なんといっても、これからのデザインの意味、そして、今後の人間社会の意味を問い直すためには非常に有効な本だと思いますので。
さて、本書のなかでクリッペンドルフは、
デザインとは物の意味を与えることである。
と述べています。
また、別の箇所では、
デザインは他者に対し現実化可能な人工物を提案することである。
とも言っています。
「物の意味を与える」というのは、僕は人と物とのあいだにインターフェイスをつくることだと理解しています。
もちろん、ここでいうインターフェイスはコンピュータやデジタル機器のGUIのみを指しているわけではありません。包丁の柄と刃の境も、ペットボトルのフタのギザギザも、シャツのボタンとボタンの穴の関係もすべて、人に物の意味を理解できるようにするためのインターフェイスです。
そのインターフェイスの設計を通じて、人と物、人と技術、あるいは、人とビジネスをつなぐ仕事をデザインと定義したい。
ようするに、この本は、プロダクトデザインだとか、グラフィックデザインだとか、Webデザインだとか、最終的につくるアウトプットに依存したデザインの技術に関する本ではなく、サブタイトルにあるようにデザインの基礎を成す部分の方法―つまり「物の意味を与える」方法―に関する本であり、ビジネスそのもののデザイン、ストラテジーのデザイン、あるいは、コミュニケーションのデザイン、社会のデザインなど、より広い意味でのデザインも視野に入ってきます。
クリッペンドルフが「意味論的転回」というとき、その「転回」はデザインというものを人間にとっての「意味」を中心としたものとして捉えなおし、それによってデザインと社会や文化、人びとの生命の関わり方自体を捉えなおそう=転回しようということだと理解してよいと思います。
デザインの意味の転回
IDEOのCEO、ティム・ブラウンは、デザイン思考をデザイナーの感性と手法を用いて人びとのニーズと技術の力を取り持つこと
あるいは
現実的な事業戦略にデザイナーの感性と手法を取り入れ、人びとのニーズに合った顧客価値と市場機会を創出すること
と説明しています。
人びとのニーズと技術あるいは事業戦略のあいだを取り持つには、それらに人間にとって意味のあるインターフェイスを与えなくてはいけません。これまでのデザインの捉え方は、技術ありき、あるいは、ビジネス的な視点のみの事業戦略ありきで、そのうえに後追い的にデザインを表面上かぶせているというものが多かったと思います。
IDEOがデザイン思考といったり、クリッペンドルフが人間中心のデザイン(クリッペンドルフがこの言葉をつかうとき、必ずしもいわゆるISO13407的なHCDを意味していません。むしろそれに批判的だったりします)というときは、まさにその逆を指しています。先に人びとの生活ありき、ニーズありきでデザインを考えようというのは基本線です。見事にデザインの意味を転回しています。
バラバラの要素を提示しても意味は伝わらない
僕がクリッペンドルフの考えを気に入ったのは、そこに「意味」という概念をもってきたところです。「デザインとは物の意味を与えること」と定義したところです。
とりわけ新しいものをつくる際と複雑なものをつくる際には、この「意味を与える」という発想が非常に有効になると思っています。
いま、多くのビジネスがこける要因のひとつに、バラバラの要素技術あるいは要素的なサービスをモジュールとして集めただけで、これだけあれば組み合わせでなんでもできるでしょ?といってしまうことがあると思っています。
ところが当然ながら要素だけ出されても、人はそれに意味を読み取れません。単語だけ、あるいは、文字だけを提示されても、それはことばとしての意味をなさないのといっしょです。意味がとおる文として組み立てたものが提示されない限り、いくら要素としての文字や単語だけをバラバラに提示されても人間にとって何ら有意ではないのと同様で、組み立て方の提示がなされないモジュール群では意味は伝わりません。
組み立てて意味を生み出す活動としてのデザイン
ことばであれば、少なくとも誰もが母国語の単語を組み合わせて使うことができます。しかし、そこまで浸透していない技術的なモジュール、サービスのモジュールだけを提示して、ほら、なんでもできますよといっても実際はごく一部の限られた人以外には何もできません。つまりインターフェイスのないモジュール群だけでは、人とビジネス、あるいは技術になんのコミュニケーションも成立しないのです。
多くのビジネスがここがわかっていないために、要素を複雑で理解できない状態のまま提示したり、新しい技術を顧客にとって意味のある形に組み立てないままの状態で提示したりして失敗するのです。
二次的理解
