしてしまっているからだと思うのです。そう。それを実際に使っている当人たちがそれに対する評価を誤ってしまっているのです。
自分たちが間違って評価しているものを、他人が評価しないのはむしろ健全なのではないでしょうか。
あいさつとおなじように、できて当たり前のことになればよいな、と。
「あらゆる仕事はデザインの仕事」であるということは、それは誰もができて当たり前のことにならないといけないと思っているからですし、そこにくだらぬ専門性や稀少価値がなくなるのを願っているからです。僕としては、あいさつができるのとおなじくらい、できて当たり前のことになって、特別に評価されるようなものではなくなることを願っています。そんなことができたからといって評価されるなんてこと自体が、つまり世の中的にそんな当たり前のことができていないという悲しい状況であるということですから。
上流より下流、あるいは全体ディレクションを評価
会社が必要とするもの、そして、おそらくは生活の場において暮らす人びとが必要とするものを生み出そうとすれば、上流のみに関わるというのは得策ではありません。むしろ、具体的なものを実現する下流の方が評価されて当然だと思いますし、そうでなければ上流から下流までトータルにディレクション、マネジメントして事業を現実化できる人が評価されて当然なのではないか、と。
自分の側からだけ見てしまうと、その部分がみえなくなってしまいがちです。自分のやっていることが何か特別で価値のあるものだと思ってしまい、まわりがおなじかそれ以上に特別で価値のあることをしていることが見えなくなってしまう。
これは僕自身も含めて誰にでもありえる勘違いなので気をつけないといけませんね。
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