2025.01.07

末期がん患者の「理想の死に方」、じつは「ハンガリー人」がすでに実践していた…!

だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。

私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。

望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。

*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

後進性ゆえに進んでいたハンガリーの終末期医療

ウィーンに在勤中、ブダペストの日本大使館からある日、相談が持ち込まれました。某参事官の秘書をしているハンガリー人の女性が肺がんになったので、日本で治療を受けさせられないかというのです。参事官は有能な秘書を労うために、何とかしてやりたいと思ったようでした。しかし、送られてきた胸部のX線写真を見ると、がんはすでに両側の肺に広がっていたので、残念ながら日本で治療しても治癒させることはむずかしいと答えざるを得ませんでした。

電話で伝えると、参事官はがっかりして、ハンガリーの医療事情の悪さを言い募りました。進行したがんの患者は、治療せずに家に帰らせるというのです。

「治療の余地がないからと、患者を見捨てて病院から追い出すんですよ。日本では考えられないでしょう」

私が返答に困っていると、参事官は続けてこう言いました。

「家に帰らせたあとは、痛みが出たときだけ、医者がモルヒネの注射をしに行くそうです。それで不思議なことに、患者はあまり苦しまずに亡くなるみたいです」

別に不思議でも何でもありません。がんはある段階を超えると、副作用の強い治療をするより、痛みなどを抑える対症療法だけにしたほうが、患者さんの生活の質を保ちやすいからです。