モダンデザインの歴史をざっと概観する1

「モダンデザインの歴史をざっと概観する」<

膨大な視覚表現資料をもとにこの18世紀を中心としたアーリーモダン研究を広範かつ精緻に行い、イメージング・サイエンスという新しい研究分野を牽引しているバーバラ・スタフォードという人がいます。彼女はこの時代の視覚中心の文化に、現代の分析的思考によって様々な分野がバラバラの状態で孤立した閉塞感を突き破る力を見てとります。

スタフォードが書いた本に『ヴィジュアル・アナロジー』という一冊がありますが、タイトルが想起させる通り、視覚表現がもたらすアナロジーの力に着目した本です。その本の中でスタフォードはこう書いている。

アナロジー化の良いところは、遠くの人々、他の時代、あるいは、現代のさまざまなコンテクストさえ、我々の世界の一部にしてくれる点である。

アナロジーは領域横断、トランスディシプリナリーな思考や活動を可能にしてくれるんですね。これは現代において非常に重要なことだと思います。近代化の歩みが作り上げた社会のシステム、あるいはモダンデザインが用意した社会のしくみやライフスタイルが様々なところで破綻してきているからです。

数回のエントリーに分けて、現在のシステム破綻を考えるにあたっての前提である近代のデザインが歩んできた歴史をざっと概観しておくことにします。

それはコーヒーハウスで生まれた

さて、いきなりですが、いまの株式会社や保険システム、新聞などのジャーナリズムや広告などがいつ頃どうやってできたか知ってますか?

松岡正剛さんの『知の編集工学』を参照すると、それらはみんな、十七世紀末から18世紀初頭のロンドンで発達・流行したコーヒーハウスでできたそうです。コーヒーハウス。まぁ、カフェですね。コーヒーやお酒が飲め、集まって談話のできる社交の場です。
コーヒーハウスには情報紙がおかれ、紳士たちがあらそって読んだ。『ガリバー旅行記』のジョナサン・スウィフトも、『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーも、ヨーロッパ最初の活字編集メディアでもあった情報紙の編集人・発行人でもあり、コーヒーハウスを拠点に活躍した人だったんですね。この情報紙によって内外の現象に好奇心を煽られた紳士たちは、その好奇な目を未知の世界経済へと向けていきます。
そこに目をつけたのがロイズ・コーヒーハウスの店主ロイズで、ロイズは投機熱を煽って紳士たちから資金を集め、投資家クラブを形成し、株式会社の原型をつくりました。ロイズ保険の誕生です。さらに人が集まるコーヒーハウスには情報紙といっしょに、大量のチラシが置かれるようになります。ペスト予防薬のチラシ、赤面恐怖症の特効薬のチラシなどにまじって、なかには探検隊募集のチラシもあったそうです。

18世紀ヨーロッパの情報過多と博物学

18世紀がどういう時代だったかというと、やっぱり今と同じように情報過多に悩まされた時代だったんですね。十七世紀の中ごろにヨーロッパ全土を巻き込んだ三十年戦争が終わり、ようやく各地を自由に旅行ができる状況が生まれ、普通の人―といっても裕福な層ですが―が各地に旅行に出かけ、そこで異国の風景を目にするようになります。
それを背景にピクチャレスクと呼ばれるヨーロッパで最初の本格的な風景画が描かれるようになり、『ガリバー旅行記』や『ロビンソン・クルーソー』などの小説も生まれてきます。同時に医学の発展はこれまで目にすることができなかった身体の内部を解剖図として目に見える形にしたり、顕微鏡や望遠鏡をはじめとする様々な視覚映像技術がこれまで視覚されなかった物をどんどん視覚化する。こうして内外からさまざまな未知の情報や未知の物が飛び込んできたのが18世紀頃のヨーロッパの世界です。

この未知の情報や物がそれまで蓄積し利用してきた知の体系に混乱を生じさせます。体系の外にあるものが大量に入り込んできて従来の知の文脈では処理しきれなくなる。18世紀の情報の爆発です。情報の爆発というのは単に量が負の増大ではないんですね。既存の分類体系におさまらない情報が増えるからこそ、情報の爆発が起こります。
そうした状況において、珍しい動植物や鉱物の標本、当時の最先端の技術で作られたからくりなど、ありとあらゆる物が分類されることなく集められた驚異の部屋の流行があるんですね。学問的にも細かな諸分野に分けられずに博物学という大きなひとつの括りとしての学問が生まれてくる。驚異の部屋自体が現在の博物館や科学館、美術館が分かれる前の状態そのものです。実際、1753年にハンス・スローンという人が亡くなって、その個人的なキャビネットが国家に遺贈されたのを機にできたのが世界で最初の国立の博物館である大英博物館です。

モダンデザインに託された課題

これが近代化の初期段階です。とにかく混乱した知の体系を、そして、既存のしくみがうまく機能した社会をもう一度再構成する必要に迫られた状況です。

もちろん、工業生産の技術の発展や自由・平等・博愛の理想を掲げる政治的な変化もそれに重なってくる。それまで地域や宗教や階級と深く結びつく形で形態や色彩が制約されていた衣服などの物にも自由が許される風潮が生まれてくる。

モダンデザインは、地域や文化、階級などに左右されることなく、誰もが自由に自らの生活様式を選択できるデザインを理想とし、そのための具体的な作業をはじめたのです。それは単に個々の物をデザインするというだけでなく、混乱し機能しなくなった社会のしくみ全体を構成しなおすための包括的な社会デザインのプロジェクトだったんですね。

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