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次男が学校で受けた支援について

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発達障害の次男を支援学級へ一年間託して思うこと - フミログ

 
以前、こんな記事を書きました。
次男本人の了解を得たので、次男が学校で受けた支援内容を思い付くままに書いていきたいと思います。
 
 
次男は小学校3年生の頃にADHDの確定診断を受けました。
当時は通常学級に在籍していたのですが、担任の先生へ次男の特性を説明し、通常学級内での支援をお願いしました。
発達検査の結果を見せながら管理職を交えてお話したこともあります。
 
・教科ごとに使う教材をリストアップした、ラミネート加工したシートを作ってもらった。
・席を前の方にしてもらった。
・注意散漫なので、窓際の席を避けてもらった。
・授業中及びその他の活動時に全体に対する指示を出した後、個別に声かけをお願いした。
・書き取りが苦手なので、宿題はドリル書き写しではなく、ノートに下書きをしてもらうか、プリントを用意してもらった。
・連絡帳をチェックしてもらって、記載漏れがないように声かけをしてもらった。
 
思い出す限りになりますが、主にこの様な内容でした。
学年ごとに担任がかわり、その都度支援の内容も変わりました。
最初から積極的に取り組んでくださった先生もいらっしゃれば、結局何もしてくださらなかった先生もいました。
 
高学年までは、学習に関して上記の支援内容で特に問題は無く過ごすことができました。
ところが6年生になってから、学習の遅れが大きく目立つようになってきました。
先生の指示が理解できない、グループでの活動が増えて行動の優先順位がわからない、学習自体が難解になってきた等様々な理由があったと思います。
三学期になって、朝に吐いてしまって学校を休む日が続きました。
中学校には知的障害児が対象の特別支援学級しかありません。
次男はADHDの診断しか受けていません。
とても悩んだのですが、本人の希望と、校長先生や発達教育センターの担当の方の後押しもあって、中学校の入学時に特別支援学級に入級することになりました。
 
 
中学校では、とりあえず国語以外の全教科を交流学級、つまり通常学級で受けるところからスタートしました。
国語は本人の苦手意識が強かったので、支援学級で受けることにしました。
普通高校への進学を希望していたので、学習は通常学級と同様に進めて頂く様にお願いしました。
一日のほとんどを交流学級で過ごしますが、在籍は特別支援学級になります。
 
支援学級担任は、中学校入学から数日後、次男の交流学級でクラス全員に、次男が支援学級に通うことを話したそうです。
その際、障害という言葉や診断名は言わなかったそうです。
本人や周りの友達が、支援学級に入級することを受け入れられるかどうか。
不安でいっぱいでした。
 
次男の朝は部活動の朝練習から始まります。
朝練習が終わった後、支援学級に寄って支援担任に顔を見せて連絡帳を出し、国語以外は一日交流学級で過ごした後、帰りの会が終わって再度支援学級に顔を出し、連絡帳を受け取って部活動に行く毎日でした。
 次男は最初の頃、交流学級から支援学級に移動する際、支援学級に入る姿を他の生徒に見られるのを嫌がり、遠回りして支援学級に入っていたそうです。
支援学級に居るときに窓の外を誰か通ると、机の下に隠れてしまうと支援学級担任から聞きました。
次男は一見して障害がある様に見えません。
交流学級のクラスメートは最初に支援担任から説明を受けたので、次男に何も聞かなかったそうです。
けれど交流学級以外の同級生や部活動の先輩からは、何故支援学級に居るのかと何度も聞かれたそうです。
 
この事で次男が少し不安定になってしまいました。
とりあえず支援学級内に窓から見えないスペースを作ってもらうようにお願いしました。
けれど、支援級に入るところを見えないようにするのは不可能です。
慣れるしかないと言う結論しか出ませんでした。
 
学習面での困難も大きく目立ち始めました。
まず、英語のアルファベットの見分けがつかなくて、単語が覚えられませんでした。
次男は覚えようとして毎日一生懸命書き取りをしていたのですが、困難でした。
これをこの先も続けていくのは本人にとって大きな負担になるのではないかと思いました。
数学も段々授業内容が理解できなくなってしまい、部活動の朝練習で疲れていた次男は、授業中に居眠りして怒られる様になってしまいました。
 
特別支援教育を選択する目安の一つとして。
授業内容が理解できているか、というのが上げられます。
45分間座っていて、何をしているのかわからない、先生が言っている意味がわからないというのは、もう授業についていけてないと考えて良いと思います。
通塾や家庭学習で補えるのであれば積極的にそういった手段を取り入れて、45分間を無駄な時間にしない事が大事だと思います。
 