複雑さや新しさといった特性のあるものには、デザイン思考で人間にとって有意なインターフェイスをつくる必要があるのです。そして、それがこれからのデザインに求められる仕事です。ただし、それは以下のような理由で、きわめて実践的な仕事です。
意味は、物の物理的、あるいは物質的な特性に内在するものではなく、人の心のなかにあり得るものでもない。テキストの意味が読みのプロセスの中で浮かび上がるのと同じように、人工物の意味は、それと相互作用、そして、それを通して他と相互作用するときに生じる。クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』
人びとの生きる場における実践においてはじめて、物の意味は立ちあがってくる。それはウィトゲンシュタインが「言語ゲーム」ということばを用いて、語の意味は言語におけるその使用そのものであると捉えたのとおなじで、実際の使用において、物の意味は成立します。
クリッペンドルフは「他人の意見を聞くことなしに自分で行う孤高の才能あるデザイナーは急速に過去の人となりつつある」とも言っています。デザインには他人の理解を理解する二次的理解が必要だと言っています。
デザインは人々の技術に相対する現実的行動に関わっている。人びとは人工物を理解し、自らの世界を創造し、予見や知性や感情を持ち、観察されたものに応答し、お互いにコミュニケートし合い、デザイナーともコミュニケートする。クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』
今のビジネスにおいては、人びとが求めるコミュニケーションを、その人びとが人工物にみる意味を二次的に理解しなくてはいけない立場であるデザインをする側が拒否しているのですから話になりません。
他人に何かを伝えようとするとき、相手がどういうことを理解し、どういうことに価値を見出すかの検討もつけず、さらにそもそも相手に関心もない状態で話をしても、話は伝わらないでしょう。それとおなじで自分たちがビジネスとして提供するものの意味を理解してもらおうと思えば、まず、対象となる人びとのことを先に理解すべきです。相手のことも理解しようとしないのに、自分たちのことばかり理解してもらおうとする横柄なビジネスが多すぎます。
人工物の四つの意味の概念
ちなみにクリッペンドルフは、人工物の意味が立ち上がってくるコンテキストを以下の4つに分類したりもしています。- 個々の人間の使用におけるコンテキスト
- 言語や人間のコミュニケーションあるいは社会における使用のコンテキスト
- 人工物のライフサイクルにおけるコンテキスト
- 他の人工物とのあいだのエコロジーにおけるコンテキスト
人工物の意味は、この四つのコンテキストから立ち上がる意味の複合体として、人びとが生きる実践の場において機能しています。
例えば、個人の使用のコンテキストでいえば、意味は、感覚によって感知されたものと、行為を通じて起こったとみえる知覚されたものの差異を修復しながら構築されていきます。
それを踏まえたうえで人びとの暮らす場に参加しながら物の意味を与える活動を行う必要が、これからのデザインには求められます。そうでなくてはデザインは「急速に過去」のものとなるでしょう。
西洋的な、あまりに西洋的な
クリッペンドルフはまさにこうした現在のビジネス環境、社会環境の状況を踏まえたうえで、デザインの意味論的な転回と、人間中心のデザインの必要性を、この本で見事にまとめきっています。ただし、クリッペンドルフの人間中心のデザインという考え方にしても、IDEOのデザイン思考にしても、僕はあまりに西洋的すぎるなと感じてしまいます。
特にIDEOのデザイン思考は、デザインによって人とつなげる対象を、ビジネスや技術にフォーカスしすぎているのは、あまり気に入りません。デザイン思考そのものは、見習うべき姿勢だと思っていますが、それをビジネス領域だけに用いるのであれば、大して価値のあるものではないと思っています。
その点、クリッペンドルフの人間中心のデザインの視野はもっと広いのですが、それでも人間にとっての意味というものをまだまだ形式知的なところと認知科学的領域に限定しすぎている感は否めません。
僕は、このクリッペンドルフ的な意味論的展開に、さらに、ひとつ前のエントリー(「観念連合、類感呪術をつかった発想法・編集術」)で取り上げたようなところに関わる人間にとっての「意味」というものを視野に入れていかなくてはいけないだろうと思っています。
これについては、以下2冊の本(杉浦康平『芹沢介の文字絵・讃』、宮本常一『民俗学の旅』)を紹介しながら、さらに考察を続けていこうと思います。
というわけで「芹沢銈介の文字絵・讃/杉浦康平」につづきます。
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