カムイ伝講義/田中優子

仕事で人間中心設計などというものに関わっていると、どうしても、人間の認知や理解、あるいは、身体的な可能性/不可能性について考えずにいることはできません。
人は何をどこまで知覚でき、認知し理解できるのか。そうしたことがデザインを考える上でのベースに考えるのが人間中心設計だからです。



ただ、人間の可能性について考えようとするとき、現在の人間の知覚可能性、認知可能性をベースに考えてしまうのはどうなんだろうとも思います。
一般に人間中心設計のベースのひとつとなっている認知科学の領域での研究結果は、あくまで現代の人間の知覚や認知を対象にしているところがあります。しかし、『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑』のなかで松岡正剛さんが紹介してくれている、こんな感覚の相違が現代の僕らとすこし前の人びとのあいだであるのを知ると、現代の人間の認知できる範囲のみを「人間の認知可能性」と扱うのもどうかと思えてくるのです。

京都の染め物屋の例なんですが、染めた物を乾かします。いまはどうかわかりませんが、「風が吹いているから乾く」とは思っていないんです。実は母もそれを知っていました。だから、洗濯物は「今日は風があるから干そう」ではなくて、「何々の風が今日はあるから色物の乾きがいい」とか「ネルは、比叡山からおろしてくる風のときには、いくら晴れているからといって乾かない」とか言ってましたね。結局、いまや僕も含めて、みんなも風が読めないと思うんです。洗濯物は太陽があって風があればすんでしまうという感じでね。

認知科学の分野とも深いかかわりのあるアフォーダンス理論も視野に入れれば、人間の知覚・認知はそもそも環境との相互作用のうえに成り立っているわけですから、人間の知覚可能性や認知可能性を考える場合でも、外部環境の相違を視野に入れて考えないとだめだろうと思うのです。

キーボード入力で文字を書く現代人と、鉛筆なり毛筆なりの筆記具で一画一画文字を書いていた過去の人びとでは、とうぜん、書くという行為における知覚や認知、そして、それを土台にした思考も異なっていたと考える方が自然だと思います。株式会社という組織のなかで働かないのがあたりまえ、士農工商という身分のなかでの自由があるのがあたりまえだった社会と、現代の社会に生きる僕らでは人間の知覚可能性、認知可能性、そして、思考の可能性そのものが外部環境から得られるアフォーダンスの違いもあって大きく異なっていたと考える方が妥当なのではないでしょうか。

僕らの「あたりまえ」の外にある世界

僕ら現代に生きる人間にとっての「あたりまえ」は、決してそれ以前の「あたりまえ」と同じではない。僕らの不可能は決してそれ以前から不可能であったとはかぎらないということを、認識しておいたほうがいいと思うのです。

では、自分たちの「あたりまえ」の外に出るにはどうするか?

温故知新:possibilityとactuality」というエントリーで、「故(ふる)きを温め新しきを知れば、以て師為(な)るべし」という『論語』の温故知新との関係において、「哲学というactuality(現実性)をもたない学問を確かに学問とは言えないし、逆に知識に基づくpossibility(可能性)の追求欠いた活動は何かを為すための活動としては単なる惰性的な行動だ」と書きましたが、自分たちの「あたりまえ」という可能性(possibility)の制約から外に出るためには、それこそ、故きを温める必要があるはずです。

ここには、「いわゆる日本」とは異なる日本がある。私たちの時代が声高に「日本人」として主張するその範囲には、たぶん入っていない日本人たちがいる。
田中優子『カムイ伝講義』

上でいう「ここ」とは、田中優子さんが江戸時代の講義をするための教材として用いた、白土三平さんの劇画『カムイ伝』の世界であり、その背景にある江戸期の社会です。
江戸期に関する知識を欠いた僕らは、その社会をいまより未成熟な社会と勘違いしてしまったりします。

人びとの手から、そして、日本という国から技術が失われた瞬間

しかし、実際には、人間の能力という意味では、むしろ、現代のほうが劣っているのかもしれないと、この本を読むと感じます。

江戸時代は大量の職人が輩出した時代で、その技術力が近代産業の基礎になった。日本の技術力は単なる機械力ではなかったのである。
田中優子『カムイ伝講義』

日本の近代産業は、単純に機械が導入されたから成功をしたのではなく、その基礎にとてつもなく高い手仕事能力を有した職人たちが大量に存在し、彼らが機械を自らの仕事の助力として用いたから成功をおさめたのでしょう。
しかし、このことが誤解され、あたかも機械が手仕事に勝るというように考えられるようになれば、「失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?」でも紹介した、昭和2年に書かれた『工藝の美』で柳宗悦さんが「近代工藝の醜さは、機械が手工を助けず、手工が機械に侵されるところから起こる」と嘆いているように、職人のもつ高い技術力が機械の稚拙な生産力にとってかわられてしまうなんてことが起きます。