次男は特性上、通塾が難しいだろうと医師に言われていました。
 
そうしている内に、次男がいくつかトラブルを起こしました。
簡単に言えば、喧嘩です。
同級生から、からかわれて手が出てしまいました。
一つ一つはさほど大きなトラブルでは無かったのですが、そういったことが続きました。
 
これはサインだと思いました。
少しずつ、次男のキャパがいっぱいになって溢れだしたのでしょう。
この時も散々悩んだのですが、思いきって二学期から支援で受ける教科を国語、英語、数学に増やしました。
そして宿題として提出しなければならなかった、ノート1ページ分の家庭学習の免除をお願いしました。
 
それと同時に、二学期からタブレット学習の導入をお願いしました。
次男は読むことと書くことに苦手意識がありましたが、学習の理解が極端に悪いわけではありませんでした。
タブレットで読み書きの負担を減らせば、学習の幅が広がるのではないかと思いました。
次男の中学校では初めての取り組みで、手探り状態でのスタートでした。
 
支援学級担任から提案されたのが、1ページノートの家庭学習の代わりにアプリで毎日日記をつけてはどうかということでした。
毎日の記録をつけること、文章を書く練習になること、一日を見つめ直す時間ができること等、とても良いことだと思ったので、これを毎日のノルマにしました。
日記のアプリはいくつか探して本人に見せたところ、カレンダーアプリの日記機能を選びました。
私もスマートフォンに同じアプリをインストールしていたので、同期して毎日日記をチェックできるようにしました。
一行でいいから、でスタートして、半年ほど経った現在、三行程に増えました。
状態や気持ちの描写も見られるようになりました。
 
その他の学習アプリについては、こちらのなないおさんのブログを参考にさせて頂きました。

nanaio.hatenadiary.jp

 自力で見つけることができなかったので、とても助かりました。
ありがとうございました。
英和・和英辞書アプリ、国語辞書アプリ、社会科の学習アプリ等を主に使いました。
交流学級で受けている社会科の定期考査の試験勉強は、主にアプリで取り組むようになりました。
 理科では、検索が役立ちました。
支援学級で受ける教科を増やしてから、主要教科以外の定期考査の点数が、少しずつ上がり始めました。
学習の量的に、次男のキャパに収まるようになったのでしょう。
本人の自信にも繋がりました。
 
その頃から、次男の様子が変わってきました。
明らかに楽しそうです。
支援学級で受ける授業にも積極的に参加し、得意の雑学を披露して上機嫌だったそうです。
元々あったアイディア豊富な一面も、この頃から発揮するようになりました。
トラブルもなくなり、私が.学校へ行くと、先生方から頑張ってますよと声をかけられました。
交流学級担任との面談で次男は、支援学級で受ける教科を増やしたのは自分にとって良い事だと言ったそうです。
内容を理解した上で、本人が主体的に学習を進める事の重要さを改めて実感しました。
 
次男は医療機関の発達検査では、療育手帳の取得は無理だろうと言われていました。
思い切って申請して判定を受けたところ、取得できました。
これをきっかけに、進路希望を普通高校から軽度知的障害児向けの高等特別支援学校へ変更しました。
受検(受験ではありません)を受けて入学する学校なのですが、とても競争率の高い狭き門です。
何度も本人と話し合いを重ね、学校見学にも足を運んで決めました。
 
学校生活に慣れて本人も周りも上手く回りだしたな、と実感できるようになった頃には、支援学級への移動で遠まわりしたり支援学級で机の下に隠れることもなくなりました。
支援を受けなければできないのではない、支援を受ければできるのだから。
本人に何度も話しました。
支援を受けることを恥ずかしいとは思って欲しくありません。
支援を受けながら、朗らかに楽しく生きて欲しいと願います。
 
特別支援教育は、オーダーメイドなのだと思います。
正しく寸法をはかり、きちんと発注しなければ、形あるものにはならないのではないかと思います。
勿論、予算や手間を無視した発注でも成り立ちません。
職人側が技術の向上や手間を惜しんでもいいものはできません。
学校側と話し合いを重ね、特性を理解して頂き、お互いにアイディアを出し合って初めて良い物ができるのだと思います。
 
これからも私達のチャレンジは続きます。
私は逞しくなった彼の背中を、ぐいぐい押していこうと思っています。
本人には言いませんが。
ガンバレ次男。
 
 
 
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