産業革命とは、機械の導入によって大量生産し、ものの価格を下げ、価格競争に勝つことを意味した。ものが安価になるので平等になる、と言われるが、それは買う側に注目した場合である。作る側、売る側に注目すると、インドがそうなったように、ものを作っていた職人たちがまたたく間に職を失う。
田中優子『カムイ伝講義』

とうぜん、これは職人たちが職を失ったというだけの話ではありません。日本の社会自体がそれまで保持していた技術力による可能性(possibility)を失ったということなのです。

社会、労働、夢、そして、生きること

『カムイ伝講義』を読んでいると、まさにこういった<「いわゆる日本」とは異なる日本>が数多くあったのだということに驚かされます。

気になったところをピックアップして引用すると、

  • 農民はいいが、気の毒なのは武士である。自分が何のために生きているのか、わからなくなる。ただでさえ貧しいのに、出世に失敗するとさらに貧しくなる。『カムイ伝』は、農民や穢多が苦しくて武士は楽しい、という描き方をしない。階級内格差をしっかり見つめているのだ。江戸時代で階級内格差がもっとも甚だしかったのは武士階級だった。(中略)内部格差に比べれば、士農工商などお題目でしかない。
  • 格差社会とは、自分の生まれ育った環境に拘束され、他の暮らしを想像できないようになる社会だ。
  • 『カムイ伝』の正助は、日本の農民とくに江戸時代農民のありようを象徴している。田畑の耕作を食糧確保の仕事であると考えるだけでなく、さまざまな改良工夫をしようとする。しかしそれは遠い漠然とした理想や夢や名誉心ゆえではなく、ともに暮らす村人たちの生活の充実のためである。正助は読み書きを習い、桑を育て、綿花を栽培し、水路を確保し、下肥を使う。毎日の生活に密着した夢の実現であり、自分自身と周囲の人々すべてのための行動だ。
  • 江戸時代は農書が盛んに書かれた時代であった。農民が積極的に農業技術マニュアルを書き、決して閉鎖的にならず、技術を共有しようとしたのである。
  • 一概には言えないが、これは現代の「夢」の範囲が、「自己実現」という枠組みに押し込められているせいかもしれない。では江戸時代の子どもたちの夢は何だったのか、ということになるが、それは少なくとも「社会の中で一人前になること」であった。この「一人前」とは何か。それは、とくに農村においては「労働力」を意味していた。
  • もしかすると「生きる力」という言葉自体、力を持っていないのではないか。「生きる力」とは何を意味するのだろう。「都市社会を生き抜く力」を表したいのかも知れない。しかしそれは人間関係の領域だ。それだけが「生きる力」のすべてと置き換えられるぐらいならば、初めから「人間関係力」とでもしておけばいい。
  • 子供の労働において問題とされるべきことは、大量生産・大量消費を背景とした、産業革命以降の、現代につながる資本主義社会の構造であろう。何十時間も単調な作業に従事させられ、教育の機会を奪われ、根こそぎ成果を奪われることが「労働」と考えられていること自体、私たちが本質を見落としてしまっている証拠である。少なくとも、そのような状況と『カムイ伝』に描かれる子どもたちの「労働の姿」は、結びつかない。
  • 現代の若者には何が要求されているだろうか? 大人たちは彼らに、「夢は必ずかなう」と言う。「前向きにあきらめないで生きなさい」と言う。しかしその夢の中身は、金儲けだったりスターになることだったり、資格を取ることだったり、いい会社に就職することなのだ。(中略)現代人(若者とは限らないが)には夢がないわけではない。夢の中身が大地を離れ、宙にただよっているのだ。
  • 江戸時代の日本は、イギリスと同様にインド、中国、アジア諸国からの輸入品にさらされながら、異なる方向をとった。それは多くの人が職を得て、それをネットワークし、それぞれの現場で集中して働きながら国内でものを作り出す、という仕組みである。これは速水融により産業革命に対して勤労革命と呼ばれた。
  • 肥料革命とは経験の積み重ねによるノウハウの蓄積だったが、それだけでなく、蓄積された情報の拡大・応用であり、また肥料そのものの盛んな移動と市場取引だったのである。

以上すべて、田中優子『カムイ伝講義』より

となるが、これらだけを見てもらってもわかるように、ここでは、社会、産業、仕事、夢、そして、生きるということが、江戸期においてはいかに現代の「いわゆる日本」とは異なっているかが見えてきます。

まさに、この感覚は、柳宗悦さんが『工藝の美』で非常に近い。そして、僕が「失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?」や「用の美:人と喜びを分かつことのたのしさ」にも。

その意味で、僕はこういう場所から人間中心設計というものをとらえてみたいと思うのです。それは単にデジタル機器のUIやソフトウェア、Webを設計するとか、そういう話で留まってはいけないことだと思っています。まさに、先に引用した本書のテーマが範囲としているような、人間の労働、夢、そして、そういったものを支える社会というものが、本当の意味で僕の考える人間中心設計の対象だと思うのです。



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